(2/28-3)59『仏陀再誕』を読む―政治と経済―政治の真実―如来の本質

『仏陀再誕』を読む

65 「鬼」の定義は、多様、多種類である。唯一の共通項は、頭に角が生えていることである。一本角の鬼は、一途なところがあり、直線的である。二本角は、受信と発信機能を持っており、性格的には、陰陽の両面がある。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

38 小さな蜘蛛たちが、動物の死骸のまわりに集まっていた。生前、人々から小銭をせびっていた人たちだった。突然、火球が降って来て、彼らは、丸焦げとなった。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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第3章 現代の武士道 質疑応答
質疑応答1 相手の筋の見極め方とは

〇質問1
御法話「現代の武士道」の最後のほうで、「善悪・正邪を分けるときに、物事の筋をしっかりと追っていく」という視点を教えていただきました。

政治においても、私たちの生き方においてもそうですが、さまざまな真剣勝負のなかで、「相手の筋が違っている」と思ったときに、どのような心で、また、どのようなものの言い方や迫り方で、潔くぶつかっていけばよいのでしょうか。「筋の見極め方」といいますか、そのような態度や方法があればお教えいただきたいと思います。

■答え
〇「きちんとものを言うべきとき」の見極め方
大川隆法
仕事柄では、マスコミのなかでも週刊誌等は、ゴシップ的なレベルのもので、いろいろと言ってくるようなことが多いのではないかと思います。

ただ、そのやり方は、正々堂々と御前試合をして、決着をつけようというものではないことが多いわけです。部屋で眠っているときに、布団の中にゴキブリやクモのようなものを投げ込んでいやがらせをするようなレベルの、小さな小さな小細工をたくさんしてきます。

そういうものについて、「忍耐できる範囲のものか。あるいは、放置すれば世の中の乱れになり、悪い風潮になると考えるか」ということです。

こうしたものに対しては、やはり、「言わねばならない」と感じたときに、きちんとものを言うことは大事です。

もちろん、普段は「怒らないこと」も大事なのですが、「怒るべきときに怒ること」も重要なのではないかと思います。いたずらが過ぎるようなら、それは言わなければなりません。

週刊誌レベルだと、同じテーマについて、反対側からも言ってくることはいくらでもあります。こちらから攻めてみて通らなかったら、今度は反対側から言ってみたりと、節操のない言い方をよくしているはずです。このあたりについては、やはり、もう少しバシッと筋を通してほしいと思います。

卑近な例として、国際政治的なものでは、今、「香港の問題」があります。【説法当時2019年10月31日時点】香港については、私も何度か言及していて、講演会で話したり、幸福の科学の月刊誌などにも載ったりしています。

こうした問題に対しては、マスコミの大部分は判断を保留して逃げているわけです。何かめったなことを言って、あとでマイナスのことが起きたら、責任が生じるからでしょう。政府も逃げています。(次回に続く)

【大川隆法 『現代の武士道』第3章「現代の武士道」質疑応答 より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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1正命の現代的意味【正命】
〇正命とは、現代的には「時間の活かし方」と「ライフスタイル」

「正しく生活をする」ということに関して述べてみたいと思います。

「正業」と「正命」の違いについては、「職業」と「生活」との違いというように考えればそれまでですが、正命のなかにはもっと違った意味合いがあります。現代的に言い換えるとするならば、この正命というのは「時間の活かし方」というように考えてよいでしょう。時間の活かし方に関する本は数多く出ているので、目を通したことのある人も多いのではないでしょうか。

また、この正命は、別の言葉で言うならば、「ライフスタイル」という言葉に置き換えてもよいかもしれません。「あなたは、どのようなライフスタイルをよしとするのか」という問いかけです。「あなたは、どういう時間の使い方をよしとするか」、そして、「どういうライフスタイルをよしとするか」ということは、現代にも生きています。

現代社会のなかにおいて、「みなさんが理想と考えるライフスタイルはどうであるか」という問いかけをされたら、サラリーマンのみなさんは、「正業」と「正命」の違いが分るでしょう。アフターファイブというように考えてもよいかもしれません。「アフターファイブの生き方はどうなっていますか」ということです。この無限の時間をみなさんはどのように使ってきたでしょうか。その結果、現在、自分がどうであるのでしょうか。そして、今後どうなっていくのでしょうか。これを考えてほしいのです。

