(8/29-2)60『仏陀再誕』を読む―政治と経済―経済の真実―仏陀となる道

『仏陀再誕』を読む

66 鬼には、仏を外護するための地獄の執行官(パニッシャー)と、生前凶悪犯であって、幽界・地獄界で恐怖を起こす存在、角の生えた悪魔の三種類がある。また、生きながらに、殺人鬼と呼ばれることもある。非情さと、目的合理性、腕力の強さに特徴がある。ただ仏を外護している鬼たちは、検察官や警察官、悔い改めを現実化するための執行官であって、修行中の菩薩や諸天善神も多い。彼らは妖怪ではない。

67 同じく、生前の善悪を裁く閻魔大王も、姿を変えた如来や菩薩であって、「正義」と「公平」を追求している。妖怪や悪魔ではない。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

37 生前、両親や国家のすねかじりをして生きた人々の魂が、ネズミの群れとなってお堂の柱をカリカリとかじっていると、鬼たちがやってきて、鉄棒でたたきつぶすところを見た。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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【正業】〇「上司」や「自分を引き立ててくれる立場の人」を批判しない

それと、もう一つは、宗教的人格のなかには考え違をする人が多いのですが、特に、強きを挫(くじ)く性格の人は、みなさんのなかにもそうとういるのではないでしょうか。

真理を学んでいる人のなかには、どうしても、「この世的権力」、あるいは「成功者」へ背を向ける部分があります。そうしたものに背を向けて、「自分はそういう世界の人間ではなく、別の世界の人間なのだ」と考えやすいのです。そして、「上司」を批判したり、「本来なら自分を引き立ててくれている立場の人」を批判したりするようになることがあります。これは、やはり、成功の原理を知らないのです。

いくら下の者をかわいがっても出世はできないものです。それは、そういう”力学”があるからです。いちばん出世するタイプは、上にかわいがられ、下に愛される人なのです。

転職する際にも、「自分はどれだけ多くの人に愛されていたか」ということは、よく分かるはずです。自分が去っていっても、誰もまったく困らず、誰も「残念だ」とも言ってくれないというのは、寂しいかぎりです。しかし、時折、こうした人間になっていることもあります。

ですから、私たちは、成功していると思うときに、よくよく自分の周りを見なければなりません。「ある人たちの力によって現在の自分があるのではないか」「それに対する感謝ができたか」「報恩ができたか」、また、「その報恩は、さらなる自己改革と自助努力というステップを生み出しているかどうか」ということを考えなければなりません。「太陽」と「月」の比喩を、よくよく思い出して下さい。

以上は、極めて現代的な「正業」論である。

釈尊の説いた根本仏教では、「正業」は「正行」でもあり、転生の際の〈カルマ〉の元となるものである。すなわち、戒律や法律、道徳に反する行為をしなかったか。犯罪に当たる行為をしなかったか。などが中心であった。(『太陽の法』第2章第10節参照)

【大川隆法『真説・八正道』第五章「正業」205pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第四章 政治と経済 
○経済の真実

また、
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
あなたがたは、現代の経済原理に戸惑うことが多いであろう。
この経済原理そのものを、
いかに考えたらよいかがわからないであろう。
この経済原理と仏法真理とが、
どのように関係するのかがわからないであろう。
経済ゆえに苦しみをつくっている人も数多くいるであろう。
経済ゆえに転落をつくっている人も数多くあるであろう。
経済ゆえに大きな執着をつくって、
そして、今という時代がそういう時代であるならば、
経済のなかに生き、経済を超えよ。
そのような生き方もまたあるはずだ。
いかに、あなたがたが心を磨けども、
この世の中に経済という原理がある以上、
これからは逃れることができないであろう。
さすれば、
この経済原理のなかで正しい道を選んでゆくことも大事である。
そう、私は思うのだ。
これは、かつて八正道のなかに説いた、
正しく行為をする正業という思想に照らし合わせて、
妥当する考えであるのだ。
あなたがたは多くの仏門に入り、
正業とは何かを知らないままに生きたであろう。
いま、この時代に生まれ合わせて、
真の正業とは何であるかということを勉強する機会を得たことを、
仏に感謝せねばならない。
真の正業とは、あなたの栄えるということが、まわりの人をも富ませ、
まわりの人を富ませることが、国全体を富ませることとなり、
多くの幸せを呼びこむことにある。
経済の原理も、正しく使われたならば、
多くの人々を幸福に導く原理となるであろう。
しかり、経済とは、
経済の身において、単に独立して存在するものではない。
経済とは、心というものを、さらに磨き、
豊かにするための原動力となるものでなくてはならない。
経済は、心に奉仕するものでなくてはならない。

