(3/21-2)80『仏陀再誕』を読む―信仰と仏国土建設への道―仏陀への帰依―幸福なる日々

『仏陀再誕』を読む

88 「化ける」「化かす」という言葉がキーワードだが、はたして人間が、狐や狸に化かされることがあるのか。動物としての狐や狸は変身できないとしても、妖力、あるいは妖術として人を化かせるのか。あるいは霊体となってからそのような力を得るのか。

89 私はルーツの一つとして、「稲荷信仰」があり、稲が豊作になることを祝う、秋祭りがあると思う。地上の人間が祠(ほこら)を建て、神社を建てて、豊作を願い、日照りや洪水、虫害除去を祈っていると、その祈りのパワーを霊界で受け取る存在があると考える。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

17 「畜生道」では、身体は動物と同じとなるが、時々、顔は、人間時代の顔にぶれて見える。

16 「動物性が極めて強い」と判定されると、次は、「畜生道」・「動物界」という地獄に送られる。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神の御教えを振り返るために、二〇二一年十二月十四日にさいたまスーパーアリーナでのエル・カンターレ祭大講演会にて説かれました『地球を包む愛―天御祖神の教え』から学びます。
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『地球を包む愛―天御祖神の教えと真の世界正義』
4 「神なき民主主義」の限界
〇政治体制と「為政者の徳の問題」について考える

先ほど言いました。三万年前の天御祖神の教えは、中国大陸にも渡っていきました。そして、堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)という三人の徳ある帝王が出たことがありますけれども、その徳のある政治というものを実現した時代がありました。そのなかには、その後、日本神道にも流れたのと同じ光が流れています。ただ、徳治政はその三代で切れております。ですから、「徳治政」も、すばらしいときには民主主義を超えることもあります。上に立派な方がいた場合は―。

また、「民主主義」も、素晴らしいときには徳治政と一致するときもあります。例えば、リンカーンみたいな人がアメリカの大統領をやっているときには、民主主義でも徳治主義でも、もうどちらでもいいような時代になります。そういうことになる。立派な方が国を治めてくれれば、両方同じようなものなのです。だから、制度だけでよいか悪いかを決めるつもりは、私はほんとうはありません。

アメリカのバイデン大統領は、「民主主義 対 専制主義国家の戦いだ」というようなことで、今、世界の緊張を高めています。(※2022年説法当時)「トランプ的分断をやめて、強調と平和をもたらす」ということで、そういう触れ込みで大統領になりましたけれども、現実には分断が進んでいて、戦争の危機も迫っているように私には見えています。(※2022年2月24日ロシアのウクライナ侵攻開始)

すくなくともアメリカは、トランプさんのときには敵ではなかったロシアを敵に回した。そして中国も敵に回した。さりに、イランも今、敵に回っている。さらに、イランに続く他のイスラム教国もそうなるでしょう。さらに、東南アジアでも火の粉は降りかかるようになるでしょう。

今、幾つかの国で戦いの前哨戦が行われていると思います。すべて、彼の戦略眼のなさが引き起こしているものだというふうに私は思っています。

この地上において、完全な体制というものはありません。しかしながら、「どちらの方向がよりベターであるか」ということは考え続けねばならないことであるというふうに思います。

「民主主義がよい」というのは、悪王を除くことができるからです。民衆を虐待したり虐殺したりするような人を選挙で落とせるから、民主主義はその点ではよいというわけです。

でも、それだけでは最高だとは言えません。アメリカの大統領選をやるのには、二百億円ぐらいの金がかかるのです。マスコミに広告をかけるだけでも二百億円はかかります。

(普通は)二百億円の金など、ありません。だいたい、四年ぐらいの大統領をやるのに二百億円も広告代など使いたくないでしょう。日本でも、ちょっと使えません。

中国だって、政治的な要職を占めれば、もう、何十億円ぐらいの金は簡単に貯まるようになってはいます。そして、企業とも一体化しています。

どの国も本当を言えば、極めていけば、恥ずかしいところはたくさんあるのだろうと思います。

ですから、民主主義制度について言いたいのは、「神なき民主主義はだめですよ」ということです。「神の子として自分を振り返りながら、神の子のひとりとして理想の国をつくるべく、政治参加せよ。その民主主義ならよい方向です」ということです。

