(6/13-2)72『仏陀再誕』を読む―転生輪廻とは何か―最大の真理―現代的霊能者のあり方

『仏陀再誕』を読む

79 竜神は、宗教的霊界ではよく出てくる。しかし、現実のこの世では、竜を見かけることは難しい。古代には巨大爬虫類(はちゅうるい)が地上に棲んでおり、空にも翼竜は飛んでいたものと思われる。霊体としては、妖怪として存在している。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

25 夜な夜な悪事を働きに出撃していた男女が、山犬になって駆けているのを見た。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神の御教えを振り返るために、二〇二一年十二月十四日にさいたまスーパーアリーナでのエル・カンターレ祭大講演会にて説かれました『地球を包む愛―天御祖神の教え』から学びます。
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■『地球を包む愛―天御祖神の教えと真の世界正義』
1 世界の隅々まで教えを生き渡らせたい

今日の話が、今年の百二十回目の説法になります。トータルでは三千三百六十九回目だとのことです。【※2021年12月説法当時】

ということで、来年、三千五百回いけるかどうか、一つの目標になっておりますし、本のほうも二千九百冊を超えて出ておりますので、来年三千冊に到達するかどうか、一つの目標になっています。(会場拍手)(編集注。説法当時二〇二二年五月発刊の『自分を鍛える道』〔幸福の科学出版刊〕で三千書を突破)。

延々とやっているわけでございますが、ありがたいことです。みなさん、簡単には悟ってくれないし(会場笑)、私の法も簡単には広がりませんし、本はたくさん出して二千九百冊以上積み上げたら、読む気がする人がいるかどうかは定かではありませんが、それでも、どの一作、一冊がお手元に届くかわかりません。どの一作があなたがたを導くことになるか分からないし、海外の方々もまったく違った種類の本に関心を示しておられます。

だから、私の努力に終わりはありません(会場拍手)。ありがとうございます。

先ほどから、映画ではやや日本神道的な色彩のある、次の映画(『愛国女子―紅武士道』〔製作総指揮・原作 
大川隆法〕)の宣伝を兼ねた音楽なども出ております(編集注。本法話の事前プログラムとして、映画の主題歌「愛国女子は往く」の観賞があった)。

今回、(生誕の地として)日本という地を選ばせていただきましたけれども、私の心は、現在、日本語で話してはおりますが、はるかにこの国を超えて、「世界の隅々まで教えを生き渡らせたい」と思っております。

今日は全世界三千五百か所で衛星中継になっておりますけれども、インドとかネパールとかでは国営放送のテレビを何度もかけられますので、実は日本で聞いている人よりもはるかに多くの方が私の話を聴くことになります。ですから、本当は英語かヒンディー語でしゃべらなければいけないところなのですが―、どんな訳になっているかは信らないけれども、現地の翻訳でやってもらうしかございません。ただ親切なことに、「聞き逃す人がいるので繰り返しかかる」そうなので、やっているうちに分かってくる方もいると思います。

また、日本も時間的には何か月か遅れることが多いのですけれども、地方局ではありますが、数局、だいたい五、六局ぐらいのテレビ局では、私の御生誕祭とエル・カンターレ祭の法話は流してくださっています。近県の方も合わせれば、かなりの数の方が観てくださっています。

ですから、私は目の前に座っておられるみなさんを、いちおう念頭においてお話をいたしますけれども、この話はずっといろいろな所に広がっていって、当会の予定しているところでは、最終的に来年の三月末ぐらいまでかかって聴く人がいるとのことであります。ですから、内容的に時事的なものだけであってはならず、一般的な、あるいは普遍的な内容も含んでいなければならないものだと考えています。

【大川隆法『地球を包む愛―天御祖神の教えと真の世界正義』第一章より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』
5 希望実現の法則【正念】

①心の底から実現を願う「念い」を出しているか
〇「wish(思い)」と「desire(念い)」の違いを知る

さて、ここで「幸福への希望」ということで述べていきます。

この「幸福への希望」とはどのようなものかを考えてみると、要するに、自分が「こうなりたい」と思うことが、そのようになればよいわけです。しかし、「こうなりたい」と思うものが正当であり、そのとおりになっていけばよいのですが、現実は、なかなかそうはなりません。「こうなりたい」と思ってもならないでしょう。