そうであってこその経済であって、心が経済に奉仕するようになれば、
あるいは、経済が心を奴隷のごとく扱うようになれば、
もやは、人間としての生き方であるとは言えない。

諸人よ、これより後、よくよく心しなさい。
経済はあなたがたの心を王者にするがために仕えるのであって、
経済のために心が仕えてはならない。
これだけを忘れてはならない。
心清く生きて富める者は幸いである。
そのような者は、その経済力を一つの力として、
より多くの心を磨き、心の修行の場を得、
多くの人々に感化を与えよ。
また、経済に力無き者であるならば、
しかし、そのことをもって大きな苦しみとすることなかれ。
経済を苦しみとしてはならない。
貧しきことをもって苦しみとしてはならない。
経済的破綻をもって苦しみとしてはならない。
されどもまだ永遠不滅のものがある。
その永遠不滅の魂を、心をこそ磨くという最後の仕事が残っている。
最後の仕事にして最初の仕事、
最初の仕事にして最後の仕事、
それは、いかなる環境下にあっても己が心を磨き続けるという仕事だ。
この己が心を磨き続けるという仕事に、経済という原理を当てはめよ。
己が心を磨きながら、魂の修行をしながら、
しかして経済の原理に奉仕することもまた可能なはずである。
思い返してみれば、貨幣というもので測られている値打ちは、
他の人びとに役立つ仕事をしたならば、
それが豊かさとなって返ってくるということではないのか。
さすれば、あなたが今貧しいのは、
他の人びとを真に富ませるような仕事をしなかったからではないか。
経済原理における反省というものもあるであろう。
真に人びとの役に立つ仕事をしていて、
富まないということがあるであろうか。
もし、真に人びとの役に立つ仕事をしていて、
自らが富むことなく、いつも経済的危機にあるならば、
智慧が足りないからだろう。
智慧を生かせ。
智慧を生かせば、経済が伸びてくる。
智慧を生かせば、経済は光を放つ。
智慧を生かせば、失敗ということはない。
おそらくは、あなたがたは理想にのみ燃えて、
真によいことをすれば豊かになるはずであるのに、
何ゆえにこんなことになるのかと思うだろうが、
おそらくは、智慧を十分に生かし切っていないのであろう。
智慧を生かすとは、どういうことであるか。
智慧を生かすとは、時間を生かすということである。
智慧を生かすとは、人を生かすということである。
この二点を忘れてはならない。
智慧あるものは、時間を掌握する。
智慧あるものは、時間を自由自在に駆使する。
時間をもって、自らの味方とし、時間をもって、自らの武器とする。
時間をもって、自らの血液とし、時間を持って、自らの栄養とする。
これ、智慧ある者の姿なり。
また、智慧のみならず、また時間のみならず、
人を生かすをもって成功に導く例はあまたなり。
人を生かすということは大切だ。
人を用いてこその経済であり。
人を見るということにおいて、経済は大いなる力を発揮し、
大いなる魂の場を提供するものなのだ。
あなたがたが、一人僧堂にこもり、
そうして一日坐禅をするとも、
そこに、何らの経済もなく、
何らの人との接触もないであろう。
しかし、一度職場に出でて、そこにて毎日の仕事をする時に、
その経済原理のなかに、
あなたがたは、
人をどのように生かすかという問題に直面するにちがいない。
それは、大いなる学びである。
その大いなる学びを十分に使わなければならない。

