(6/15-2)80『仏陀再誕』を読む―信仰と仏国土建設への道―仏陀への帰依

『仏陀再誕』を読む

〇【正念】神と一体となり、時間の限定をせずに努力していく
先ほど述べた三軒の家の話(p271~276を参照)についても、もし、私が自分の計らい心で、「最初の所が絶対にいい、絶対にここを手に入れる」と一点集中して思っていたら、どうなったでしょうか。相手が、「どうやら、宗教らしいので怖い」と言っているのを、「いや、宗教じゃない。科学だ、科学だ」と言って一生懸命に説得し、「家賃を十万円高くするから貸してくれ」などと交渉までして、ごり押ししていたら、どうだったでしょうか。その段階では、あとに出てくる物件のことは分からないので、そう願ったかもしれません。しかし、私は、「また次が出るだろう」と一瞬で切り替えてしまいしまた。
結果は前述(p271~276を参照)のとおりです。この間のズレが、せいぜい二か月でした。
このように、「時間」のところについては、あまり限定できないところがどうしてもあります。地上の時間の流れとは、多少違うわけです。また、具体的な背景も若干変わることもあります。
しかし、自分が本当に強く願っていて、それが神様と一体となっている場合には、必ず良い結果が現れてきます。ここの絆が大事です。
自己実現の一つの例として述べましたが、やはり、腰を入れて、「必ずよいほうになるだろう」「必ず道は開けるだろう」と思いながら、その間、時間の限定を外し、退却はせず、前進をしていく、その間に自分としての努力をしておくと、必ず道がついていきます。

【大川隆法『真説・八正道』第八章「正念」278pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

明日、16日(日)午後の復活の祈り終了後13:30~名古屋正心館の三石講師が伊勢支部に来館くださり、「妖怪に断ち切られた、天御租神の系譜を取り戻そう!」と題して講話をいただきます。皆様、この機会にぜひ支部にご来館ください。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、教典『仏陀再誕』を振り返ります。
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第七章 信仰と仏国土建設への道 
○仏陀への帰依

しかして、私は言い置く。
宇宙を創造したところの、根本の大霊に対する信仰と、
また地上を去った霊天上界における
実在界の偉大な高級霊に対する敬意と、
そして、もう一つ、敬意を払うべきところがあるということを。

それは、地上に生まれたる仏陀の存在である。
仏陀は仏陀として尊いのではない。
仏陀は、その力を、その悟りを、その光を、その愛を、その慈悲を、
偉大なる大霊から授かっているがゆえに、尊いのである。
たとえ、宇宙の根本仏に対する帰依の姿勢があろうとも、
たとえ、霊実在界におけるところの
高級霊に対する帰依の精神があるとしても、
地上に降りたる仏陀に対する帰依の精神なくば、
この信仰は偽物である。
なぜならば、過去の世界における偉大な宗教を伝えた者は、
すべて地上に降りたる覚者、悟りたる者、仏陀であるからだ。
そのような立場の人を通さずしては、
仏の声を、仏の思想を、仏の理想を、
地上に伝えることはできなかったのである。

さすれば、大宇宙の根本仏と、
実在界の高級霊と、
地上に降りたる仏陀とは、
三位一体(さんみいったい)にして、ともに尊き存在である。
この三者を同じく尊崇する気持ちがなければ、
そこに信仰というものは生まれない。
自分の都合によって、勝手な偶像を大宇宙の根本仏として描き、
また、実在界にあるところの
特定の霊を心のなかに描いて、信仰したとしても、
もし、地上にある仏陀の教えを誹(そし)り、これに背くものあらば、
それは大宇宙大霊の意に反していると言ってよい。
なぜならば、
大宇宙大霊はその時代にすべての責任を仏陀に命じているからである。
仏陀はすべての権限を持って、地上に降りているからである。
その時代の価値観を決め、
その時代の正しさを決め、
その時代の善とは何かを決め、
その時代の真理とは何かを決める者、
それが仏陀である。
したがって、たとえ心のなかで、宇宙の彼方に住むかもしれぬという仏神を、
いかに尊敬しても、
地に降りたる仏陀を尊敬する気持ちがないならば、
もはや、信仰ある者とは言えない。
もはや、道ある者、道を求める者とは言えない。
求道(ぐどう)の者とは、そうした立場をわきまえなければならない。
こうした、心なき者は、
イエスの時代に生まれても、
イエスそこに在りと信じなかった者は数多い。
イエスここに在りと信じえなかったその者たちが、
その後、数百年、数千年を経て、地上に生まれ変わり、
キリスト教会にて、十字架の姿のイエスに対して信仰しておるのだ。
このような愚かなことを繰り返してはならない。
地上に覚者あるときに、
その覚者に対する信仰を忘れてはならない。
地上に覚者あるときに、
その時代に生まれ合わせた喜びを忘れてはならない。
その権威を畏(おそ)れなければならない。
その権威を信じなければならない。
その権威を否定し、忌み嫌い、
この権威を自分の理解の範囲内で解釈しようとする者は、
ことごとく間違いの淵のなかに投げ入れられる。
それは、宇宙の仏を否定することと同じ。
宇宙の仏を冒瀆(ぼうとく)することと同じであるということだ。
このように、仏の代理人を地上に送るということは、
天上界における人格大霊の一致した考えであり、
そうした代理人が地上に降りてゆく時には、
その者の考えにすべてを合わせてゆくことが正しい行為であるのだ。
これが信仰の根本であるということを、
私は繰り返し繰り返し言っておく。

【大川隆法『仏陀再誕』第七章「信仰と仏国土建設への道」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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