23 妖怪は、容姿、学歴、身のこなし、セクシーさ、金満家であることで、貴族性を誇示する。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
73 ウクライナの狐とロシアの熊が戦っている。地獄に堕ちている先住民が、狐料理と熊料理の準備をして、堕ちてくるのを待っていた。
74 北朝鮮の地獄の底では、「大将軍」と称される毒蜘蛛が、洞窟に大きな巣を張っていた。地上の指導者たちにも、毒蜘蛛の糸がからみついていた。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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■『現代の武士道』
第1章 武士道の根本―武士道の源流―
1 歴史上の偉人たちに見る「武士道精神」
〇古代中国の項羽の生き方に見る「恥や名誉、潔さ」
そのように、武士道は日本だけのものかというと、そうではなく、精神的には、中国にだってなかったわけではないような気がするのです。
例えば、秦の始皇帝の時代が終わりを迎え、秦が数十年で滅びたとき、天下の英雄が現われて戦いましたが、最後には項羽と劉邦が並び立って、劉邦が勝ちました。劉邦のほうが参謀が多く、強かったのです。
項羽自体は「猪武者」のようにいわれるところもあるのですが、ある種の武士道のようなものがあったような気がします。
彼は、最後には「四面楚歌」になり、周りから、項羽の出身地である楚の国の歌が聞こえてくるようになりました。
ただ、これは劉邦の参謀がつくった作戦でした。「その国の歌が聞こえる。楚兵までが裏切って、自分の敵に回ったのか」と相手をがっかりさせ、ディプレッション(depression・意気消沈)に追い込むための作戦だったのですが、これで項羽は、「武運尽きたり」ということを感じ取り、「負ける」ということを知るわけです。
項羽には、虞(ぐ)美人という妻がいました。項羽は、当時にしては珍しく妻を一人しか持たず、戦場にも連れて歩いていたのですが、「虞美人を残しておいたら、敵軍に捕られて辱めを受けるだろう」と思ったのでしょう。「敵の辱めを受けるのは忍びないけれども、連れて戦いながら逃げるのも難しい」ということで、虞美人が喉元を突いて自害するのを見届け、そのあと自分たちだけで血路を開いて脱出していきました。
それに対して、劉邦軍の韓信は「十面埋伏(じゅめんまいふく)」の陣を敷き、「いろいろな所に兵を伏せて、少しずつ項羽の戦力を削いでいく」という作戦を取っていました。
項羽のほうが強く、正面攻撃をして決戦をしたら負けるため、「項羽の群を少しずつ削いでいく」というかたちの作戦を行ったのです。
そのため、だんだんに兵が減り、闘いを始めたときには数万騎あった項羽軍が、数十騎になっていました。ここから何度も突撃をくり返すのです。
そして、烏口(うこう)という土地に着いたとき、項羽は、揚子江(長江)の渡し場で渡し守をしていた亭長(ていちょう)から、「船があります。これで向こうまで渡れば、そこは楚の国です。命あっての物種です。これでのがれてその国に帰れば、兵を蓄えて、もう一回、捲土重来(※けんどちょうらい・まえに敗れた者が、いったん引きさがって勢いを盛り返し、意気込んで来ること)で戦うことができるでしょう。今は一人でもいいから落ち延びなさい」というようなことを勧められます。
しかし、項羽はそれをよしとはせず、「なせ、負け戦で一人だけおめおめと故郷に帰れるか」と、錦を飾って帰るならいいけれどもそういうことはできないということで、最期は敵陣に一人、自分で首を刎ねて果てるのです。
このあたりにも、やはり、武士道のようなものを私は感じるのです。「恥」や「名誉」、それから「潔さ」を感じるので、影響していないわけはないと思います。これは紀元前のことで、イエス・キリスト以前のことです。
【大川隆法 『現代の武士道』第1章「武士道の根本―武士道の源流―」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』
1正思の基準は神の心
〇幸福の科学の「正しき心の探求」は「正思」のあたりに照準がある
