44 「天狗」の第二の特徴は、その羽にある。「天使」との違いは、羽の折れ曲がり点で鋭い爪がある点にある。「悪魔」にも爪があるが、「天狗」が「天使」と「悪魔」の中間的性質を持っていることをよく示している。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
56 ある時、嘘の投資話でお金をもうけていた男が、白蟻の群れのような被害者の亡霊たちに、全身を食いつくされるところを見た。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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自他を損なう不用意な言葉
○不用意な言葉で他人を傷つけたり、感情を害したりしていないか
他人から嫌われていると思う人は、よくよく自己分析をしてみてください。たいていの場合、言葉で嫌われているはずです。例外を除けば、たいていは言葉で嫌われていると思います。不用意に出した言葉が原因となって、他人から嫌われているのです。それがひと言ぐらいなら許されても、二回、三回、四回と続いたら、他人はもう許してくれなくなります。「この人は、こういう言い方をする人で、こういう考え方をする人だ」という見方が固まってしまいます。決められてしまいます。
他人から嫌われていると思う人は、実際は、他人を傷つけるようなことを言ったことがある人なのです。他人を傷つけたり、他人の感情を害したりしています。そして、害していることに対して何もアクションを起こしていないのです。「みんなが自分をいじめる、攻撃する」などと思っているかもしれませんが、それは、自分が思いつくままに言ってきた不用意な言葉が、他の人々の神経を苛立(いらだ)たせたことが原因である場合が多いのです。
そうであるならば、「私はあのとき、本当に間違っていました」と相手に言えば、そんな悩みは、ほんの数分で終わるのです。謝ってくる人に鞭を打てるような非常な人は、それほどはいません。そのようなことは、なかなかできないものです。反省している人を見て、鞭を打ったり裁いたりできるものではないでしょう。
【大川隆法『真説・八正道』第4章「正語」144pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。
今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第一章 我、再誕す
○わが悟り
我が聞きたる悟りとは、どのようなものであったか。
人間とは何か。人間の使命とは何であるか。
そして、宇宙とは何ゆえに存在し、仏は何ゆえに存在するのか。
仏と人間との関係は、いかようになっているのか。
人間の使命とは、
人生の目的とは、
そして、人間の幸福とは何であるのか。
幸福の奥にある者は何であり、それは、
一生の目標たるに足るものであるのか。
そうしたことを、我は追求し、追求し、その解答を得た。
それが仏陀としての悟りであった。
その我が悟りを、あなたがたの多くは、
今日、さまざまな仏典にて学ぶこともあるであろう。
しかれども、文字にて書かれた文章には、
その形は残れども、匂いがない。
その姿は残れども、内容がない。
あなたがたは、わが悟りとは何であったかを知ることができるか。
あなたがたは、わが悟りが何であったかを
かつて学んだことを思い出すことができるか。
あなたがたは、我が学び来ったる悟りの内容を、
今も確かに思い出すことができるだろうか。
○心の王国
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私はかつて、あなたがたに、
このように教えたはずである。
たとえ、おまえたちは、どのように穢れた肉体に宿っていようとも、
どのような、汚れた衣を身にまとっていようとも、
たとえ、その体が骨と皮になるとも、
おまえたちの魂は、永遠の王国を築いているのだと。
そうして、この王国の主人たる魂は、
この魂を、魂の動きを、
魂の躍動を統御してこそ、
はじめて本物の王者となるのは、
あなたがた一人ひとりがその資格を有するのであって、
あなたがた以上にその資格を有するものはないのであるということを。
よくよく思い出しなさい。
心の支配者となれ、私は説いたはずである。
心の王国を統御せよと、我は教えたはずである。
心とは、
あなたがたが統御する力をつければつけるほど自由自在となり、
それは、天馬のごとく、空高く駆けることも、
地の上を駆けることも自由自在となる。
私はそのように説いてきたはずだ。
まず、あなたがたは、その教えを、その法の核心を、思い出しなさい。
自らの心を統御するのは、自ら自身であるということを。
そして、その心があなたがたに与えられているということは、
その心を統御しうるのは、統御しつくせるのは、
あなたがた自身であるということを。
