(2/27-2)58『仏陀再誕』を読む―政治と経済―世を変える力―菩薩の本質

『仏陀再誕』を読む

64 「ぬらりひょん」は、頭の良さを自慢しながらも、責任を取らず、隠したり、とぼけたりするのが、得意である。雨の日には、蓑(みの)や笠で姿を隠す。彼を妖怪の総大将とするのは、間違いである。責任回避を常とする人は、真のリーダーではない。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

39 糞尿の池から、二メートルぐらいのミミズがたくさん出てきた。生前、肛門セックスをしていたLGBTQの人たちだった。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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第2章 現代の武士道
3 現代における武士道精神とは
〇「日本の文化遺産としての武士道」を思い起こす

それから、これは全体に言えることではありますが、そうした「武士道精神」「騎士道精神」が失われてきた時代であると同時に、差別用語でいうわけではありませんが、人間が、女々(めめ)しくなってきつつあるように思えて仕方がありません。

女々しいのです。何かつまらないことにこだわったり、くよくよしたり、自己憐憫(れんぴん)や言い訳に徹したりすることが多いのです。

特に今、官学系の大学などの先生がたに、そういうことを教える人も数多くいます。自分の失敗を突っ込まれたくないので、論理としてはぐらかし、なんとしても名誉を傷つけられないように教えている人が多いのですが、そこの卒業生たちも、官僚になったり大会社に入ったりして、「事無かれ」で人生を過ごしている人は多いのではないでしょうか。

「女々しい」という言葉を感じにすると、やや差別的になるかもしれないので申しわけないとは思いますが、やはり、もう少し「潔(いさぎよ)くあってほしい」と思います。「潔くあってほしい」のです。

勝へくして勝ってもいいし、負けるべくして負けてもいいし、損得勘定で言えば損になるけれども、「これは誰かがやらなければないけない。自分ができることでもあるなら、自分がやらなければないけない」と思うことであれば、やはり、それを直言しなければいけないときもあると思うのです。

しかし、そういう社会になっていません。

特に、日本の、ファジーに、曖昧に、空気で動いていくような生き方に対しては、「日本の文化遺産としての武士道がある」ということを思い起こして、「もう少しパシッと、善悪・正邪を分かつときは分かち、けじめをつけるときはけじめをつけ、物事の筋をしっかりと追っていく」という考え方が大事なのではないでしょうか。

そういうことを、みなさんにも申し上げたいと思っています。

話は以上として、質問があれば幾つかお聞きします。(完)

【大川隆法 『現代の武士道』第2章「現代の武士道」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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11環境に感謝する姿勢【正業】
〇「上司」や「自分を引き立ててくれる立場の人」を批判しない

それと、もう一つは、宗教的人格のなかには考え違をする人が多いのですが、特に、強きを挫(くじ)く性格の人は、みなさんのなかにもそうとういるのではないでしょうか。

真理を学んでいる人のなかには、どうしても、「この世的権力」、あるいは「成功者」へ背を向ける部分があります。そうしたものに背を向けて、「自分はそういう世界の人間ではなく、別の世界の人間なのだ」と考えやすいのです。そして、「上司」を批判したり、「本来なら自分を引き立ててくれている立場の人」を批判したりするようになることがあります。これは、やはり、成功の原理を知らないのです。

いくら下の者をかわいがっても出世はできないものです。それは、そういう”力学”があるからです。いちばん出世するタイプは、上にかわいがられ、下に愛される人なのです。

転職する際にも、「自分はどれだけ多くの人に愛されていたか」ということは、よく分かるはずです。自分が去っていっても、誰もまったく困らず、誰も「残念だ」とも言ってくれないというのは、寂しいかぎりです。しかし、時折、こうした人間になっていることもあります。

ですから、私たちは、成功していると思うときに、よくよく自分の周りを見なければなりません。「ある人たちの力によって現在の自分があるのではないか」「それに対する感謝ができたか」「報恩ができたか」、また、「その報恩は、さらなる自己改革と自助努力というステップを生み出しているかどうか」ということを考えなければなりません。「太陽」と「月」の比喩を、よくよく思い出して下さい。

以上は、極めて現代的な「正業」論である。

釈尊の説いた根本仏教では、「正業」は「正行」でもあり、転生の際の〈カルマ〉の元となるものである。すなわち、戒律や法律、道徳に反する行為をしなかったか。犯罪に当たる行為をしなかったか。などが中心であった。(『太陽の法』第2章第10節参照)

【大川隆法『真説・八正道』第五章「正業」206pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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第四章 政治と経済 
○世を変える力
諸人よ、これより後、
あなたがたは、修行するのみではならない。
あなたがたは、単に自己修行のみに生きてはならない。
あなたがたが修行する姿そのものが、
多くの者たちを目覚めさせるものでなくてはならない。
あなたがたの修行が、
修業するあなたがたの群れが、
世の中を変えてゆくものでなければならない。
私は、そう思う。

欲望によって成り立っているこの社会を変えてゆくものは、
欲望によって成り立たないものであろう。
欲望によって混乱している社会を変えてゆくものは、
執着を離れた人々の行動であろう。
私は、そう思う。

