(6/16-2)81『仏陀再誕』を読む―信仰と仏国土建設への道―百パーセントの信仰

『仏陀再誕』を読む

〇【正念】腰を落ち着けて「基礎知識」と「経験」を蓄える
これは、幸福の科学の発足自体についても同じようなことが言えるでしょう。私はその間、五年、六年待ちました。発足までにそれだけの時間がかかった分、遅れたようにも見えますが、私自身のいろいろな勉強や経験の期間が必要だったということです。
ただ、そのような間は、「道は示さているのに、どうしてできないのか」ということで、非常にイライラしたり、焦ったりするものです。レールは敷かれているものの、まだ新幹線の速度では走れず、鈍行で走っているようなつらさがあるわけです。「必ず前へ進んでいく」というのは分かっていても、つらいものです。
しかし、ここが、この正念場における、いちばんの「正念場」なのです。ここがこらえどころであり、腰を落ち着けてじっくりと前進していく、蓄えをしていくという姿勢が大事なのではないかと思います。
その間に、蓄積をもとにいろいろな構想を立てていくと、もっと早くなっていき、取り返しができるようになっていきます。
やはり、基礎というのは非常に大事です。物事の判断でも何でもそうですが、「基礎知識」と「経験」がなければ、なかなか見えてこないところが多いのです。反対に、そういう材料があれば、非常に素晴らしい展開となっていくことになります。

【大川隆法『真説・八正道』第八章「正念」280pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、教典『仏陀再誕』を振り返ります。
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第七章 信仰と仏国土建設への道 
○百パーセントの信仰

このように、地上に降りたる仏陀への帰依の姿勢があってこそ、
はじめて法というものは説かれてくるのだ。
仏陀への帰依の姿勢なくば、真実の法は説かれない。
疑いのなかで真実の法は説かれない。
疑いのなかに広がるものは悪魔の領域である。
悪魔はいつの時代も、人びとの疑いのなかに入り込み、
人びとの疑いのなかに入って、お互いの意見を合わせなくする。
お互いにわけのわからないことを言わせ、仲たがいをさせ、
そして、引き裂いてゆく。
信仰を引き裂こうとする。
信ずるものの心をかき乱そうとしてゆく。
しかし、人びとよ。決して迷ってはならない。
決して迷ってはならない。
自分の小さな頭で何がわかるか。
自分の小さな頭で、理解したところで、いったい何がわかるか。
小賢(こざか)しい知恵で何がわかるか。
なにゆえに、そのような小さな頭で、
なにゆえに、そのような小さな知恵で、
仏陀の叡智をはかることができるか。
仏陀を送りたもうた人格大霊の意図を見抜くことができるか。
自らの小ささをあざ笑うがよい。
自らの小ささを卑下(ひげ)するがよい。
そのような立場に、今、自分がないということを知るがよい。
疑いは、これは悪魔の心。
猜疑(さいぎ)もまた悪魔の心。
恐怖もまた悪魔の心。
このような心をもって探求とは言わない。
仏法真理を学ぶ者には、探求の姿勢が大事だ。
探求の姿勢とは、猜疑の姿勢ではない。
探求心とは、猜疑心ではなく、疑念の心でもない。
そのような心が起きた時、
もはや修行の途上にはないと言わざるをえない。
そのような時、その者はもはや修行者とは言われない。

修行者たちよ。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
もし、そなたがたのなかに、信仰にて迷いがあるならば、
静かに群れを離れて、心穏やかになるを待て、
その時を待て。
決して、何も批判を口にしてはならない。
静かに自らの心を平らかにして、過去の人生をふり返れ。
そして、自分がどれほど多くの光を、多くの愛を、
与えられてきたかということを感謝せよ。
そのことを感謝せずして、みだりに疑いをはさみ、
みだりに人の心を迷わせてはならない。
そのような心と行為は、
最も地獄に近いところにあるということを知らなければならない。
もし、四十年間仏陀に仕え、
その法をよく護持し、人びとを導くとも、
最後の一年において、仏陀のほうを疑い、これを攪乱し、
そして人々の心を迷わしたとするならば、
その者、必ずや地獄に堕ちん。
そのようなものである。
信仰とは、百パーセントの信仰にして、
九十九パーセントの信仰はありえないのだ。
九十九パーセントの信仰はゼロに等しい。
信仰は、百パーセントを求める。
それは、仏はすべてであるからだ。
仏はすべてであるからこそ、百パーセント信じなければ、
すべてを得ることはできない。
たとえ、九十九年の人生を信仰に生きても、
最後の一年において、間違いたる唯物論者となって生きたならば、
その者、必ずやまた地獄に堕ちん。
かくのごとき厳しきものがあるということを、知らねばならない。

【大川隆法『仏陀再誕』第七章「信仰と仏国土建設への道」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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