65 「鬼」の定義は、多様、多種類である。唯一の共通項は、頭に角が生えていることである。一本角の鬼は、一途なところがあり、直線的である。二本角は、受信と発信機能を持っており、性格的には、陰陽の両面がある。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
38 小さな蜘蛛たちが、動物の死骸のまわりに集まっていた。生前、人々から小銭をせびっていた人たちだった。突然、火球が降って来て、彼らは、丸焦げとなった。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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■第3章 現代の武士道 質疑応答
質疑応答1 相手の筋の見極め方とは
〇質問1
御法話「現代の武士道」の最後のほうで、「善悪・正邪を分けるときに、物事の筋をしっかりと追っていく」という視点を教えていただきました。
政治においても、私たちの生き方においてもそうですが、さまざまな真剣勝負のなかで、「相手の筋が違っている」と思ったときに、どのような心で、また、どのようなものの言い方や迫り方で、潔くぶつかっていけばよいのでしょうか。「筋の見極め方」といいますか、そのような態度や方法があればお教えいただきたいと思います。
■答え
〇「きちんとものを言うべきとき」の見極め方
大川隆法
仕事柄では、マスコミのなかでも週刊誌等は、ゴシップ的なレベルのもので、いろいろと言ってくるようなことが多いのではないかと思います。
ただ、そのやり方は、正々堂々と御前試合をして、決着をつけようというものではないことが多いわけです。部屋で眠っているときに、布団の中にゴキブリやクモのようなものを投げ込んでいやがらせをするようなレベルの、小さな小さな小細工をたくさんしてきます。
そういうものについて、「忍耐できる範囲のものか。あるいは、放置すれば世の中の乱れになり、悪い風潮になると考えるか」ということです。
こうしたものに対しては、やはり、「言わねばならない」と感じたときに、きちんとものを言うことは大事です。
もちろん、普段は「怒らないこと」も大事なのですが、「怒るべきときに怒ること」も重要なのではないかと思います。いたずらが過ぎるようなら、それは言わなければなりません。
週刊誌レベルだと、同じテーマについて、反対側からも言ってくることはいくらでもあります。こちらから攻めてみて通らなかったら、今度は反対側から言ってみたりと、節操のない言い方をよくしているはずです。このあたりについては、やはり、もう少しバシッと筋を通してほしいと思います。
卑近な例として、国際政治的なものでは、今、「香港の問題」があります。【説法当時2019年10月31日時点】香港については、私も何度か言及していて、講演会で話したり、幸福の科学の月刊誌などにも載ったりしています。
こうした問題に対しては、マスコミの大部分は判断を保留して逃げているわけです。何かめったなことを言って、あとでマイナスのことが起きたら、責任が生じるからでしょう。政府も逃げています。(次回に続く)
【大川隆法 『現代の武士道』第3章「現代の武士道」質疑応答 より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』
1正命の現代的意味【正命】
〇人は「時間」の下に平等だが、その使い方によって世界が分かれる
「時間」を金貨にたとえた人もいました。
毎朝、起きるたびに、二十四枚の金貨がポケットの中に入っている。ところが、見ていると、ポケットのなかから金貨を取り出して、ドブのなかに捨てて歩いている人が大勢いる。それでも、いっこうにおかしいと思っていない。本当は、「時間」は金貨以上の値打ちを持っているものなのだ。それにもかかわらず、「金貨を捨てたらおかしい」と思っても、「時間を捨てることをおかしい」と思わない人があちらこちらにもいる。まことに嘆かわしい。
このように考えた人もいました。
また、『黄金の法』のなかにも書いておきましたが、「二十四時間という時間の下における平等性」を考えて見ることも大切です。
何の下に各人が平等であるかというと、時間の下の平等ほどはっきりしたものはないのです。どんな人であっても、一日二十四時間しか与えられていません。この二十四時間を使って偉人になる人もいれば、まったく世の中を害しただけで終わってしまう人もいます。