そのため、こうした希望実現のことは、少し聞いても忘れてしまうのではないかと思います。「あれは、やはり、特別な人だけにあてはまることで、自分には関係がない」と思ってしまうのではないでしょうか。

英語では、「こうなったらいいな」ということをあらわすときに、「wish・ウィッシュ」と「desire・ディザイア」という言葉を使います。「できたら、こうなるといいなあ」「できたら、こうなってほしいな」というものが「wish」です。「desire」は、より切実になります。「こうなってほしい。いや、なってもらわねば困る」というものが「desire」です。

実は、ここが、希望実現における「思い」と「念」を分けるところになるのです。「desire(念い)」まで行かなければ、希望は実現しないということです。

「wish」で、「こうなったらいいなあ」と思い、そういう波長を出したとします。ところが、三次元的には、それを邪魔するものもいろいろあるので、そういうものにプチっと当たると、方向が変わってしまうわけです。

例えば、ベンツ車が走っていて、岩にぶつかったとします。そのときに、岩も少しは動くでしょうが、ベンツもそのまままっすぐには走れません。さらに岩に当たるともっと逸れていきます。

このように、「こうなったらいいな」と思っているのに、障害にぶつかってしまうと、結局、実現しなくなってしまいます。そういうものに二つぐらいポンポンと当たると、もうだいたい諦めてしまうのです。これが大多数の人の姿でしょう。

ところが、この思いが「desire」になると、”戦車”のようなものになるのです。“戦車”が”岩”に当たったときには、岩が動かなければ、大砲をバーンと打ち込み、吹っ飛ばしてでも進むという感じでしょうか。

そのように、念いが”戦車”まで行けたら、希望は実現するわけですが、”ベンツ”だと、「当たって傷ついたら困る」と思って、余計に行けなくなるかもしれません。要するに、自己イメージと非常に関係があるわけです。

〇自分は心の底から「幸福になりたい」と思っているかを考える
ですから、もし「幸福になりたい」と思うなら、「正念」のところで「自分はどちらのほうか」ということを考えなければいけません。

この段階で、もし、ベンツのようなもので止まっているならば、岩に当たると傷つくのでまっすぐには進めず、逸(そ)れてしまいます。しかし、戦車ぐらいにまでなれば、岩を押しのけていくこともできるし、岩が動かなければ、砲弾を撃ち込んで飛ばしてしまうこともできます。ここまで行けば、道が開けないわけはないのです。こういう考え方の違いがあると思ってください。

つまり、「幸福になりたい」と思っても、表面で思っているだけでは絶対に幸福になれないということです。表面だけでそう思っている人はいくらでもいるでしょう。しかし、その心底においては、本当は、「”ベンツ”だから傷ついたら困る」と思っている人は多いのです。そうすると、当たらないのがいちばんよいことになるので、やはり、あたって傷つかないよう逃げるわけです。「前へ行きたい」と思いつつ、”ベンツ”は高価だから傷つくのが嫌で、逃げてしまいます。

【大川隆法『真説・八正道』第八章「正念」259pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第六章 転生輪廻とは何か 

○最大の真理
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私はひじょうに悲しい。
おまえたちは、自分が盲信・狂信をしているように、
人びとから言われるということを、ずいぶん恐れているようだ。
しかし、私は言っておく。
事実は事実、真実は真実。
何人もこれをねじ曲げることはできない。
あなたがたを、たとえあざ笑い、否定し、批判し、
また、謗(そし)る者が現われても、彼らは何も知らないのだと思いなさい。
何も知らない彼らが、
真実を知っているあなたがたを批判することはできないのだ。
人は、自らが知りえたること以上のことを言うことはできない。
自らが認識したこと以上の認識を示すことはできない。

同じ時代に、同じ地域に、同じような立場で生まれ合わせたとしても、
それぞれの魂の境涯はさまざまである。
それは、永遠の進化の過程において、
ある者ははやく進み、ある者は歩み遅くついてきているからだ。
その事実が、地上にある間には、なかなかわからない。
いや、むしろその逆であることも多い。
この世では、この世的に住みよい人、
この世的に住みやすくしたいと思う人間、
この世的によりよく生きたいと思う人間を、
重用する傾向がある。
それゆえに、あの世を信じ、あの世の世界の幸福を願う人間が、
この世では生きにくくなっているやもしれぬ。

