(6/3-2)67『仏陀再誕』を読む―忍耐と成功―草笛の音

『仏陀再誕』を読む

〇仏法真理の学習と結果は「悟りへの『入場券』であり、『乗車券』ではない」

(当会の資格セミナーで)上級試験に合格し、賞状を手にされた方々にも言っておきたいのですが、上級試験に合格された方は、ある程度、仏法真理の理解ができ、ある程度の心境に来ていることを認定されたわけです。しかし、これは「悟りの入り口に立った」ということであって、「悟った」ということではありません。
これを勘違いすれば、簡単に、あるいは一日で転落していきます。それを間違えないでいただきたいのです。・・・この意味において、仏法真理の学習とその結果は、「悟りへの『入場券』であり、『乗車券』ではない」わけです。
「悟った」ということは、そう簡単にはないのです。十年、二十年、あるいは一生を通じ、ぐらつかない心で、それだけのレベルの心で、どんな環境下でも生きていけるだけの自覚ができ、そして実績ができたときに初めて、「悟った」と言えるのであって、それは「悟りの入り口に立った」ということとは違います。
「一年や二年で出来上がる」ことは決してないのです。

【大川隆法『真説・八正道』第五章「正精進」228pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、教典『仏陀再誕』を振り返ります。
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第五章 忍耐と成功 
○草笛の音

昔、あるところに大男がいた。

この大男は、身長は二メートル五十センチもあろうかという大男で、あった。街のなかを歩いても、だれもかれもがその大男の顔を見ては、恐れおののき、そして家の中に入っては閂(かんぬき)をかけ、窓の隙間からその大男が遠ざかってゆく姿を見ていた。その大男は、頭にターバンを巻き、腕に金の輪を巻き、体は赤銅色、腰から下には何とも言えないネズミ色のズボンをはいていた。そして足首には鉄の鎖がついていて、この大男がどこからともなく逃亡してきた者であるということを推定させた。

この大男は、たいへん力が強く、馬の一頭、二頭をひきまわすのは当然のこと。木造建ての小さな家など、この大男が怪力を発揮すれば、たちまちに壊れてしまうほどであった。動物たちも、この大男が通ると、いつ絞め殺されるかと思って、悲鳴を上げては、逃げまどった。

そこで、村の長老が協議をした。

「あの大男を何とかできないものだろうか。何とか、あの大男の粗暴なはたらきを、やめさせることはできないだろうか」

そうやって、村の長老たちが三日三晩協議をしたが、なかなか結論が出なかった。

そこで、

「結論が出ないが、とりあえずあの大男を生け捕りにして、村から追い出すことにさえ成功すれば、どうにかなるのではないか」

そのように提案する長老がいた。

他の者は、

「なるほど、あの大男を生け捕りにして、村から追い出せば、確かに我らは安全ではあるが、
ところで、その大男がまた帰って来たときには、どうするのだ」

「そういえば、帰ってくるとなると、いつ帰ってくるかわからぬから、それがまた心配の種になる」

「しかして、その前に、どうやって彼を生け捕りにするのだ。生け捕りにするような勇気がある者がいるのか」

そのように言う者もあった。

「ウーン、それでは、大男が帰ってこないようになるためには、殺生の罪を犯すことにはなるが、ひと思いに彼を殺してしまったほうがいいだろうか」

そうやって協議をしばらく続けた。あの大男をどうやって殺すのか。しかし、彼を殺そうとしても、もし、し損じたならば、大暴れされて、村人は何十人となく殺されるかもしれない。もし弓矢で射たとしてもあの鋼のような体に、ほんとうに矢が通るのかどうか定かではないし、もし矢が通ったとしても、そんなものではあの男はビクともしないかもしれない。また、何か罠をかけてつかまえるということもあるが、その罠を見破られて時に、また大変なことになる。