そして、「天国・地獄は来世で分かれる」と言われていますが、それらはすべて、こうした時間の使い方で分かれてきた世界なのです。「自分の時間をどういうものに使ってきたか」ということです。
【大川隆法『真説・八正道』第6章「正命」210pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第四章 政治と経済
○政治の真実
今の日本という国の政治を見ていて、
いちばん嘆かわしい点がここにある。
諸党派相(あい)争い、自らの利害を主張し合う。
これを民主主義と言う人もいるのであろうが、
こうした政治が、決して仏の心にかなうとは、私は思わない。
ほんとうに仏の心にかなうならば、
ほんとうは、諸党派相(あい)集まって、
ほんとうに世の中を、人々の心を、
明るくし、幸せにしてゆくには、どうしたらよいかということを、
真剣に考え合わねばならない。
真剣に提案し合わねばならない。
欲望の民主主義は真実の政治ではないということを知らねばならない。
欲望に基づいてお互いの利権を主張し合うことをもって、
自由と混同してはならない。
自由とは欲望の自由ではない。
自由とは欲望を競わせることではない。
そんなことが本当の民主主義であってはならない。
欲望の民主主義であってはならない。
煩悩の民主主義であってはならない。
自らの政治の利便のために、
自らの生活の利便のために、
欲望のために、候補者を選び、
そしてそのためだけに政治をやらせてはならない。そうであってはならない。
より多くの人々が、
いや、万人が満足できるような社会をつくり出してこそ、
はじめて素晴らしい政治だと言えるのだ。
そのためには、心から争いを去ることが大事だ。
心から争いを去らねば、真の調和は生まれない。
今、いろいろな政党が相争っている。
仏の目からみて、これがいかに嘆かわしいことであるかがわかるか。
また、同一政党のなかにおいても、各派が相争い、
自らが首長になろうとして、競争している。
それはそれで進歩の原理にかなうところもあるのではあろうが、
しかし、「それにしても・・・」という感が拭えないのはなぜであろうか。
それは、人びとに、
争い事を好む人を上には置きたくない、
という気持があるからなのだ。
下々のものが争うということは、
見ようによっては、
子供たちの他愛もない喧嘩のようにも見えるであろう。
しかし、自らの上なる人、
人びとの上に立つ人たちが相争う姿を見て、
どうして国民が心穏やかに生きてゆくことができるだろうか。
争いを上において、下が、何ゆえに穏やかになるだろうか。
調和できるであろうか。
調律できるであろうか。
そんなことは、矛盾でしかない。
矛盾以外の何ものでもない。
人の上に立たんとする者は、
秩序と調和というものを大切にしなくはならない。
そして、常に多くの人に見られ、
多くの人びとに、
徳ある人として尊敬される人間でなくてはならないと思う。
国会という国の政治を議論する場において、
粗暴なる言動は許されない。
人間として恥ずかしい行為は慎まなくてはならない。
そして、いかに自らが当選し、自らの権益を拡張したいからといって、
他を追い落とし、他の人格を批判するがごとき言動は、
厳に慎まなければならない。
そうしたことを、言論の自由と呼んではならない。
私はそう思う。
政治の貧困は、心の貧困に起因する。
政治は、国民から選ばれる人びとによって行われている。
国民から選ばれたる人々が、心不在の政治をするというのであれば、
彼らは選ぶ国民の側にも心が不在していると言わざるをえない。
そんなことであってよいはずはない。
真心の政治をせよ。
誠心誠意、人々のために尽くす人を選べ。
誠心誠意、世の中をよくするために行動する人を選べ。
そういう風潮を出してゆかねばならない。
今の政治は、憂うべきことである。
誰選ぶか、それが分からないのであるならば、徳高き人をまず選べ。
いちばん徳高き者は誰であるかを互選によって選べ。
数の力でもって決めてはならない。
金銭の多寡によって決めてはならない。
その人の政治手腕のみによって決めてはならない。
いかに仏に近き人を選ぶかということが、大事であるのだ。
そうして、政治のなかには、
決して諸党派の相争いを持ち込むのではなく、
どういうふうなことをするならば、
国民が豊かになり、幸せになるかということを、
常に念頭に置かねばならない。
【大川隆法『仏陀再誕』第四章「政治と経済」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第六章 人間完成の哲学