「正思」の部分は、そう簡単には卒業できません。何回転生しても、それほど簡単には卒業できない部分です。幸福の科学の「正しき心の探求」というものも、このあたりに照準があることもお分かりになると思いますが、修行としては容易には終わらないところであります。
まず、正思の根本はどこにあるのでしょうか。それは神仏の心です。
人間は、「正しき心」というものについて、いくら考えても、追いかけても、なかなか分かるものではありません。それが現実であろうかと思います。
なぜならば、「正しき心」の根本というものは、人間に求めるべきではないからです。それは神仏に求めるべきことなのです。この尺度こそ、神仏に求めなければ、求めるところがないのです。ここにあるのです。
もし、神のお心は違ったところに基準があるとしたら、人間の考え方、行動のパターンも違ったものになるはずなのです。ただ、北極星に向かうがごとく一定の方向へと向か数ことを義務づけられている理由は、この「正しい思い」というものが神の側から規定されているいためです。そう考えてよいでしょう。
【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」90pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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■『永遠の仏陀』
第四章 跳躍の時
〇奇蹟の時
さて、
おまえたちにとって、とても大切な話をすることとしよう。
おまえたちの魂が飛躍するために、
どうしても必要な事柄を述べたいと思うのだ。
おまえたちは、常に、平凡な毎日のなかに生きることを、
飽き飽きと感じることだろう。
私は、そういうおまえたちに対して、
「いや、人生とは、
そのような飽き飽きするもののみではない」と語りたいのだ。
「その様に平々凡々とした毎日ばかりではない」と告げたいのだ。
そう、おまえたちも、若いころに、
「世の中には、さまざまな体験をする人がいる」という話を聞き、
「いつかは、自分にも、
そのような体験のときが来るのではないか」と思ったことだろう。
そのとおり、
平凡に生きていたと思われる人間が、
ある日を境にして、まったく変わった人間となることは、
充分にありうることなのだ。
「そんなばかな。自分に限って、
そんなことがあるはずはない」と思う人もいるだろう。
けれども、よくよく心を落ち着けて、
私の話を聞いてほしいのだ。
少なくとも、おまえたちは、
この、私の書いた書物を、
いま、手に取って読んでいるはずなのだ。
私が書いた、この書物を、
手に取って読むということ自体が、
大変なことであるのだ。
それは、まさしく、おまえたちにとって、
過去と未来を分ける、
一つの事件であると言ってもよいであろう。
人類の長い歴史のなかでも、
今という時ほど重要な時はない。
私は、それを、くり返しくり返し、
おまえたちに告げているのだが、
おまえたちの多くは、なかなか、そのことに気がつかない。
というのも、自分自身が、
平凡性のなかから抜け出すことができないからであろう。
しかし、私は言っておく、
仏の再誕する時に生まれ合わせ、
その教えにふれるということは、
大きなことであるのだ。
しかも、仏の教えにふれて、
みずからの人生がまったく違ったものになるということは、
それはまさしく、奇跡の時であるということなのだ。
人類の歴史をひもといてみるならば、
過去、偉大な如来が数多く地上に肉体を持ち、
そして、尊い仕事を成し遂げてゆく過程において、
数多くの人々の魂が、
今までにない輝きに包まれたということは、
おまえたちの想像に難くないことであろう。
人間は、何度も何度も、くり返し地上に生まれ変わり、
新たな魂修行をしているのであるが、
こうした偉大な如来が地上に降りる時に、
その教えを学ぶということは、
おまえたちにとって、魂が跳躍するときでもあるのだ。
そう、ちょうど、
わずか一回のその転生が、十回分にも相当する、
そのような魂修行に値すると言っても、過言ではない。
いや、それ以上の価値ある時を魂に刻む者も、
なかにはいるのだ。
それは、そのとおりだ。
あの太陽のような光が、
おまえたちの胸を、
その、閉じられた胸の扉を開けて、
差し込んでくるというのだから、
いままで暗闇に閉ざされていた、その心の内が、
くまなく、明るく照らされるのだ。
その時に、