されど、勇気を奮い起こせ。
真実を知っている者は、強くなくてはならない。
真実を知っている者は、心弱くあってはならない。
口さがない者たちの批判に負けてはならない。
表面的な理解しかできていない者たちの批判に、負けてはならない。
真実は真実、事実は事実。
世の常識を、世の常識としていつまでも通用させてはならない。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
わたしは、おまえたちに、これだけはどうしても言っておきたいのだ。
おまえたちの最低限の仕事として、
人びとに永遠の生命を教え、
また人間が
この世とあの世を転生輪廻している存在であるということを、
教える必要があるということなのだ。
実は、この思想こそが、
人間として生まれ、生き、成長してゆく過程において、
発見するところの最大の真理であるのだ。
ほかにいかなる地上的真理を学ぼうとも、
それらの真理の値打ちは、この真理にはかなわない。
この真理から見れば、ほんの子供だましにしかすぎない。
人間が永遠の生命を生き、転生輪廻をしているという事実、
その事実を知った時に、人びとの価値観は変わらざるをえない。
人びとの価値観はまったく一八〇度の転換を見るようになるであろう。
すなわち、それより後、
人びとは、自分の人生をもっともっと長い時間のなかで、
考えることができるようになってゆくということなのだ。

【大川隆法『仏陀再誕』第六章「転生輪廻とは何か」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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■『漏尽通力』
第四章 漏尽通力
2 現代的霊能者のあり方

以上の観点でもって、現代的な霊能者のあり方を再検討してみたいと思います。

現代の霊能者の諸相は、いったいどのようなものでしょうか。少なくとも、大多数は世の尊敬を受けていないということは事実であろうと思います。世の尊敬は受けていないけれども、なかには、世の興味を引いている人は数多くいます。「他人にはできないようなことをする」ということでもって、若者の目を引きつけたり、心を引きつけたりすることは、数多くやっているように思います。

例えば、「ある種の行法をやれば自分の運命が変わる」とか、「炎のなかに龍を出して見せる」とか、「祈りさえすれば、すべてがよくなる」とか、「このお札をつければ、すべての病気から逃れられる」とか、「このご神水を飲めば、たちどころに病が癒える」とか、「入会すれば天国に行ける」とか、こうしたことを数多くやっているようで、そのよすがとして、霊的能力を誇示している人々が多いと思います。

確かに、霊的能力自体は、神が人々に真理を教えるための方便として与えているものなので、多くの人々を教化し、影響を与え、多くの人々に真理に気づかせるための方便としての霊能力はありうるわけです。しかしながら、それが行きすぎた場合には、世の常識を覆すのみならず、人々を転落させる、あるいは人心を迷わせる恐れを持っていることも事実です。

したがって、「宗教は本来、素晴らしいものでなければならないし、本来、世から評価されるべきものでなければならないにもかかわらず、宗教ということは自体が、日本において悪しきイメージを醸し出している」という現状の原因はいったいどこにあるかというと、巷の霊能者たちの数多くの暗躍にあるのです。彼らが姑息な手段をいろいろと用いて、人々を惑わし、また、いろいろな利益の追求をしたりしている。そういうことが原因で、混乱が起きているわけです。

こうした現代的霊能者のあり方を見るときに、やはり、「漏尽通力、すなわち、霊能力を持ちながら、現代人と同じ、通常人と同じ、平常人と同じ生き方ができる、いやそれ以上に優れた生き方ができる人は少ない」と感じます。

特に「神の声を聞いた」「高級霊の声を聞いた」という人たちの群れのなかに、異常な人が多い。こうした事態は、断固として改革していく必要があります。こうした現状の改革は、どうしてもやらねばなりません。この霊能者の諸郡、霊能者諸像、あの在り方の改革は、どうしてもやる必要があります。

それは、「この地上界においては、霊的能力に関し、『何が正か、何が邪か』『何が真で、何が偽か』ということを判定する基準がない」ということが非常な問題となっているわけです。

私たちが、続々と霊現象を見せ、霊言集を世に問うている理由の一つも、そうした物差しをつくらんとしているためです。もちろん、「霊能者によって、さまざまな多様な個性の一片の光と見ることもできるけれども、私たちは、多様な霊言集を世に問うことによって、「それは、多様な考え方のなかに包摂される教えであるのか、その基準からまったくズレているものであるのか」ということを問おうとしているのです。

