85 日本の妖怪で多出するものに「狐」がある。性格には「妖狐(ようこ)」というべきかもしれない。山林の開発や環境整備、「電車」「自動車」「携帯」「スマホ」などの普及とともに、目撃例、体験例ともに急速に減少している。動物としての狐、狸も、その実数を減らしているだろう。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
19 攻撃性の強かった者は、猛獣の姿となるが、殺生の虚しさを悟るまで、他の動物を襲い続ける。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神の御教えを振り返るために、二〇二一年十二月十四日にさいたまスーパーアリーナでのエル・カンターレ祭大講演会にて説かれました『地球を包む愛―天御祖神の教え』から学びます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
『地球を包む愛―天御祖神の教えと真の世界正義』
3 「あの世を信じる心」はなぜ大切なのか
〇あくまでも真実のことを真実のこととして追い求めたい
インド哲学とかいう難しい勉強をなさっても、この釈尊の教えを読み解いて唯物論的にしか解釈できない人がいっぱいいます。むしろそれが主流です。もうかわいそうなぐらいです。
だから、戦後の教育も悪かったのだろうと思いますが、戦争に負けたことによって、日本神道は総崩れになって、高天原もだいぶ修復が必要なぐらいまでガタガタに崩れました。その信仰心のブレ、崩れが宗教の「あの世を信じる心」そのものを弱めてしまいました。ですから、仏教研究者までも、唯物論的に仏教を解釈したほうが”かっこよく見える”ようになってくるわけです。
哲学者たちもそうです。ソクラテスとかプラトンたちの教えを読めば、そのままを現代語で読めば、彼らが霊魂を信じ、あの世を信じて、生まれ変わりまで信じていたことはもう否定のしようのない事実です。はっきりと書いてあります。体験しているのです。それを。私がしているように。
ところが、その哲学者も二千何百年もたったら、今はもう数学者の仲間みたいな感じで、計算式とか記号とかを使って、「いったい何が言いたいわけ?」というような、「これ、一円にもならないよ」「これって給料泥棒だよ」というような方ばかりいっぱい出てきて、”機械”になってしまっているのです。頭脳が”機械”になってしまっている。残念です。
そうした数学とか物理学も、実際に役に立つところがありますので、実用の学として、この世で高度な乗り物や建物や、あるいは宇宙に出ていくときに役に立つから、文系の人たちがあまり否定してはいけないというふうには思うのですけれども、役に立つものは役に立つものとして発展していいけれども、「その奥にある一番大事なことを忘れてはならない」というとだけは、はっきりと申し上げておきたいと思います。
せめて、自分の専門でない、わからないことに対しては「口をつぐむ」「控える」「評価を言わない」「それについては、私にはよく分かりません」という態度は維持してください。もしかしたら、死が近づけば勉強しなければいけなくなることもありますから。
もし、あの世がなく、人間がこの世に生まれて、また来世に去っていくという世界が嘘だというのならば、私が二千九百冊以上(説法当時)書いてきた本、これは全部、嘘ということになります。
みなさん、私が嘘つきに見えますか。みえたら、地獄に行っていただきます(会場笑)。(会場を左右に見渡して)嘘ときには見えない―。
私は一円のごまかしも嫌いな人間です。嘘を憎みます。人を騙すことを憎みます。嫌いです。正直でない人間が嫌いなのです。世の中をごまかして生き渡っていく人間が嫌いなのです。
偽物は嫌いなのです。フェイクは嫌なのです。
だから、あくまでも本当のことを本当とのこととして、真実のことを真実のこととして追い求めたいと思っています。
百パーセントということは難しいかもしれません。解釈の間違いや事実認定の難しいところがあるかもしれません。
しかしながら、意図的に人を騙そうとか、間違わそうとか、間違った方向に導こうとか、人々を不幸に陥れようとか、そして自分だけが幸福になればいいとか、自分たちの団体だけがハッピーになればいいとか、そんな考えは持っていません。
【大川隆法『地球を包む愛―天御祖神の教えと真の世界正義』第一章より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
7「待ちの間」の蓄積【正念】
〇自己実現に当たり、念いを神のほうにしっかりと向ける
先ほどの家の例(p271~276を参照)は、霊的自己実現ということを非常に明確に示しています。
まず、最初に、理念として「こういうものが与えられる」ということが降りてきます。そして、それが地上に落ちてくる過程で、だんだんに具体化していきます。溶岩のように流動化して流れていたものが、固まってき始めるのです。
その際に、岩のようなものが現れてきます。これは地上の人間の、いわゆる評判の悪い「自由意志」というものです。これによって邪魔が入り、そして、溶岩の流れが変わることもあります。