〇人は「時間」の下に平等だが、その使い方によって世界が分かれる

「時間」を金貨にたとえた人もいました。

毎朝、起きるたびに、二十四枚の金貨がポケットの中に入っている。ところが、見ていると、ポケットのなかから金貨を取り出して、ドブのなかに捨てて歩いている人が大勢いる。それでも、いっこうにおかしいと思っていない。本当は、「時間」は金貨以上の値打ちを持っているものなのだ。それにもかかわらず、「金貨を捨てたらおかしい」と思っても、「時間を捨てることをおかしい」と思わない人があちらこちらにもいる。まことに嘆かわしい。

このように考えた人もいました。

また、『黄金の法』のなかにも書いておきましたが、「二十四時間という時間の下における平等性」を考えて見ることも大切です。

何の下に各人が平等であるかというと、時間の下の平等ほどはっきりしたものはないのです。どんな人であっても、一日二十四時間しか与えられていません。この二十四時間を使って偉人になる人もいれば、まったく世の中を害しただけで終わってしまう人もいます。

そして、「天国・地獄は来世で分かれる」と言われていますが、それらはすべて、こうした時間の使い方で分かれてきた世界なのです。「自分の時間をどういうものに使ってきたか」ということです。

【大川隆法『真説・八正道』第6章「正命」210pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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第四章 政治と経済 
○政治の真実

今の日本という国の政治を見ていて、
いちばん嘆かわしい点がここにある。
諸党派相(あい)争い、自らの利害を主張し合う。
これを民主主義と言う人もいるのであろうが、
こうした政治が、決して仏の心にかなうとは、私は思わない。
ほんとうに仏の心にかなうならば、
ほんとうは、諸党派相(あい)集まって、
ほんとうに世の中を、人々の心を、
明るくし、幸せにしてゆくには、どうしたらよいかということを、
真剣に考え合わねばならない。
真剣に提案し合わねばならない。
欲望の民主主義は真実の政治ではないということを知らねばならない。
欲望に基づいてお互いの利権を主張し合うことをもって、
自由と混同してはならない。
自由とは欲望の自由ではない。
自由とは欲望を競わせることではない。
そんなことが本当の民主主義であってはならない。
欲望の民主主義であってはならない。
煩悩の民主主義であってはならない。
自らの政治の利便のために、
自らの生活の利便のために、
欲望のために、候補者を選び、
そしてそのためだけに政治をやらせてはならない。そうであってはならない。
より多くの人々が、
いや、万人が満足できるような社会をつくり出してこそ、
はじめて素晴らしい政治だと言えるのだ。
そのためには、心から争いを去ることが大事だ。
心から争いを去らねば、真の調和は生まれない。
今、いろいろな政党が相争っている。
仏の目からみて、これがいかに嘆かわしいことであるかがわかるか。
また、同一政党のなかにおいても、各派が相争い、
自らが首長になろうとして、競争している。
それはそれで進歩の原理にかなうところもあるのではあろうが、
しかし、「それにしても・・・」という感が拭えないのはなぜであろうか。
それは、人びとに、
争い事を好む人を上には置きたくない、
という気持があるからなのだ。
下々のものが争うということは、
見ようによっては、
子供たちの他愛もない喧嘩のようにも見えるであろう。
しかし、自らの上なる人、
人びとの上に立つ人たちが相争う姿を見て、
どうして国民が心穏やかに生きてゆくことができるだろうか。
争いを上において、下が、何ゆえに穏やかになるだろうか。
調和できるであろうか。
調律できるであろうか。
そんなことは、矛盾でしかない。
矛盾以外の何ものでもない。
人の上に立たんとする者は、
秩序と調和というものを大切にしなくはならない。
そして、常に多くの人に見られ、
多くの人びとに、
徳ある人として尊敬される人間でなくてはならないと思う。
国会という国の政治を議論する場において、
粗暴なる言動は許されない。
人間として恥ずかしい行為は慎まなくてはならない。
そして、いかに自らが当選し、自らの権益を拡張したいからといって、
他を追い落とし、他の人格を批判するがごとき言動は、
厳に慎まなければならない。
そうしたことを、言論の自由と呼んではならない。
私はそう思う。

