(5/20-2)53『仏陀再誕』を読む―愚か者となるな―優しさの価値

『仏陀再誕』を読む

〇この世において与えられた仕事に無駄なものはない
そういう意味で、無駄なものはないのです。無駄なものが出るということは、それを生かし切らないからでしょう。「活かす心がない」から、「活かそうと考えない」からです。この世において与えられた仕事のなかに無駄なものはありません。それはすべて魂の糧となり、魂と糧となるだけではなく、ユートピアづくりのための積極的道具となるはずです。このことについて深く知らねばなりません。

【大川隆法『真説・八正道』第五章「正業」188pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、教典『仏陀再誕』を振り返ります。
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第三章 愚か者となるな 
○優しさの価値

愚かなる人になるな、ということで、さらに言っておきたいことがある。
愚かである人は、
心において優しさというものを持たないことがある。
心に優しさを持つということが、
どれほど大事であるかということを知らないままに生きることがある。
優しさとは何であるかと言うと、
生きていて幸せだ、と多くの人に思ってもらうことだ。
こうした優しさを持ち合わさずに、
人びとを退け、人々を従わせ、恐れおののかせ、
ひれ伏させることを当然として生きているような人がいる。
こうした人たちは、自分がいかに間違って生きているかということを、
知らないでいるに違いない。
やさしさの価値というものは、人間が仏の子であることを示すための、
何よりの証左(しょうさ)であるのだ。
この優しさを、私は、悲しみという言葉で表すこともある。
この地上に生きている者たち、
同じく人間として生きている者たちが、
数多くの苦しみのなかにある。
数多く、肉体という、この束縛のなかで苦しい生活をしている。
悟りへの障害のみ多く、
悟りへのきっかけ少なき世界のなかにおいて、
苦しみのなかに生きている。
また、動物や植物たちもそうだ。
この三次元という世界のなかに、
この現象界という世界のなかに、
苦しみつつ生きている同胞たちを数多く見るであろう。
そうした同胞たちを数多く見て、波が流れないのか。
涙が流れないのであるならば、優しさはそこにない。
そうした他の人の苦しみを見、悲しみを見て、涙することをもって、
大悲という。大いなる悲しみという。
それは仏の慈愛の涙でもあるということなのだ。
真なる優しさは、真なる悲しみにつながってゆく。
そうした悲しみの世の中を見たときに、
他の人の体にとげが刺さっているのならば、
そのとげを抜いてやろうと、なぜ思わないか。
他の人の心に、毒の針が刺さっているならば、
なにゆえに、この毒針を抜いてやろうとしないのか。

人びとよ、悲しみというものを失った時、
人間は自分中心となる。
自分のみのことを考える。
自分のみの幸福を考える。
そのようになってくるのだ。
世の中を見よ、
人びとを見よ、
動物たちを見よ、
植物たちを見よ、
そこに悲しみというものを感じとれ。
その悲しみが、あなたが今、
何をせねばならないかということを教えるのだ。

○自己保存の愚
悲しみを知らない人は、自分自身のことを考える。
自分自身の悲しみをいかほど考えたとて、
それで世の中が良くなるということはないのだ。
世の中をよくしてゆくためには、
他の人びとの心に突き刺さったとげを抜け。
他の人びとの心に刺さった毒針を抜け。
そうした心を持たねばならない。
ゆめゆめ他の人びとを傷つける心を持ってはならない。
ゆめゆめ他の人びとを害する心を持ってはならない。
そのような心であってはならない。
自分一人のみよかれと思う自己保存の心は、
これまた愚かなる人の特徴である。
自分を生かさんとして、自分のみを生かさんとして、
営々と努力しているのであるが、
その方向が、仏の心から離れているのである。
自分のみを生かさんとすることが、
自分をも殺してしまうということが、わからないのだろうか。
自分のことのみを考えるために、
今世、生を享けたわけではないということが、分からないのであろうか。
自分が、今世、生を享けたということは、
その自分自身の生を、
自分自身のためだけに使ってはならないということなのだ。
それを知らねばならない。
ゆえに、自らのみのことを考えすぎるな。
自らを利さんする心が、
決して他の人を害するものであってはならない。
私は、かつてあなたがたに教えたはずである。
自らを利そうとする心は、
自らのみを益し、他の者を害するという心であってはならない。
自らを利するという心は、
自らを利するということが、
他の人を利するということにつながる場合においてのみ許されるのだ。
よく、自らを整え、自らの心を整え、自らの魂を磨き、
そして、素晴らしき世界に入ってゆくべきである。
自らを磨いたということが、他の人びとを善くし、世の中を善くし、
仏のつくられた世界を素晴らしくすることをもって、
よしとせねばならない。
この考え方を決してとりちがえてはならない。

【大川隆法『仏陀再誕』第三章「愚か者となるな」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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