こうしてみると、現代的霊能者のあり方でいちばんの問題は、「その者たちの教えを受けたり、その者たちの修法、行法を学んだ人たちが、異常な世界に入っていくことが多い」ということです。それともう一つは、「霊能者信仰といって、『霊能力を持つこと自体に意味がある』という考え方に陥っていく可能性がある」ということです。これは非常に戒めるべき現象です。こうした霊能力信仰に陥ってはなりません。

実際、霊視をすることができるものから見れば、神とか、仏とか、高級霊とかと名乗っているものが、単なる動物霊にしかすぎないことも数多くあります。最高の知性を備えたはずの人間が尻尾をユサユサと振っている狐とか、蛇とか、こうしたものの言いなりになっている。こんなバカなことが現実にあるのです。

人間はもっと尊厳を持たねばなりません。そして、人間が尊厳を取り戻すためには、やはり、真理の世界を正確につかむ必要があります。真理を間違いないものとして受け止める必要があります。

「知らないということは、罪だ」ということを知らねばなりません。知らないからこそ、平然としていられる。それが、現在の大多数の人々のあり方ではないでしょうか。霊的世界を知らないことを当然だと思っている。当たり前のことだと思っている。そして、霊的なことを知っている人と言えば、みな、おかしい人と決めつける。こういう常識は、どうにかして覆していかねばなりません。

霊的世界のなかに素晴らしいものがあることを示し、そして、その素晴らしいものの光で照らしてみることによって、「悪しきものが、どれだけさまざまに暗躍しているか」ということを、はっきりさせてしまう必要があります。日の光に照らされたら”害虫たち”はやがて退散していくことになっているのです。日の光が足りないのです。害虫を退治することよりも、日の光をもっともっと強くしていく必要を感じるのです。

さすれば、私たちの目標は、決して霊能力を否定することにはありません。ただ、「霊能力が付随することでもって、その人がいっそう素晴らしい人格を築き、いっそう素晴らしい力を持っており、いっそう多くの人の尊敬を受けるような生き方ができる。こういうあり方でありたい」と考えるわけです。それが現代的な霊能者のあり方ではないでしょうか。

すなわち、「神が言った」「仏が言った」「高級霊が言った」ということ、こういう言葉を抜きにして、その人自身の考え、言動、行為、信条、思想、過去、経歴が、はたして世に出して恥ずかしくないものであるかどうか。これが問われているのです。世に出して恥ずかしいような経歴ではないかどうか。「まったくの精神錯乱のなかで、突然に悟った」というようなものであってよいわけではないし、「失意のままで何十年も生きているうちに、突然、神の声が聞こえた」、あるいは、「崖から落ちたときに神の声が聞こえた」ということが、本当に真理への誘いであるはずがないのです。

神が自らの独り子であるとか、自らの側近き者たちを、本当にこの地上に遣わしたならば、彼らは、この世的にも優れた能力を持っているはずです。持っていなければ、そんな人が天上界において、最高指導霊としてやれるはずがないのです。この世的にも、それなりの力量を持っているはずです。そういうことを言うことができるのではないでしょうか。

したがって、「神の声が聞こえる」とか、そうした霊的能力を取り去り、その人が裸で勝負したときに、値打ちがある人間かどうか、ここが分かれ目です。少なくとも、そのときに、平均以上の人と言われるような、あなたがたでなければ、霊的能力を持っていることはマイナスにしかすぎません。まったくのマイナスです。それを取り去ったときに、平均以上の人間であるか、人物であるか、人柄であるか。これが問題です。

このように、現代的霊能者のあり方は、「霊能力を取り去ったときに、どれだけの実力があるか」というところで測らねばなりません。そして、「そうした優れた人物が、霊能力を持つことによって、さらにその能力が倍加、二倍、三倍、四倍になっていく」というあり方であってよいのです。霊に翻弄されるようであってはいけません。こういうことを私は強く思うものです。

【大川隆法 『漏尽通力』第4章「漏尽通力」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶16周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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29 美人であるとか、美男であるとか、病気になると、かすんでくる。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

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