(5/28-2) 62『仏陀再誕』を読む―政治と経済―適正なる発展

『仏陀再誕』を読む

〇人は「時間」の下に平等だが、その使い方によって世界が分かれる
何の下に各人が平等であるかというと、時間の下の平等ほどはっきりしたものはないのです。どんな人であっても、一日二十四時間しか与えられていません。この二十四時間を使って偉人になる人もいれば、まったく世の中を害しただけで終わってしまう人もいます。
そして、「天国・地獄は来世で分かれる」と言われていますが、それらはすべて、こうした時間の使い方で分かれてきた世界なのです。「自分の時間をどういうものに使ってきたか」ということです。

【大川隆法『真説・八正道』第五章「正業」212pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、教典『仏陀再誕』を振り返ります。
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第四章 政治と経済 
○適正なる発展

ここで、私は、足ることを知るという考え方を、
もう一度、説いてみたいと思う。
政治においても、経済においても、この足ることを知るという考え方が、
十分に生かされていないような気がする。
すべてのものが、数字の拡大にあけくれているように思える。
足ることを知るという考えが、どれほど大事であるかということを、
知らなくてはならない。
それは、ともすれば進化のみを追い求める男性的な社会において、
調和の原理を取り入れることにもなるであろう。
足ることを知るということによって、
人びとは両極端の思いから去ることができる。
また、上と下というこの上下の両極端からも去ることができる。
左右の両極端、上下の両極端を去り、
そして、中道に入るという道のなかに、
足ることを知る生き方があるであろう。
さすれば、政治においても、この足ることを知るということを、
十分に知らなければならない。
権力欲をいつまで満たしたところで、そんなものでは何にもならない。
足ることを知り、そして自分を生かす道を考えてゆくべきだ。
また、経済においても同じことが言えるだろう。
会社が発展すれば、それは嬉しいかもしれないが、
どれほど繁栄し発展しても、
限りというものはないであろう。
決して、数や量の拡大が正しいことではないのだ。
そのなかに住み、そのなかに生きる人たちが喜びを得てこその、
繁栄であり発展であるということを、ゆめゆめ忘れてはならない。
足ることを知るということは、
決してブレーキをかけよということではない。
それは、適正なる発展ということなのだ。
適正なる発展ということを考えないと、
すべてのものは失敗に終わってしまう。
樹木であっても、適正な発展があってよいのだ。
草や花であっても適正な発展というものがあってよい。
もし、ひまわりの花が十メートルの高さになったとしたならば、
ひまわりは苦しかろう。
いかに土中から水を吸い上げるかということが、
彼の急務となり、焦りとなり、苦しみとなるであろう。
ひまわりは、やはり二メートルの高さでよいのだ。
また、違った考えもあるであろう。
柿なら柿という木に、数多くの実がなれば嬉しいであろう。
しかし、この実がなりすぎたらどうなるかということを考えたらよい。
なりすぎることによって枝は曲がり、また、その実の味は落ちる。
味が落ち、そして、
その木にとって無駄な仕事をしたことになってしまう。
数多くの実をつけることによって、人びとに喜ばれるとは限らない。
味が落ちれば、人はそれを喜ばなくなるのだ。
やはり、適正な数で、
素晴らしい味の実をつけることがよいことであって、
ある時は豊作となり、ある時は凶作となって、
左右に揺れ、上下に揺れることをもって正しいとは言わない。
いつも人びとの期待にこたえて、適性の量、適正の味で、
柿の実をならせることが、正しいことであるのだ。
そのような考えを忘れてはならない。
すべて、物事の成功には、適正ということが大事である。
なにごとも、やりすぎてはならない。
やらなすぎてもいけない。
中道という道は、決して一時的なことではなく、
無限の成功を作ってゆくための道であるということなのだ。
今、自らの成功をつくってゆくための道であるということなのだ。
今、自らの仕事というものをふり返って、
どこか適正を欠いているところがないかどうかを、常づねに点検せよ。
適正を欠いていないかどうかを点検するということが、
中道に入るということなのだ。
この中道に入るための方法の一つとして、
足ることを知るという視点もまたあるのだ。
そのことを忘れてはならない。
人は、さもすれば外見を繕(つくろ)い、表面を繕う。
表面上の成功を追い求め、浮利(ふり)を追い求める。
浮ついた利益や、浮ついた栄華、浮ついた虚飾、
このようなものでもって、
魂は真に富むことはないということを忘れてはならない。

【大川隆法『仏陀再誕』第四章「政治と経済」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福として、1 
口 10 万円からお受けいたします。