そして、自らの努力によって、
精進によって、
統御しつくすことのできない心は、ないということを、
そういうことを、私はあなたがたに教えてきたはずである。
そうしてまた、私はあなたがたに教えたはずだ。
自らの心を鍛えた時に、
そこに偉大なる精神力というものが芽生えてくるのだと。
自らの心を鍛えることによって得たこの精神力こそ、
あなたがたの地上での魂修行の大いなる成果なのであると。
今世の修行は、
偉大なる精神力を得るための修行でもあるのだということを。
あなたがたの筋肉が鍛えられて力強い筋力を発揮するように、
あなたがたの心が鍛えられ、練られて、
はじめて、力強い精神力というものが発揮されるのだ。
そうして、いったん獲得されたこの精神力は、
もはや、隠すことができない。
もはや衰えることはない。
もはや、その価値を減ずることはない。
その力は、あなたがたの不朽の宝であるのだ。
そう、私は説いてきた。
人間の精神力は、鍛えれば鍛えるほどに力を増すものだとも、
私は説いてきた。
そうして、この精神力を鍛えるための方便として、
いくつかの修行があることも、私はあなたがたに説いてきたはずだ。
そう、私はあなたがたに、いくつかの修行目標を与えた。
そのなかの最大のものは、執着を断てという教えであったはずだ。
【大川隆法『仏陀再誕』第一章「我、再誕す」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第五章 縁起の法
1 縁の思想
本章では、釈迦の教えのなかで特徴的なものの一つである「縁起の法」について、話を進めていきます。これも釈迦の思想を解く鍵の一つです。
「
む縁起」は「縁が起こる」と書きます。まず、「縁」とは何かについて説明しておきましょう。
「縁」は、仏教の思想として長く人口に膾炙(かいしゃ)してきた言葉であり、いまだに流行から遠ざかっていないと思います。人びとは折に触れて、「ご縁があった」「縁を大切にしたい」「それで振り合うも多生の縁」といった言葉を使います。こうした「縁」の思想が、仏教国である日本には長く伝わってきたのです。
縁とは、「この世に偶然るものはない」という考え方の表れであり、その奥には愛の思想があると言ってよいでしょう。すなわち、「人間は、目に見えないえにし(縁)の糸によって、深いきずなで結びつけられていたのだ」という考え方です。
非常に運命論的な響きがあるかもしれませんが、これは、他人と自分とをまったく切り離してしまうのではなく、そのあいだにつながる仏の糸、仏縁の糸というものを肯定しようとする考えであり、ある意味で正しいことなのです。
霊界には五百億以上の人口がありますが、そのうちの一部が、特定の時代の、特定の地域に生まれてきます。そして、その地方や国の文明、文化をつくり、そして、人間関係をつくってきたのです。その意味では、同時代の同地域に生きる人びとは非常に限定された魂集団であると言えますし、実際、過去世において何らかのえにし(縁)のあった人たちであることが多いのです。
また、この世で出会う人は数多いのに、なぜか気が合って友人になったり、夫婦となったり、師弟となったりすることがありますが、これは単なる偶然ではありません。過去の幾転生の過程で、親子や兄弟、友人などで会った魂が、繰り返し出てきているのです。
もちろん、今生において新たな縁ができることもあります。それもまた一つの仏縁と言うべきものであり、導きによってつくられる縁なのです。そして、その縁がさまざまなかたちで展開していくのです。
人生の成功、不成功も、実はこの縁に関係があります。人間関係はすべて「縁の連鎖」と言うべきものでできており、さまざまな人とのつながり合いのなかで、自疑用の成功、不成功も、組織での出世、不出世も決まってきます。
このように、縁は仏教における人間関係学であり、愛の思想の、別の面からの探求の姿でもあるのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第五章「縁起の法」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。
【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。
災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする 信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。
【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。 その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史
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