79 竜神は、宗教的霊界ではよく出てくる。しかし、現実のこの世では、竜を見かけることは難しい。古代には巨大爬虫類(はちゅうるい)が地上に棲んでおり、空にも翼竜は飛んでいたものと思われる。霊体としては、妖怪として存在している。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
25 夜な夜な悪事を働きに出撃していた男女が、山犬になって駆けているのを見た。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神の御教えを振り返るために、二〇二一年十二月十四日にさいたまスーパーアリーナでのエル・カンターレ祭大講演会にて説かれました『地球を包む愛―天御祖神の教え』から学びます。
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『地球を包む愛―天御祖神の教えと真の世界正義』
1 世界の隅々まで教えを生き渡らせたい
今日の話が、今年の百二十回目の説法になります。トータルでは三千三百六十九回目だとのことです。
ということで、来年、三千五百回いけるかどうか、一つの目標になっておりますし、本のほうも二千九百冊を超えて出ておりますので、来年三千冊に到達するかどうか、一つの目標になっています。(会場拍手)(編集注。説法当時二〇二二年五月発刊の『自分を鍛える道』〔幸福の科学出版刊〕で三千書を突破)。
延々とやっているわけでございますが、ありがたいことです。みなさん、簡単には悟ってくれないし(会場笑)、私の法も簡単には広がりませんし、本はたくさん出して二千九百冊以上積み上げたら、読む気がする人がいるかどうかは定かではありませんが、それでも、どの一作、一冊がお手元に届くかわかりません。どの一作があなたがたを導くことになるか分からないし、海外の方々もまったく違った種類の本に関心を示しておられます。
だから、私の努力に終わりはありません(会場拍手)。ありがとうございます。
先ほどから、映画ではやや日本神道的な色彩のある、次の映画(『愛国女子―紅武士道』〔製作総指揮・原作
大川隆法〕)の宣伝を兼ねた音楽なども出ております(編集注。本法話の事前プログラムとして、映画の主題歌「愛国女子は往く」のかんしょうがあった)。
今回、(生誕の地として)日本という地を選ばせていただきましたけれども、私の心は、現在、日本語で話してはおりますが、はるかにこの国を超えて、「世界の隅々まで教えを生き渡らせたい」と思っております。
今日は全世界三千五百か所で衛星中継になっておりますけれども、インドとかネパールとかでは国営放送のテレビを何度もかけられますので、実は日本で聞いている人よりもはるかに多くの方が私の花を聴くことになります。ですから、本当は英語かヒンディー語でしゃべらなければいけないところなのですが―、どんな訳になっているかは信らないけれども、現地の翻訳でやってもらうしかございません。ただ親切なことに、「聞き逃す人がいるので繰り返しかかる」そうなので、やっているうちに分かってくる方もいると思います。
また、日本も時間的には何か月か遅れることが多いのですけれども、地方局ではありますが、数局、だいたい五、六局ぐらいのテレビ局では、私の御生誕祭とエル・カンターレ祭の法話は流してくださっています。近県の方も合わせれば、かなりの数の方が観てくださっています。
ですから、私は目の前に座っておられるみなさんを、いちおう念頭においてお話をいたしますけれども、この話はずっといろいろな所に広がっていって、当会の予定しているところでは、最終的に来年の三月末ぐらいまでかかって聴く人がいるとのことであります。ですから、内容的に時事的なものだけであってはならず、一般的な、あるいは普遍的な内容も含んでいなければならないものだと考えています。
【大川隆法『地球を包む愛―天御祖神の教えと真の世界正義』第一章より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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5 希望実現の法則【正念】
①心の底から実現を願う「念い」を出しているか
〇「wish(思い)」と「desire(念い)」の違いを知る
さて、ここで「幸福への希望」ということで述べていきます。
この「幸福への希望」とはどのようなものかを考えてみると、要するに、自分が「こうなりたい」と思うことが、そのようになればよいわけです。しかし、「こうなりたい」と思うものが正当であり、そのとおりになっていけばよいのですが、現実は、なかなかそうはなりません。「こうなりたい」と思ってもならないでしょう。