では、軍事政権は駄目なのか。もちろん、革命において軍事政権が建つこともあろうかと思いますが、それは長く続けば必ず腐敗をします。

そこに必要なものは、「徳とは何か」という課題です。徳を手に入れなければ駄目なのです。徳とは何であるか。それは厳しいことです。

革命が起きるには理由があります。多くの人たちが不自由な生活をして苦しんでいるからです。民の暮らしを楽にして、人々を開放するために革命は起きるのです。

ですから、革命の本当の目的は「人々の解放」であり「自由の創設」であるべきなのです。

【大川隆法『地球を包む愛―天御祖神の教えと真の世界正義』第一章より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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7「待ちの間」の蓄積【正念】
〇腰を落ち着けて「基礎知識」と「経験」を蓄える

これは、幸福の科学の発足自体についても同じようなことが言えるでしょう。私はその間、五年、六年待ちました。発足までにそれだけの時間がかかった分、遅れたようにも見えますが、私自身のいろいろな勉強や経験の期間が必要だったということです。

ただ、そのような間は、「道は示さているのに、どうしてできないのか」ということで、非常にイライラしたり、焦ったりするものです。レールは敷かれているものの、まだ新幹線の速度では走れず、鈍行で走っているようなつらさがあるわけです。「必ず前へ進んでいく」というのは分かっていても、つらいものです。

しかし、ここが、この正念場における、いちばんの「正念場」なのです。ここがこらえどころであり、腰を落ち着けてじっくりと前進していく、蓄えをしていくという姿勢が大事なのではないかと思います。

その間に、蓄積をもとにいろいろな構想を立てていくと、もっと早くなっていき、取り返しができるようになっていきます。

やはり、基礎というのは非常に大事です。物事の判断でも何でもそうですが、「基礎知識」と「経験」がなければ、なかなか見えてこないところが多いのです。反対に、そういう材料があれば、非常に素晴らしい展開となっていくことになります。

【大川隆法『真説・八正道』第8章「正念」280pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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第七章 信仰と仏国土建設への道 
○仏陀への帰依

しかして、私は言い置く。
宇宙を創造したところの、根本の大霊に対する信仰と、
また地上を去った霊天上界における
実在界の偉大な高級霊に対する敬意と、
そして、もう一つ、敬意を払うべきところがあるということを。

それは、地上に生まれたる仏陀の存在である。
仏陀は仏陀として尊いのではない。
仏陀は、その力を、その悟りを、その光を、その愛を、その慈悲を、
偉大なる大霊から授かっているがゆえに、尊いのである。
たとえ、宇宙の根本仏に対する帰依の姿勢があろうとも、
たとえ、霊実在界におけるところの
高級霊に対する帰依の精神があるとしても、
地上に降りたる仏陀に対する帰依の精神なくば、
この信仰は偽物である。
なぜならば、過去の世界における偉大な宗教を伝えた者は、
すべて地上に降りたる覚者、悟りたる者、仏陀であるからだ。
そのような立場の人を通さずしては、
仏の声を、仏の思想を、仏の理想を、
地上に伝えることはできなかったのである。