9 如来の本質
「千人の阿羅漢向のうち、菩薩になるのは五人もいればよいほうであり、また、阿羅漢から菩薩への修行には千年の年月がかかる」という話をしました。
それでは、菩薩が如来となるためにはどうすればよいのかと言うと、いろいろな時代や地域に、菩薩として、二十回、三十回と生まれ、どの時代のどの地域に生まれても、自分の目標を八割から九割以上達成できた人が、魂の安定感と仕事の能力を買われて如来になるのです。
それゆえ、菩薩が如来となるには、成功の経験を一万年以上は続けていかなければなりません。それも、「上段階の菩薩として」という条件があるので、非常に難しい修行となります。
菩薩として進化して、上段階の菩薩となったとしても、一万年ものあいだには、転生輪廻の過程で、ある程度の浮き沈みをつくり、間違いを犯すことがあります。菩薩として、人を生かし、利他行に励む立場にあるにもかかわらず、あるときには、新興宗教の教祖となり、魔にそそのかされて自分を宇宙の根本神のように思ってしまい、間違いを犯す例もなきにしもあらずです。
ただ、そうした間違いを犯しても、本来は霊格の高い人であるため、やがて立ち直り、元の世界に戻ってきます。しかし、そのときはまたゼロからのスタートになります。菩薩として千年二千年の修行をしていても、いったん転落し、二百年か三百年、心の垢落としをした場合には、もう一度、初めから修行を始めなければならないのです。
このように、「上段階菩薩として、一万年間、成功し続ける」ということが如来の条件であり、たとえ九千年間は成功したとしても、残り千年でつまずいた場合には、その九千年がふいになり、またゼロから一万年を始めることになります。それだけ難しい修業となっているのです。
そのため、上段階菩薩のなかで如来になる魂は、一万年間で五百人に一人ぐらいしかいません。五百人の上段階菩薩が努力に努力を重ねた結果、一万年に一人だけ如来になるということです。
現在、霊天上界には、如来を目指して修行中の上段階菩薩が二千人前後いると言われています。五百人に一人の割合だと、二千人では四人になります。つまり、一万年間に四人だけ、菩薩のなかから如来が出るのです。すなわち、如来が出るのは、平均すると二千五百年に一人ということになります。
現在、地上に約六十億人、霊天上界をふくめると約五百億人います。その五百億人が修行に修行を重ねた結果、二千五百年に一人だけ如来が誕生するのです。如来となる道はこれほど難しいものなのです。
しかし、たとえ二千五百年に一人であっても、その一人が出ることは、人類全体にとって大変な喜びです。部屋に一〇〇ワットの電球をつけるとパッと明るく輝くように、実在の世界においても、二、三千年に一度、如来が誕生すると、大きなシャンデリアが飾られたようになり、そのたびに喜びが満ちあふれます。新たな如来を迎えて、天上界の力が増すのです。
天上界では、こうした根気強い活動をうまずたゆまず続けています。如来となった人は、女王蜂のごとく、数多くの”卵”を産み、多くの者たちの精神的な中心になっていきます。新たな指導者の誕生です。如来はそれだけの年月をかけて努力を積んでいるので、不動の実力を持っており、その実力でもって多くの人びとを導いていくのです。
現在、天上界にいる如来は五百人にも満たず、四百数十名であると言われていいます。それだけの人数で五百億近い人間を指導しているのですから、如来には、一人で一億人ぐらいを指導できるだけの力が必要となります。
そうした指導力を養うために、上段階菩薩としての修行を一万年も成功させ続ける必要があるのです。しかし、それだけの実績を積めば、誰もが必ず入っていける道であることも時事なのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第六章「人間完成の哲学」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶16周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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42 医者は、病状の悪さをいう習慣がある。「心配してくれているのだ。」と思おう。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き
(5/30-2)59『仏陀再誕』を読む―政治と経済―政治の真実―如来の本質