それでも、結果的には固まっていくわけですが、最初の理念が、そのとおりか、あるいは何らかの違ったかたちになって固まっていくことになるのです。
そして、その人の念いが神のほうにしっかりと向いていれば、もっとよいかたちで出てきます。念いが足りなければ、多少悪いぐらいで出てくるかもしれません。こういうものです。
【大川隆法『真説・八正道』第八章「正念」277pより抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第七章 信仰と仏国土建設への道
○大宇宙の大霊への感謝
それゆえに、あなたがたの信仰の第一の方向は、
大宇宙を統べるこの仏に向けられなければならない。
大宇宙を統べる大霊意識に向けられなければならない。
ただ、こうした大宇宙大霊は、人格を持ったものではないがために、
あなたがたの願いを聴き入れたり、
あなたがたの悩みに答えたりするような存在ではない。
それは、ちょうどあの太陽のように、
あなたがたに、愛と光とエネルギーを与えきりの仏である。
それゆえに、こうした窮極(きゅうきょく)の仏に対しては、
あなたがたは感謝という名の信仰でもって応(こた)えなさい。
日々を感謝で生きることだ。
大宇宙を創り、森羅万象を生かしている、
その養(やしな)いの主(ぬし)たる仏に対し、
大宇宙大霊に対して感謝を捧げること、
これが地上で生きている人間の使命とも言えるものだと、
私は思う。
○高級霊への畏敬(いけい)
さて、しかし、具体的にあなたがたを教え、指導し、そして愛し、
あなたがたの悩みに答えている霊として
高度に発達した高級霊がある。
その内容について、いろいろと学んだことがあるだろう。
この高級霊が多様な姿で現れることは、
当然と言えば当然と言ってよい。
それは、現代の人びとが見聞した限りにおいても、
世界各地に、時代を超え、地域を超えた、
偉大な人格者が住んでいるように、
実在界における高級霊は、数多くその名をとどめている。
もちろん、そうした高級霊であっても、
そのいる場所において違いがある。
窮極(きゅうきょく)に近い、仏に近い存在があれば、
一方、比較的人間に近い存在もある。
そのように、その存在相応に次元というものが違っている。
生活する場所が違っている。
その違いを認めなければならないと思う。
ただ、そうした違いは違いとして厳然としてありはするが、
どうしても否定できないものとして、
これらの神々とも言われる高級霊たちが、
優れたる者であるということだ。
この優れたる者である彼らは、いや彼らの叡智は、
たとえ地上にどのような知恵者がいたとしても、
とうてい到達することができないものである。
そのように思わなければならない。
それゆえに、まず敬意を表せ、まず尊敬の念を持て。
それが、当然の礼儀である。
そのように思うのだ。
窮極の大宇宙の大霊に対しては、感謝を持って信仰とせよと語ったが、
こうした高級霊たちに対しても、感謝はもとよりのこと、
礼儀を持って信仰の作法とすべきである。
この礼儀とは何であるか。
それは恐れ敬うという気持だ。
畏(かしこ)み念(おも)うという気持だ。
畏み念うという気持だ。
次元の高き者、徳高き者、
指導力富み、愛富み、慈悲富んだる者に対する畏敬の念、
これだけは、忘れてはならない。
この地上においても、身分が違うものであるならば、
直接会って話をすることは難しいであろう。
同じように、この地上を遥かに去った世界においても、
もっともっと、地上の人間の魂修行を超えた存在があるのだ。
そうした存在に対しては、一様に礼儀を尽くさねばならない。
私はそのように思う。
それは、一つのルールであるからだ。
それは、人格大霊といわれる方がたが、
地上の人間たちの、かつての魂の親でもあるからだ。
魂の親であり、また魂の教師であったからだ。
そうした魂の教師に対して、深く深く感謝をいたさねばならない。
魂の教師たちの仕事は、今世のみに限られることではない。
過去、幾転生を繰り返すなかで、魂の教師たちは、
あなたがたに確実にいろいろなことを教えてきたのだ。
魂の教師たちが、いろいろなことをあなたがたに教えてきたがために、
あなたがたは現在、幸福に生きている。
あなたがたは現在、道を過たずに生きている。
また、あなたがたが現在、信仰深く生きることができるのも、
過去幾転生の過程のなかで、
こうした高級霊たちが、あなたがたを導いてきたからだ。
その導きに対して、心より敬意を表さねばならない。
私は、そのように思う。
【大川隆法『仏陀再誕』第七章「信仰と仏国土建設への道」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第五章 仏法真理と学習
2 知の本質
学習ということに関して、「知」、いわゆる「知力」ということについて話をしてみたいと思います。言葉を換えるならば、「知の本質とはいったい何か」ということです。
現代の日本、および他の先進諸国においては、「知を磨く」ということに関して、そうとうの努力を払っていると思います。そうとうの犠牲を払っていると思います。子供たちの大部分は二十年近い間、知を磨くための学習環境に置かれます。遅い人でも小学校に上がるころから大学を卒業するまで、言ってみれば十六年ぐらいになりましょうか。早い人であれば、保育園、幼稚園というところからスタートします。ほぼ二十年に近い間、学習期間があるわけです。この間に、「知を磨く」という努力を義務づけられているわけです。