さすれば、大宇宙の根本仏と、
実在界の高級霊と、
地上に降りたる仏陀とは、
三位一体(さんみいったい)にして、ともに尊き存在である。
この三者を同じく尊崇する気持ちがなければ、
そこに信仰というものは生まれない。
自分の都合によって、勝手な偶像を大宇宙の根本仏として描き、
また、実在界にあるところの
特定の霊を心のなかに描いて、信仰したとしても、
もし、地上にある仏陀の教えを誹(そし)り、これに背くものあらば、
それは大宇宙大霊の意に反していると言ってよい。
なぜならば、
大宇宙大霊はその時代にすべての責任を仏陀に命じているからである。
仏陀はすべての権限を持って、地上に降りているからである。
その時代の価値観を決め、
その時代の正しさを決め、
その時代の善とは何かを決め、
その時代の真理とは何かを決める者、
それが仏陀である。
したがって、たとえ心のなかで、宇宙の彼方に住むかもしれぬという仏神を、
いかに尊敬しても、
地に降りたる仏陀を尊敬する気持ちがないならば、
もはや、信仰ある者とは言えない。
もはや、道ある者、道を求める者とは言えない。
求道(ぐどう)の者とは、そうした立場をわきまえなければならない。
こうした、心なき者は、
イエスの時代に生まれても、
イエスそこに在りと信じなかった者は数多い。
イエスここに在りと信じえなかったその者たちが、
その後、数百年、数千年を経て、地上に生まれ変わり、
キリスト教会にて、十字架の姿のイエスに対して信仰しておるのだ。
このような愚かなことを繰り返してはならない。
地上に覚者あるときに、
その覚者に対する信仰を忘れてはならない。
地上に覚者あるときに、
その時代に生まれ合わせた喜びを忘れてはならない。
その権威を畏(おそ)れなければならない。
その権威を信じなければならない。
その権威を否定し、忌み嫌い、
この権威を自分の理解の範囲内で解釈しようとする者は、
ことごとく間違いの淵のなかに投げ入れられる。
それは、宇宙の仏を否定することと同じ。
宇宙の仏を冒瀆(ぼうとく)することと同じであるということだ。
このように、仏の代理人を地上に送るということは、
天上界における人格大霊の一致した考えであり、
そうした代理人が地上に降りてゆく時には、
その者の考えにすべてを合わせてゆくことが正しい行為であるのだ。
これが信仰の根本であるということを、
私は繰り返し繰り返し言っておく。

【大川隆法『仏陀再誕』第七章「信仰と仏国土建設への道」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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第五章 仏法真理と学習
4 幸福なる日々

さて、漏尽通力のなかの「仏法真理と学習」ということについて話を進めているわけですが、ここで「幸福なる日々」ということについて考えてみたいと思います。

人間は、「何をもって幸福の科学とするか」という問いに答えるならば、それが、「その人とはいったい何者であるか。その人の本質がいったい何者であるか」という問いかけに対しては、「その人が何をもって幸福としているかによって定義される」と言われています。

古来、それ以外の定義ももちろんあります。「その友人を見れば、その人が分かる」という考えもありますし、「蔵書を示せ。さすれば、汝の人格を言い当てん」という言葉もありましょう。ただ、やはり、「その人の幸福とするものが一体何であるか」を見ることによって、だいたい、その人の器、人柄、人生、魂の器量といったものが分かるのではないかと思います。

私自身は、何をもって一番自分の幸福と感じるかというと、結局のところ、次のようなことではないかと思います。

個人の側面というものを取ってみれば、「より深い仏法真理、知識を得るということ。それでもって、自分自身の認識力が高まるということ。認識力が高まることによって、世界がよりよく分かるということ。より多くのことが分かるということ。理解できるということ」、これが、何にもまして幸せであるように思います。これが個人の側面です。

また、個人以外の側面として見るならば、「その様な神仏の経綸(けいりん・国家を治めととのえること。その策)、仏法真理というものを知ることによって、より多くの人々の幸福をつくり出すことができる自分、そうしたことに貢献できる自分」というものを、非常にうれしく思うわけです。

「この世のなかで、どれほど幸福な人がいるか」と言ったときに、「多くの人々の悦びをつくり出せるほど幸福だ」と言う人は、数少ないと思うのです。「自分の悦びのためだけの幸福」というのは、はかないものです。ただ、「多くの人々の幸福につながるような生き方をしている人」というのは、自分へ還ってくる幸福の供給源も、また無限であろうかと思います。「幸せになろうとすれば、他人に親切にすることです」という言葉もあります。そのとおりであって、他の人々が喜ぶようなことをしていれば、人間は自然に幸福になるのです。