政治の貧困は、心の貧困に起因する。
政治は、国民から選ばれる人びとによって行われている。
国民から選ばれたる人々が、心不在の政治をするというのであれば、
彼らは選ぶ国民の側にも心が不在していると言わざるをえない。
そんなことであってよいはずはない。
真心の政治をせよ。
誠心誠意、人々のために尽くす人を選べ。
誠心誠意、世の中をよくするために行動する人を選べ。
そういう風潮を出してゆかねばならない。
今の政治は、憂うべきことである。
誰選ぶか、それが分からないのであるならば、徳高き人をまず選べ。
いちばん徳高き者は誰であるかを互選によって選べ。
数の力でもって決めてはならない。
金銭の多寡によって決めてはならない。
その人の政治手腕のみによって決めてはならない。
いかに仏に近き人を選ぶかということが、大事であるのだ。
そうして、政治のなかには、
決して諸党派の相争いを持ち込むのではなく、
どういうふうなことをするならば、
国民が豊かになり、幸せになるかということを、
常に念頭に置かねばならない。

【大川隆法『仏陀再誕』第四章「政治と経済」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第六章 人間完成の哲学
9 如来の本質

「千人の阿羅漢向のうち、菩薩になるのは五人もいればよいほうであり、また、阿羅漢から菩薩への修行には千年の年月がかかる」という話をしました。

それでは、菩薩が如来となるためにはどうすればよいのかと言うと、いろいろな時代や地域に、菩薩として、二十回、三十回と生まれ、どの時代のどの地域に生まれても、自分の目標を八割から九割以上達成できた人が、魂の安定感と仕事の能力を買われて如来になるのです。

それゆえ、菩薩が如来となるには、成功の経験を一万年以上は続けていかなければなりません。それも、「上段階の菩薩として」という条件があるので、非常に難しい修行となります。

菩薩として進化して、上段階の菩薩となったとしても、一万年ものあいだには、転生輪廻の過程で、ある程度の浮き沈みをつくり、間違いを犯すことがあります。菩薩として、人を生かし、利他行に励む立場にあるにもかかわらず、あるときには、新興宗教の教祖となり、魔にそそのかされて自分を宇宙の根本神のように思ってしまい、間違いを犯す例もなきにしもあらずです。

ただ、そうした間違いを犯しても、本来は霊格の高い人であるため、やがて立ち直り、元の世界に戻ってきます。しかし、そのときはまたゼロからのスタートになります。菩薩として千年二千年の修行をしていても、いったん転落し、二百年か三百年、心の垢落としをした場合には、もう一度、初めから修行を始めなければならないのです。

このように、「上段階菩薩として、一万年間、成功し続ける」ということが如来の条件であり、たとえ九千年間は成功したとしても、残り千年でつまずいた場合には、その九千年がふいになり、またゼロから一万年を始めることになります。それだけ難しい修業となっているのです。

そのため、上段階菩薩のなかで如来になる魂は、一万年間で五百人に一人ぐらいしかいません。五百人の上段階菩薩が努力に努力を重ねた結果、一万年に一人だけ如来になるということです。

現在、霊天上界には、如来を目指して修行中の上段階菩薩が二千人前後いると言われています。五百人に一人の割合だと、二千人では四人になります。つまり、一万年間に四人だけ、菩薩のなかから如来が出るのです。すなわち、如来が出るのは、平均すると二千五百年に一人ということになります。

現在、地上に約六十億人、霊天上界をふくめると約五百億人います。その五百億人が修行に修行を重ねた結果、二千五百年に一人だけ如来が誕生するのです。如来となる道はこれほど難しいものなのです。

しかし、たとえ二千五百年に一人であっても、その一人が出ることは、人類全体にとって大変な喜びです。部屋に一〇〇ワットの電球をつけるとパッと明るく輝くように、実在の世界においても、二、三千年に一度、如来が誕生すると、大きなシャンデリアが飾られたようになり、そのたびに喜びが満ちあふれます。新たな如来を迎えて、天上界の力が増すのです。

天上界では、こうした根気強い活動をうまずたゆまず続けています。如来となった人は、女王蜂のごとく、数多くの”卵”を産み、多くの者たちの精神的な中心になっていきます。新たな指導者の誕生です。如来はそれだけの年月をかけて努力を積んでいるので、不動の実力を持っており、その実力でもって多くの人びとを導いていくのです。

現在、天上界にいる如来は五百人にも満たず、四百数十名であると言われていいます。それだけの人数で五百億近い人間を指導しているのですから、如来には、一人で一億人ぐらいを指導できるだけの力が必要となります。

そうした指導力を養うために、上段階菩薩としての修行を一万年も成功させ続ける必要があるのです。しかし、それだけの実績を積めば、誰もが必ず入っていける道であることも時事なのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第六章「人間完成の哲学」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。

大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます

本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります

仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き

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