そのため、こうした希望実現のことは、少し聞いても忘れてしまうのではないかと思います。「あれは、やはり、特別な人だけにあてはまることで、自分には関係がない」と思ってしまうのではないでしょうか。
英語では、「こうなったらいいな」ということをあらわすときに、「wish・ウィッシュ」と「desire・ディザイア」という言葉を使います。「できたら、こうなるといいなあ」「できたら、こうなってほしいな」というものが「wish」です。「desire」は、より切実になります。「こうなってほしい。いや、なってもらわねば困る」というものが「desire」です。
実は、ここが、希望実現における「思い」と「念」を分けるところになるのです。「desire(念い)」まで行かなければ、希望は実現しないということです。
「wish」で、「こうなったらいいなあ」と思い、そういう波長を出したとします。ところが、三次元的には、それを邪魔するものもいろいろあるので、そういうものにプチっと当たると、方向が変わってしまうわけです。
例えば、ベンツ車が走っていて、岩にぶつかったとします。そのときに、岩も少しは動くでしょうが、ベンツもそのまままっすぐには走れません。さらに岩に当たるともっと逸れていきます。
このように、「こうなったらいいな」と思っているのに、障害にぶつかってしまうと、結局、実現しなくなってしまいます。そういうものに二つぐらいポンポンと当たると、もうだいたい諦めてしまうのです。これが大多数の人の姿でしょう。
ところが、この思いが「desire」になると、”戦車”のようなものになるのです。“戦車”が”岩”に当たったときには、岩が動かなければ、大砲をバーンと打ち込み、吹っ飛ばしてでも進むという感じでしょうか。
そのように、念いが”戦車”まで行けたら、希望は実現するわけですが、”ベンツ”だと、「当たって傷ついたら困る」と思って、余計に行けなくなるかもしれません。要するに、自己イメージと非常に関係があるわけです。
〇自分は心の底から「幸福になりたい」と思っているかを考える
ですから、もし「幸福になりたい」と思うなら、「正念」のところで「自分はどちらのほうか」ということを考えなければいけません。
この段階で、もし、ベンツのようなもので止まっているならば、岩に当たると傷つくのでまっすぐには進めず、逸(そ)れてしまいます。しかし、戦車ぐらいにまでなれば、岩を押しのけていくこともできるし、岩が動かなければ、砲弾を撃ち込んで飛ばしてしまうこともできます。ここまで行けば、道が開けないわけはないのです。こういう考え方の違いがあると思ってください。
つまり、「幸福になりたい」と思っても、表面で思っているだけでは絶対に幸福になれないということです。表面だけでそう思っている人はいくらでもいるでしょう。しかし、その心底においては、本当は、「”ベンツ”だから傷ついたら困る」と思っている人は多いのです。そうすると、当たらないのがいちばんよいことになるので、やはり、あたって傷つかないよう逃げるわけです。「前へ行きたい」と思いつつ、”ベンツ”は高価だから傷つくのが嫌で、逃げてしまいます。
【大川隆法『真説・八正道』第八章「正念」259pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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第六章 転生輪廻とは何か
○最大の真理
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私はひじょうに悲しい。
おまえたちは、自分が盲信・狂信をしているように、
人びとから言われるということを、ずいぶん恐れているようだ。
しかし、私は言っておく。
事実は事実、真実は真実。
何人もこれをねじ曲げることはできない。
あなたがたを、たとえあざ笑い、否定し、批判し、
また、謗(そし)る者が現われても、彼らは何も知らないのだと思いなさい。
何も知らない彼らが、
真実を知っているあなたがたを批判することはできないのだ。
人は、自らが知りえたること以上のことを言うことはできない。
自らが認識したこと以上の認識を示すことはできない。
同じ時代に、同じ地域に、同じような立場で生まれ合わせたとしても、
それぞれの魂の境涯はさまざまである。
それは、永遠の進化の過程において、
ある者ははやく進み、ある者は歩み遅くついてきているからだ。
その事実が、地上にある間には、なかなかわからない。
いや、むしろその逆であることも多い。
この世では、この世的に住みよい人、
この世的に住みやすくしたいと思う人間、
この世的によりよく生きたいと思う人間を、
重用する傾向がある。