真の執着とは、それは仏への道を志すこと。
この大いなる真の執着は、何人(なんぴと)も持ってよいものである。
されども、偽りの執着とは、
この地上のみに、自らの身を置き、
この地上においてのみ、自らの栄達を求め、
この地上においてのみ、自らを生きやすくせんとする心でもある。
このような偽りの執着を捨て去り、
大いなる執着を、
真なる執着を、
仏へと向かう執着を持つことは大事だ。

執着と言う言葉は悪いかもしれないが、
執着と言うことは愛着と言い換えてもよい。
いや、強い牽引力(けんいんりょく)と言ってもよい。
強い結びつける力と言ってもよい。
仏へと、限りなく自らを高めてゆく力と言ってもよい。

さすれば、あなたがたはこれより後、
この世の中の在り方を変えよ。
この世の中の姿を変えよ。
この世の中の仕組みを変えよ。
唯一の力によって、
大いなる仏と一体化する力によって、
そうして、この世的なる執着を断った平和な心によって。

世の中を変えるに、
革命をもってするという人もいる。
暴力をもってするという人もいる。
流血をもってするという人もいる。
しかし、私はそのような考えをとらない。
世の中を変えてゆくには、平和な心が大事である。
調和の心が大事である。
もし、暴力によって国家が覆ったところで、
その新しい国家もまた、いずれの日か暴力によって倒されるであろう。
流血によってなされた革命は、
やがておびただしい流血を招き寄せることになるであろう。
そうであってはならない。
世の中を変えてゆく時に、
あくまでも心の平静を大事にしなければならない。
心の平安を大切にしなければならない。
調和を基準として世の中を変えてゆかねばならない。
調和そのものをおしすすめることによって、
世の中を変えてゆかねばならない。
極端なるものを去り、調和を中心とし、
すべてのものが栄えるをもってよしとせねばならない。

【大川隆法『仏陀再誕』第四章「政治と経済」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第六章 人間完成の哲学
8 菩薩の本質

阿羅漢の次なる段階である「菩薩」について述べていきましょう。
「阿羅漢の状態で三回ぐらい転生を繰り返さなければ、なかなか菩薩にはなれない」というのが霊界の仕組みです。

そして、人間が転生を繰り返すなかで、阿羅漢の状態に達することができるのは、たいていの場合、偉大な導師が地上に降りているときだけです。それ以外のときに、平凡な市民として地上に生きていたのでは、独力で阿羅漢の状態に達するのは困難です。なかには、自分の人生経験を通じて、独自に阿羅漢の段階に達する人もいますが、割合としてはかなり低いと言ってよいでしょう。

阿羅漢が大量に生まれるのは、偉大な指導者が地上に出ている時なのです。それゆえ、偉大な指導者が出るときには、人びとはこぞって地上に出たがるのです。

大導師が地上に出たとき、その弟子となり、その法を学んで、阿羅漢の状態に達することができれば、以後、それが一定の実力として遺ります。野球の打者に「三割バッター」といわれる選手がいて、いったん三割以上を打てるようになると、その実力はそう簡単に落ちるものではないのと同じです。

そして、大導師の下で阿羅漢に達した人が、次の転生、さらにその次の転生と繰り返していき、三回生まれて三回とも阿羅漢の状態を続けることができたならば、次に、いよいよ菩薩の段階に入っていくのです。これが平均的な姿だと言ってよいでしょう。

菩薩の認定には極めて厳しいものがあり、その認定がなされるまでには、かなりの年月をかけて実績を積まなければなりません。平均的な人間が、ほぼ三百年に一回の割合で生まれ変わるとすれば、菩薩になるためには、阿羅漢に達してから約千年の歳月を要することになります。それだけの修行を重ねていかなければ、菩薩の一員にはなれないのです。

したがって、菩薩を目指す修行者は千年ものあいだ不退転の気持ちで努力しつづける気概が必要です。しかし、たいていの人は、一年ぐらいは、あるいは三年ぐらいは努力ができても、よほど意志の力が強く、謙虚な心で努力を続けていける性格でなければ、千年間も努力しつづけることは難しいのです。

ただ、千年かけて菩薩なった場合には、その境地はそう簡単に崩れるものではないことも確かです。菩薩からはプロの世界です。菩薩というのはプロの指導者、プロの教育者であり、プロとアマの差は歴然としています。心を練りに練らなければ、プロと呼ぶことはできなのです。

菩薩になるにはそれだけの修行年数が必要であり、一朝一夕(いっちょういっせき)で菩薩になることはできないことを知ってください。単に小さな親切や愛の募金をしただけで、菩薩になれると思ってはいけません。それだけの忍耐力を持ち、うまずたゆまず向上への道を歩んでいかなければならないのです。

菩薩の本質のなかには、利他、愛があるわけですが、その愛の奥には、「世の中を善くしよう」と決意し、不退転の気持ちで、うまずたゆまず道を歩んできた者に特有の強さがあります。「堅忍不抜(けんにんふばつ)」という言葉で呼んでもよいでしょう。

すなわち、「人びとを救い、人類を光明化氏、世界をユートピア化する」という理念のために、長い年月、うまずたゆまず山道を歩んできた人が、菩薩として活躍しているのです。

したがって、彼らの光は単なる飾りものの光ではなく、底光りする光だということができます。何百年、何千年もの修行の結果、魂が底光りしているのです。決して借りものの光ではなく、魂の奥深いところから光が出ているのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第六章「人間完成の哲学」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。

大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます

本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります

仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き

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