いろいろと議論百出したが、どうしてもよい知恵が浮かばない。

「困ったものだ」「困ったものだ」

その時に、ある若い女性がその話を聞いていて、

「私の意見が皆様に聞いていただけるかどうかは分かりませんが、実は、一つ明暗がありますので、私の案を使わせていただけませんでしょうか」

そのように、その若い女性は話を切り出した。

長老たちは意外な思いがした。その若い女性が、どうやってあの大男を始末するというのだろうか。どう考えても分からなかった。

「いいえ、どうか私めにお任せください。必ず、明日以降、あの大男が粗暴なふるまいをしないようにして見せます」

「まあ、そうしてくれるならば、それに越したことはないが、どうしようか、みなの者」

そして、長老たちは議論し合ったが、ほかによい案もないので、とうとうその若い女性の意見を採用し、彼女に任せることとした。

その若い女性には、小さな男の子が一人いて、その子はやっと五つになるぐらいの歳であった。この子はさほどとりえもない子供であったが、一つだけ得意なものがあった。それは、草笛を吹くという技術であった。この賢く若い母親は、自分の子供の草笛によって、あの大男が必ずおとなしくなると考えたのだ。

翌日、また街の外れから大男が、砂煙をあげて、ドッドッドッドッと街の中心に向かってやってきた。街の者どもはまた雨戸を閉めて、オロオロと家のなかにこもっていた。今日は、どこに被害が出るか、だれが怪我をさせられるかと思って、恐れおののいていたが、その街のまんなかに、その母親と子供の二人だけが残った。広場に、二人の姿があって、それをうかがう者たちは、

「だいじょうぶだろうか。若い女性と子供じゃないか。ひとたまりもないかもしれない。食べられてしまうのじゃないか」

そう噂していた。

そこへ、鬼かと思うようなその大男がやってきた。そして、まわりの者の予想通り、その母親と子供につかみかかろうとした。みんなが固唾(かたず)を飲んで、

「ああーっ、これは大変なことになる」

と思って見ていたところが、母親は穏やかな顔で、右側にいる自分の子供にはそっと頷(うなず)いた。すると、その子供は、ふところから草の葉を取り出して、草笛を吹き始めた。のそ「ピーヒョロ、ピーヒョロ」という音が、その大男には何ともいえない感情を抱かせた。

「なんだろう、この音色は。この音色はなんだろう。ああーっ、この音色は懐かしい。どこかで私はこの音色を聞いた気がする。どこかでこの音色を聞いた覚えがある」

その母親は見抜いていた。その大男はきっとインドのほうから来た大男に違いない。そして
インドの法のたぶん身分のある人に仕えていた下僕に違いない。その身分のある人は、おそらく音楽を使って、この大男の、この狂暴な性格を穏やかにしていたに違いない。そう感じていたのだ。

たしかに、大男は昔、逃亡してくる前は、ある若者に仕えていた。その若者は体こそ小さかったが、笛をじょうずに吹いて、その大男をいつもなだめていた。それゆえに、その大男は、しばらく聞いたことのない音色というものを、小さな男の子の草笛を通して感じ取ったのだった。

そして、自分が今までやってきたことを、ふと、振り返った。すると、目から大粒の涙がハラハラ、ハラハラ、ポタポタ、ポタポタと落ちてきた。

「小さな五歳の男の子の草笛に、あの大男が涙を流しているぞ」村人たちは驚いた。そして、

「なんだなんだ。そんな悪者でもなかったのか。子供の草笛で涙を流すとは、そんな悪者ではなかったのか」

と、おそるおそる雨戸をあけて、一人二人と集まってきた。そして、村の広場は人びとでいっぱいになった。

「そうか、その大男は何ひとついいところはないと思ったが、音楽を解するこころがあったのか。それでは、みんなでいっしょに、笛を吹いてみようじゃないか」

村の笛を持ち寄って、皆の者が笛を吹いた。そうすると、大男は最初は涙を流していたが、次第しだいに陽気になり、まわりの者といっしょに踊るようになった。こうして、笛の音色ということを通して、大男の心の優しさが知れ、そしてまわりの者も安心感を得て、いっしょになかよく住めるようになったのだった。

大男は、村を外敵から守り、そして村人たちは大男に笛を吹いてやることによって、彼の心を和ませた。

こうして、両者が平和に暮らしたという話だ。

【大川隆法『仏陀再誕』第五章「忍耐と成功」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福として、1 
口 10 万円からお受けいたします。

・本植福に参加された方には、「『天御祖神 
感謝報恩の誓い』奉納書」を拝殿の基壇部分に御奉納させていただき、大きな貢献をされた方につきましては、記念碑建立時に銘板をもうけ、そのお名前を記名し、顕彰させていただきます。

・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

日々のご支援に心より感謝申し上げます。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史 

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