はるか昔に忘れ去った、あの懐かしい感動が、
呼び起こされるに違いない。
おまえたちは、
目の見えぬ者を見て、気の毒に思い、
においをかぐことができぬ者を見て、気の毒に思い、
足の動かぬ者を見て、気の毒に思い、
手を使うことができぬ者を見て、気の毒に思う。
しかし、魂の目が開かず、
魂の耳が閉じており、
魂の鼻がにおいをかげず、
魂の口が物を食べることができず、
魂の手が縛られ、
魂の足が、歩くことを許されないときにも、
おまえたちはその不自由を感じないでいる。
それは、永い永い年月のあいだ、
忘却のなかにいたからなのだ。
しかし、真実を知った時に、
おまえたちは変わってゆかざるをえないのだ。
【大川隆法『永遠の仏陀』第四章「跳躍の時」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第三章 六波羅蜜多の思想
4 布施波羅蜜多
六波羅蜜多の最初には「布施波羅蜜多」があります。これは、別名「施しの完成」とも呼ばれています。
釈迦の思想では、「施し」が非常に重要視されています。「施し」という言葉は、いかにも仏教的な響きを有していますが、その根本は愛の思想であると言ってよいでしょう。キリスト教における愛の思想が、仏教では、布施の考え方、「施す」という考え方のなかに流れているのです。
六波羅蜜多の筆頭に布施波羅蜜多があるということは、釈迦が慈悲的な意味合いでの愛をいかに重要視していたかを示す証左と言えるでしょう。
ここで、「波羅蜜多」という言葉について、説明を加えておきましょう。
漢訳の「波羅蜜多」というのは、インドの言葉パーラミター(paramita)の音写で、到彼岸、つまり「理想状態に達すること」という意味ですが、「波羅蜜多」は意訳もよくできています。「波羅」を「内在する」、あるいは「心の奥底の」という意味にとり、「蜜」は「非常に価値のあるもの、値打ちのあるもの」、「多」は「こんこんと湧いてくるさま」に意訳すると、筋が通ります。
すなわち、「心の井戸を深く掘ると、こんこんと叡智が湧いてくる」という意味で、「波羅蜜多」という漢語訳を使っているのです。
したがって、「布施波羅蜜多」というのは、布施という行を通じて、こんこんと湧いてくる叡智を味わい、それを見につけるための修行方法なのです。
布施にもさまざまなものがあります。
最も一般的なものとして、出家修行者、仏教教団、貧窮者などに、衣食、田宅、財物などの物質的な財を施す「財施」があります。他の人に物をあたえることも愛の行為です。(たとえ、貧しくて物を与えることができない場合でも、笑顔を与える「顔施」があります。笑顔を与えることも立派な布施です。顔施によって、世の中が素晴らしくなっていきます)。
また、「法施」というものがあります。これは精神的でさらに高度な施しだと言えます。心が飢えていて道を求めている者、砂地が水を求めるがごとくに法を求めている者に対して、
法を施してあげること、教えを説いてあげること、その悩みに答えてあげることは、最大の布施なのです。
釈迦の時代には、人々が修行僧に対して物品を布施していたのですが、そうした物施よりもさらに多くのものを、修行僧たちは人びとに与えていたのです。すなわち、法施という愛行によって、感謝、報恩を成していたのです。もちろん、在家信者が、まだ信仰の開けていない人に対して教えを説明することも、法施でした。これも布施です。
さらに、「無畏施・むいせ」があります。悩み、苦しみ、恐怖している人に対して、恐れを取り除いてあげることです。心を安らかにし、人を厄難から救うことです。
以上の、財施、法施、無畏施のことを、「三施」と言います。
【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶16周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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77 社会のおかけで、人間のなりわいや、住みよい世界のつくり方を知った。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き
(4/25-2)24『永遠の仏陀』を読む―跳躍の時―奇蹟の時―布施波羅蜜多