こうして教育というものを施されているわけですが、教育の目的そのものは、分かっているようで意外に分かっていないところがあります。「人格を陶冶(とうや)し、社会に貢献できる人物をつくるため」という言葉が、よく教育の目的として掲げられるわけですが、これは、必ずしも教育の本質そのものを見抜いているとは言いがたい面があります。
教育の本質とは、結局のところ、「知を伸ばす」というところにあります。あるいは、「知の本質を探究する」ということでもありましょう。「知」というのは、人間が頭脳労働によって「つくり出したるもの」、あるいは「つくり出しうるもの」です。
古来、ソクラテス以来、「知を愛する」ということが人間の本質であるように言われてきました。「動物たちは『知を愛する』ということがない。しかし、人間は、知を愛することができる。その点において、動物と人間とは違うのである」、このように言われてきたのだろうと思うし、実際にそういうことはあるわけです。
動物たちの知というものを見たとき、確かに、動物園で飼育された動物が、ある程度の芸当をするということはあるかもしれません。ただ、それ自体は教え込まれてそうなったということであって、さらに、その応用可能性というものを見れば、非常に少ないということが言えると思います。
ところが、教育によって与えられた人間の知はそのまま、そのものズバリを使うというのではなく、それが「応用可能性、発展可能性を持っている」ということができるのではないかと思います。この応用可能性、発展可能性というところに、人間としての知の本質があると思うのです。
高校時代や大学時代に、地理や歴史を教わったからといって、また、それを暗記したからといって、どうこうなるものではありませんが、そうしたものを学んだことによって、まず思考の材料が与えられます。そして、その材料を組み立てたあとに、さらなる思考の構築ができるわけです。このあたりが大事なことなのです。
結局、教育によって発見される知、掘り出される知というのは、そうした思考の材料としての知であるということが言えると思います。
このように、人間は「どのように知的に物事を考えられるか」、別な言葉で言えば、「抽象空間、あるいは、哲学空間を持っているかどうか」によって、人間の人間らしさが測られると言えるわけです。「思弁的に考える」という言葉で言ってもよいかと思います。
人間には理解できる範囲に限界がありますが、単に自然語といいますか、「鳩」とか、「豆」とか、「赤ちゃん」とか、「汽車」とか、「飛行機」といった目に見える物体でもって指す言葉、指示語を理解するのと、そうした目に見えるものではない抽象的な言葉を理解できるのとでは、やはり、段階に差があるわけです。
その抽象的な言葉の代表として挙げられるのが、「神」や「仏」というような言葉ではないでしょうか。あいるは、「霊」というような言葉ではないでしょうか。こうした言葉は見ることができないものなので、抽象的に理解するしかありません。ただ、「抽象的な理解をどの程度できるかによって、その人の霊性が測られる」という面があると思うのです。
こういう意味において、例えば、芸術作品、文学作品というようなものでも味わいに開きがあると思います。単にストーリーだけを追っているようなものもあれば、そのなかに、詩としての余韻があるものもあるでしょう。あるいは「世界の名作」といわれるようなものは、たいてい思想性があります。そのなかに、作者の思想というものが入っています。
これに反して、非常に技術的、事務的な書物というものもあります。計算の方法だけを教える本や、税務面での指導方法だけを教える本、あるいは、科学的な方面であっても単に実験の記号式ばかりを追っているような書物もあると思います。こうしたもの自体は、「魂に対して何らの影響も与えない」と言えば語弊がありますが、「大きな増進作用はない」と言えましょう。
しかし、人間の生き方そのものに与える影響を持つ書物というのは、何らかそこに「核」「向上心」「人間を向上させるもの」があるとも言えると思います。
このように、知の本質のなかには、非常に抽象的なる面、思弁的なる面があって、「それが可能であればあるほど、その人の霊的な部分が高まっている」ということができるかもしれません。ただ、学者たちのように抽象的な言葉ばかりをあげつらって、実質論がない人たちは、また、あるところで”Uターンを描いて、曲線が元に戻ってくる”と思います。そうした現象もありまずか、たいていの場合は、どれだけ高尚・高邁(こうまい)な理論、議論ができるかでもって、その人の魂の向上度が測られることになるわけです。
【大川隆法 『漏尽通力』第5章「仏法真理と学習」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
エル・カンターレ・大好き
(3/19-2)78『仏陀再誕』を読む―信仰と仏国土建設への道―大宇宙の大霊への感謝―知の本質