・本植福に参加された方には、「『天御祖神 
感謝報恩の誓い』奉納書」を拝殿の基壇部分に御奉納させていただき、大きな貢献をされた方につきましては、記念碑建立時に銘板をもうけ、そのお名前を記名し、顕彰させていただきます。

・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
  (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

日々のご支援に心より感謝申し上げます。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

【大川隆法『真説・八正道』第五章「正業」212pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、教典『仏陀再誕』を振り返ります。
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第四章 政治と経済 
○適正なる発展

ここで、私は、足ることを知るという考え方を、
もう一度、説いてみたいと思う。
政治においても、経済においても、この足ることを知るという考え方が、
十分に生かされていないような気がする。
すべてのものが、数字の拡大にあけくれているように思える。
足ることを知るという考えが、どれほど大事であるかということを、
知らなくてはならない。
それは、ともすれば進化のみを追い求める男性的な社会において、
調和の原理を取り入れることにもなるであろう。
足ることを知るということによって、
人びとは両極端の思いから去ることができる。
また、上と下というこの上下の両極端からも去ることができる。
左右の両極端、上下の両極端を去り、
そして、中道に入るという道のなかに、
足ることを知る生き方があるであろう。
さすれば、政治においても、この足ることを知るということを、
十分に知らなければならない。
権力欲をいつまで満たしたところで、そんなものでは何にもならない。
足ることを知り、そして自分を生かす道を考えてゆくべきだ。
また、経済においても同じことが言えるだろう。
会社が発展すれば、それは嬉しいかもしれないが、
どれほど繁栄し発展しても、
限りというものはないであろう。
決して、数や量の拡大が正しいことではないのだ。
そのなかに住み、そのなかに生きる人たちが喜びを得てこその、
繁栄であり発展であるということを、ゆめゆめ忘れてはならない。
足ることを知るということは、
決してブレーキをかけよということではない。
それは、適正なる発展ということなのだ。
適正なる発展ということを考えないと、
すべてのものは失敗に終わってしまう。
樹木であっても、適正な発展があってよいのだ。
草や花であっても適正な発展というものがあってよい。
もし、ひまわりの花が十メートルの高さになったとしたならば、
ひまわりは苦しかろう。
いかに土中から水を吸い上げるかということが、
彼の急務となり、焦りとなり、苦しみとなるであろう。
ひまわりは、やはり二メートルの高さでよいのだ。
また、違った考えもあるであろう。
柿なら柿という木に、数多くの実がなれば嬉しいであろう。
しかし、この実がなりすぎたらどうなるかということを考えたらよい。
なりすぎることによって枝は曲がり、また、その実の味は落ちる。
味が落ち、そして、
その木にとって無駄な仕事をしたことになってしまう。
数多くの実をつけることによって、人びとに喜ばれるとは限らない。
味が落ちれば、人はそれを喜ばなくなるのだ。
やはり、適正な数で、
素晴らしい味の実をつけることがよいことであって、
ある時は豊作となり、ある時は凶作となって、
左右に揺れ、上下に揺れることをもって正しいとは言わない。
いつも人びとの期待にこたえて、適性の量、適正の味で、
柿の実をならせることが、正しいことであるのだ。
そのような考えを忘れてはならない。
すべて、物事の成功には、適正ということが大事である。
なにごとも、やりすぎてはならない。
やらなすぎてもいけない。
中道という道は、決して一時的なことではなく、
無限の成功を作ってゆくための道であるということなのだ。
今、自らの成功をつくってゆくための道であるということなのだ。
今、自らの仕事というものをふり返って、
どこか適正を欠いているところがないかどうかを、常づねに点検せよ。
適正を欠いていないかどうかを点検するということが、
中道に入るということなのだ。
この中道に入るための方法の一つとして、
足ることを知るという視点もまたあるのだ。
そのことを忘れてはならない。
人は、さもすれば外見を繕(つくろ)い、表面を繕う。
表面上の成功を追い求め、浮利(ふり)を追い求める。
浮ついた利益や、浮ついた栄華、浮ついた虚飾、
このようなものでもって、
魂は真に富むことはないということを忘れてはならない。

【大川隆法『仏陀再誕』第四章「政治と経済」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福として、1 
口 10 万円からお受けいたします。

・本植福に参加された方には、「『天御祖神 
感謝報恩の誓い』奉納書」を拝殿の基壇部分に御奉納させていただき、大きな貢献をされた方につきましては、記念碑建立時に銘板をもうけ、そのお名前を記名し、顕彰させていただきます。

・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
  (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

日々のご支援に心より感謝申し上げます。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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