それゆえに、あの世を信じ、あの世の世界の幸福を願う人間が、
この世では生きにくくなっているやもしれぬ。
されど、勇気を奮い起こせ。
真実を知っている者は、強くなくてはならない。
真実を知っている者は、心弱くあってはならない。
口さがない者たちの批判に負けてはならない。
表面的な理解しかできていない者たちの批判に、負けてはならない。
真実は真実、事実は事実。
世の常識を、世の常識としていつまでも通用させてはならない。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
わたしは、おまえたちに、これだけはどうしても言っておきたいのだ。
おまえたちの最低限の仕事として、
人びとに永遠の生命を教え、
また人間が
この世とあの世を転生輪廻している存在であるということを、
教える必要があるということなのだ。
実は、この思想こそが、
人間として生まれ、生き、成長してゆく過程において、
発見するところの最大の真理であるのだ。
ほかにいかなる地上的真理を学ぼうとも、
それらの真理の値打ちは、この真理にはかなわない。
この真理から見れば、ほんの子供だましにしかすぎない。
人間が永遠の生命を生き、転生輪廻をしているという事実、
その事実を知った時に、人びとの価値観は変わらざるをえない。
人びとの価値観はまったく一八〇度の転換を見るようになるであろう。
すなわち、それより後、
人びとは、自分の人生をもっともっと長い時間のなかで、
考えることができるようになってゆくということなのだ。
【大川隆法『仏陀再誕』第六章「転生輪廻とは何か」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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第四章 漏尽通力
2 現代的霊能者のあり方
以上の観点でもって、現代的な霊能者のあり方を再検討してみたいと思います。
現代の霊能者の諸相は、いったいどのようなものでしょうか。少なくとも、大多数は世の尊敬を受けていないということは事実であろうと思います。世の尊敬は受けていないけれども、なかには、世の興味を引いている人は数多くいます。「他人にはできないようなことをする」ということでもって、若者の目を引きつけたり、心を引きつけたりすることは、数多くやっているように思います。
例えば、「ある種の行法をやれば自分の運命が変わる」とか、「炎のなかに龍を出して見せる」とか、「祈りさえすれば、すべてがよくなる」とか、「このお札をつければ、すべての病気から逃れられる」とか、「このご神水を飲めば、たちどころに病が癒える」とか、「入会すれば天国に行ける」とか、こうしたことを数多くやっているようで、そのよすがとして、霊的能力を誇示している人々が多いと思います。
確かに、霊的能力自体は、神が人々に真理を教えるための方便として与えているものなので、多くの人々を教化し、影響を与え、多くの人々に真理に気づかせるための方便としての霊能力はありうるわけです。しかしながら、それが行きすぎた場合には、世の常識を覆すのみならず、人々を転落させる、あるいは人心を迷わせる恐れを持っていることも事実です。
したがって、「宗教は本来、素晴らしいものでなければならないし、本来、世から評価されるべきものでなければならないにもかかわらず、宗教ということは自体が、日本において悪しきイメージを醸し出している」という現状の原因はいったいどこにあるかというと、巷の霊能者たちの数多くの暗躍にあるのです。彼らが姑息な手段をいろいろと用いて、人々を惑わし、また、いろいろな利益の追求をしたりしている。そういうことが原因で、混乱が起きているわけです。
こうした現代的霊能者のあり方を見るときに、やはり、「漏尽通力、すなわち、霊能力を持ちながら、現代人と同じ、通常人と同じ、平常人と同じ生き方ができる、いやそれ以上に優れた生き方ができる人は少ない」と感じます。
特に「神の声を聞いた」「高級霊の声を聞いた」という人たちの群れのなかに、異常な人が多い。こうした事態は、断固として改革していく必要があります。こうした現状の改革は、どうしてもやらねばなりません。この霊能者の諸郡、霊能者諸像、あの在り方の改革は、どうしてもやる必要があります。
それは、「この地上界においては、霊的能力に関し、『何が正か、何が邪か』『何が真で、何が偽か』ということを判定する基準がない」ということが非常な問題となっているわけです。
私たちが、続々と霊現象を見せ、霊言集を世に問うている理由の一つも、そうした物差しをつくらんとしているためです。もちろん、「霊能者によって、さまざまな多様な個性の一片の光と見ることもできるけれども、私たちは、多様な霊言集を世に問うことによって、「それは、多様な考え方のなかに包摂される教えであるのか、その基準からまったくズレているものであるのか」ということを問おうとしているのです。