【大川隆法『仏陀再誕』第四章「政治と経済」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第六章 人間完成の哲学
10 仏陀となる道

前節では、如来となる道を示しました。平凡な魂であっても、うまずたゆまず努力すればそこまで行けるということであり、地球出身で如来になった人がかなりいることも事実です。

さらにその上には、「仏陀」といわれる存在があります。仏陀とは「覚醒せる者」「悟りたる者」という意味であり、それぞれの星において、救世主として輝いている方がたです。

そうした仏陀が地球系霊団には十名います。仏陀と呼ばれる存在は、単に一億人を指導するだけではなく、一つの霊系団の責任者となれるだけの実力者です。

如来が仏陀、つまり九次元の大如来となるためには、どれほどの努力が必要とされるか、みなさんは分かるでしょうか。如来となって最低でも一億年の実績がなければ、仏陀にはなれないのです。

如来として幾転生し、一億年以上にわたって人類を導いたという功績があって、初めて九次元の大如来、救世主の世界に入ることができます。上段階菩薩が如来となるのに一万年かかるという話をしましたが、如来が大如来となるためには、実に一億年の歳月を要するのです。

したがって、いま八次元に入る五百名近い如来たちは、如来として一億年の歳月を経ていなければ、九次元の大如来にはなれないのです。しかも、その間に転落した場合には、またゼロから始めることになります。大如来の誕生は実に難しいものなのです。

一億年か二億年に一人の割合で大如来が誕生しているようですが、地球系霊団では、地球出身の大如来はまだ出ていません。現在、九次元にいる大如来たちはすべて、他の天体から渡ってきて、地球霊団をつくることにかかわってきた人たちです。

ただ、地球においても、八次元上段階の「狭義の太陽界」に何人かいるので、彼らがやがて大如来となる可能性はあります。おそらく、ここ数千万年のうちに、大如来となる人たちが出てくるだろうと思います。

そして、新たな大如来が誕生した場合には、九次元の大指導霊の数が増えることもあれば、大如来のうちの誰かが打の惑星に移り、そこで新たな指導をすることもあります。

このように、人間の魂は、永遠の進化、永遠の努力の過程にあります。そこにおいて最後に勝利するための方法は、忍耐と、うまずたゆまず努力する姿勢、これに尽きるのです。

それがなぜ賛美されるかと言えば、より多くの人に幸福をもたらすことができるからです。「多くの人に幸福をもたらすことこそ、最大の幸福である」ということを、みなさんは知らねばならないのです。(完)
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〇あとがき(旧版)

読者の皆様は、おそらく最終章をお読みになられて、悟りとはこれほどまでに難しいものなのかと嘆息(たんそく)されたことでしょう。たしかに、悟りの道は難しくもあり、けわしくもある道です。しかし、決意こそが最初の出発点であり、また、最終点に至るための原動力でもあるのです。

本書が、無限の霊的進化へのガイド・ブックの役割を果たせたなら、著者のよろこびとしてはこれにまさるものはありません。

一九八八年 八月 
幸福の科学総裁   大川 隆法
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〇新版へのあとがき

一九八八年に刊行された原著を新版で発行するにあたり、仏教思想としてのもう一段の厳密さと、悟りにおける霊能力のみならず、知恵の重要さも加筆しました。

『悟りの挑戦』上・下(幸福の科学出版)『『沈黙の仏陀』(同)『仏陀再誕』(同)などと併読くださると一層理解が進むことと思います。

一九九七年 十月

幸福の科学総裁   大川 隆法


【大川隆法『釈迦の本心』より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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