もちろん、このときに重要なチェックポイントとして、あまり自己犠牲という面を強調しないことが大事だろうと思います。【「自己犠牲」については、2017年11月22日の法話「自己犠牲の精神」において、公的使命に自らの全人生を捧げるような、より高次な偉人的な生き方としての「聖なる自己犠牲」が改めて説かれた。『青銅の法』(幸福の科学出版刊)参照】
「自分を犠牲にして他人を幸福にしよう」という考え方は、やはり、不幸な感覚の一つであろうかと思います。そうではなくて、「他人を幸福にしていくなかに自分も幸福になっていく」という道を選んでいくことが、真に幸福なる日々を築いていくことではないでしょうか。そのように、私は思うわけです。

こういう観点から、人生の幸福というものを、もう一度、捉え直してみたいと思います。そうすると、どのようなことが言えるかというと、結局、「日々、自分の魂が進化しているかどうか。日々、自分の魂が何らかの向上を得たと思って、悦びを得ているかどうか」ということが大事なのではないかと思います。

また、「他の人々が悦びを味わうことによって、魂がいかに喜んでいるか」という魂の向上の悦び、魂の拡張の悦びが本当の幸福ではないかと私は思うのです。「自分自身の魂が、さらに霊的に進化して悦んでいるかどうか」、あるいは、「他の人の悦びをも自分の悦びにすることができ、より大きな自分へと拡張することができたのかどうか」といった面が重要であろうと思います。

「幸福とは、自分が追い求め追い求めすると、指の間からすり抜けていくようなものだ」と言った人がいます。これも、結局、「魂の幸福」の意味を言っているのだろうと思います。【※心の指針「幸福のしっぽ」参照】幸福とは、「人に与えん与えん」として生きていると、やがて自分に与えられるものですが、「自分が得よう得よう」として追い回していると、やがて、蝶々のように飛びまわって逃げていくもののように思います。

このように、結局のところ、「幸福の本質」「いちばん幸福になる方法」は何かというと、「自分のことを考えずに、一生懸命、人のために考えて生きること」だと思います。こういう生き方をしていると、非常に幸福になれます。ここが、結局、漏尽通力の幸福への適用の段階となるわけです。

漏尽通力が大事であるというのは、この「幸福感」と非常に密接な関係にあるからです。というのは、霊的能力を持った人、霊能者というものは、ともすれば、エゴイストになりやすのです。あるいは、別の面からいくと、「自分が、自分が」という気持になりやすいのです。お山の大将になりやすいのです。

どうしても、霊能者というものは、「自分はとにかく偉いのである。周りの人たちは、自分にひざまずけばよいのである」という考えを持ちがちです。しかし、これが誤りであるということを、私は今、みなさんにお伝えしようとしているわけです。そうした「自分のエゴを拡張し、伸ばすためだけの霊能力」というものは、非常にもろく、はかないものです。そうではなくて、そうした霊能力を持ったのであるならば、それを一人でも多くの人々のために生かそう、役立てようとする心が大切なのです。

こうしてみると、そうした霊能力を多くの人たちに役立てようとする心が、また自分の幸福に還ってくることになるわけですが、多くの人々に霊的能力を役立てようとするときに何が必要かというと、結局、知力の問題が大事になるのです。

知力の部分が弱いと、慈悲魔になってしまったり、人のために「よかれ」と思ってやったことが、悪い形で出てきたりするようになります。そうしたものです。

したがって、本当に幸福なる日々を生きんとするならば、「霊的能力の現実世界への適用の仕方が大事だ」ということになりましょう。

【大川隆法 『漏尽通力』第5章「仏法真理と学習」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。

大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます

本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります

仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き

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