こうしてみると、現代的霊能者のあり方でいちばんの問題は、「その者たちの教えを受けたり、その者たちの修法、行法を学んだ人たちが、異常な世界に入っていくことが多い」ということです。それともう一つは、「霊能者信仰といって、『霊能力を持つこと自体に意味がある』という考え方に陥っていく可能性がある」ということです。これは非常に戒めるべき現象です。こうした霊能力信仰に陥ってはなりません。
実際、霊視をすることができるものから見れば、神とか、仏とか、高級霊とかと名乗っているものが、単なる動物霊にしかすぎないことも数多くあります。最高の知性を備えたはずの人間が尻尾をユサユサと振っている狐とか、蛇とか、こうしたものの言いなりになっている。こんなバカなことが現実にあるのです。
人間はもっと尊厳を持たねばなりません。そして、人間が尊厳を取り戻すためには、やはり、真理の世界を正確につかむ必要があります。真理を間違いないものとして受け止める必要があります。
「知らないということは、罪だ」ということを知らねばなりません。知らないからこそ、平然としていられる。それが、現在の大多数の人々のあり方ではないでしょうか。霊的世界を知らないことを当然だと思っている。当たり前のことだと思っている。そして、霊的なことを知っている人と言えば、みな、おかしい人と決めつける。こういう常識は、どうにかして覆していかねばなりません。
霊的世界のなかに素晴らしいものがあることを示し、そして、その素晴らしいものの光で照らしてみることによって、「悪しきものが、どれだけさまざまに暗躍しているか」ということを、はっきりさせてしまう必要があります。日の光に照らされたら”害虫たち”はやがて退散していくことになっているのです。日の光が足りないのです。害虫を退治することよりも、日の光をもっともっと強くしていく必要を感じるのです。
さすれば、私たちの目標は、決して霊能力を否定することにはありません。ただ、「霊能力が付随することでもって、その人がいっそう素晴らしい人格を築き、いっそう素晴らしい力を持っており、いっそう多くの人の尊敬を受けるような生き方ができる。こういうあり方でありたい」と考えるわけです。それが現代的な霊能者のあり方ではないでしょうか。
すなわち、「神が言った」「仏が言った」「高級霊が言った」ということ、こういう言葉を抜きにして、その人自身の考え、言動、行為、信条、思想、過去、経歴が、はたして世に出して恥ずかしくないものであるかどうか。これが問われているのです。世に出して恥ずかしいような経歴ではないかどうか。「まったくの精神錯乱のなかで、突然に悟った」というようなものであってよいわけではないし、「失意のままで何十年も生きているうちに、突然、神の声が聞こえた」、あるいは、「崖から落ちたときに神の声が聞こえた」ということが、本当に真理への誘いであるはずがないのです。
神が自らの独り子であるとか、自らの側近き者たちを、本当にこの地上に遣わしたならば、彼らは、この世的にも優れた能力を持っているはずです。持っていなければ、そんな人が天上界において、最高指導霊としてやれるはずがないのです。この世的にも、それなりの力量を持っているはずです。そういうことを言うことができるのではないでしょうか。
したがって、「神の声が聞こえる」とか、そうした霊的能力を取り去り、その人が裸で勝負したときに、値打ちがある人間かどうか、ここが分かれ目です。少なくとも、そのときに、平均以上の人と言われるような、あなたがたでなければ、霊的能力を持っていることはマイナスにしかすぎません。まったくのマイナスです。それを取り去ったときに、平均以上の人間であるか、人物であるか、人柄であるか。これが問題です。
このように、現代的霊能者のあり方は、「霊能力を取り去ったときに、どれだけの実力があるか」というところで測らねばなりません。そして、「そうした優れた人物が、霊能力を持つことによって、さらにその能力が倍加、二倍、三倍、四倍になっていく」というあり方であってよいのです。霊に翻弄されるようであってはいけません。こういうことを私は強く思うものです。
【大川隆法 『漏尽通力』第4章「漏尽通力」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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エル・カンターレ・大好き
(3/13-2)72『仏陀再誕』を読む―転生輪廻とは何か―最大の真理―現代的霊能者のあり方
