(2/25-2)56『仏陀再誕』を読む―愚か者となるな―静かに努めよ―阿羅漢とは何か

『仏陀再誕』を読む

62 著者(大川隆法総裁先生)には、一言主神(ひとことぬしかみ)とは、物部系の豪族神(呪術師)であると思われる。顔が醜かったために見せたがらず、洞窟暮らしが長く、おそらくは、土着の土蜘蛛一族の頭領だと推察される。この人が、妖怪の総参謀を務める「ぬらりひょん」の開祖だろう。脳が露出したような二頭身の姿や頭を布で隠したような姿でよく描かれる。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

41 血の池の右側に、なだらかな丘のような針の山が見えてきた。太い注射針のようなものが、五センチメートルから三十センチメートルの長さで、地面から突き出している。

【参考42 畳一枚の広さに、針が五十本は突き出している。高い鉄下駄をはいた鬼たちが、鉄棒をぶんぶん振り回しながら、罪人たちを頂上へと追い上げている】

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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第2章 現代の武士道
3 現代における武士道精神とは
〇今の日本には「武士道的正義の心」が足りない

それから、もう一つ気になることがあります。

それは、霊言などでも、日本の政治やマスコミ等について言われていることかと思いますが、「正義という観点が抜けている」ということです。

やはり、「武士道」が立っているときは、「何が正しいか」という観点はあったと思います。

刀で斬り合うにしても、いたずらに殺人をするわけではありません。「何が正しいか」ということなのです。「自分の考えが正しい。これが、世のため人のため、神仏のためである」と思ったら、剣を抜かなければいけないこともあったのだと思います。

戦後七十数年に足りないのは、(※2025年で戦後80年)この「武士道的正義の心」なのです。これが、まったく足りません。

言うべきところにカチッと言わない。弱い者を見て知らないふりをする。かかわったら損をすると思って逃げる。長い物には巻かれる。自分に利益があれば知らん顔をする。このようなことが、まかり通っています。

損得を抜きにして、「誰も言わないなら、あるいは、誰もやらないなら、自分がやる」と言える人が、とても少ないのです。

これは、「武士道精神が欠けている」と、はっきり言えます。

与党の政治家も、野党もそうですし、マスコミも大多数はそうです。小さなことは大きく取りあげてワァーッと言うけれども、本当に大事な、大きなことになると逃げて逃げて、せいぜい、神を丸めた”紙爆弾”を投げている程度のことしかしません。真剣で切り込んではいかないのです。そういうことからは逃げて、細かいところは大きく言うような癖があります。

言葉を換えて言うならば、「日本を動かしている人たち、あるいは、日本を構成している大人たちの世界になかに、卑怯な心があるのではないか」ということです。

その「卑怯な心」があることに気づいたら、改めていただきたいのです。

もう少し、心を透明にし、神仏の心と一体となって、「自分は正しいのか。正しいことをやっているか」を問う。

あるいは、自己保身のため、会社保身のため、役所保身のため、メディアならメディアの看板を護るために、いろいろな不正を見ても、見てみぬふりをしたり、間違った内容であることを知っていても、「相手を貶(おとし)めるために使える」と思うようなものを、わざと使ったりしていないかどうか。

このような意味での「武士道的な正義論」が、仕事のなかに欠けているのではないかというところを、もう少し問いたいのです。

このあたりが、今、日本の神々も、この国に対して、かなりご不満に思っておられるところではないかと思います。

【大川隆法 『現代の武士道』第2章「現代の武士道」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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11環境に感謝する姿勢【正業】
〇「自分独りの力で成功した」と勘違いせず、まわりに感謝する

ともすれば、私たちは誤解することがあります。自分自身が光っているわけではないのに、他の光を当てられることによって、その反射光で光っているにすぎないのに、すなわち、”月のような存在”であるにもかかわらず、自らを”太陽だと勘違いしてしまう”ことがよくあるのです。

それは、みなさん一人にすべて言えることです。月のように、実は反射光で光っていることが多いのに、「自分は太陽だ」「自分で光っている」と思ってくる瞬間があります。これがいちばん危険な時です。

大企業に勤めている人は、特にそういう危険があると思います。「すべて自分の力だ」と思ってしまいやすいのです。仕事が進んだり、対外的な交渉がうまくいったりすると、「自分の力だ」「自分の器量だ」と思ってしまいがちですが、やはり、会社の看板がそこに効いていることがあります。あるいは、官庁に勤めている人もそうです。その官庁のバックがあって初めて仕事ができるのであり、これを取られた時にどうなるかを考えたら、けっこう無力な自分を見いだすのです。

ですから、自分の個人的信用でできた仕事ではなかったのです。その組織の背景なり、看板なりによって仕事ができていたのを、自分個人の信用だと思ったり、実力だと思ったりしたら、この次の段階で苦しみが始まります。

役所などでも上り詰めた人に天下りということがよくあります。もちろん、天下りでも成功する人はいます。それ相応の実力がある人は成功を収めていますが、逆もまた多いのです。

私もずいぶん見てきましたが、役所で、ある程度以上の立場にあった人が転職して天下っても、なかなか成功できないのです。天下って、給料をもらうだけの立場に甘んじている人はいくらでもいます。そういう人は便利屋的に使われているだけなのです。それは、「自分の実力」と、「バックあっての実力」とを誤解して生きてきた人たちの姿です。本当に仕事ができたわけではなかったのです。机がものを言い、椅子がものを言ったということがあるのです。

これは、普通の会社の部長や役員でも同じです。「自分がいなければ、この会社はもたない」と思っていても、その人が退職したあとも会社は動いているのではないでしょうか。「自分がいなければ、この部は回らない」と思っていても、新しい人に変わってもすぐに動いていくようになります。やはり、ここに大きな考え違いがあることが多いのです。

(成果の)八割ぐらいは、「組織の力」、あるいは「法人の力」「みなの力」であり、残りの二割ぐらいが”自己の個性によって味付けをしている部分”であることが数多くあります。そこを勘違いしてしまうわけですが、ここをよくよく考えなければならないということです。現在成功している人も、それを「自分独りの力だ」と思わずに、その成功を支えている要因に対してじっくりと分析をし、そして、自分を支えてくれた人に対しての「感謝の思い」を持つことが大事なのです。

『成功の法』にも書いてありますが、少なくとも、他の人の引きなくして成功する人はいません。「ゼロ」と思ってください。なぜなら、人間社会というものは、そのように成り立っているからです。

自分独りだけで生きているロビンソン・クルーソーのような世界もあるかもしれませんが、彼の場合でも、フライデーという召使いが出てきて発展したわけであり、自分独りではなかなか発展というのはないのです。

【大川隆法『真説・八正道』第五章「正業」205pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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第三章 愚か者となるな 
○静かに努めよ

また、愚痴の出る原因として、達成されない望みというものがある。
現在ただいま、いくら努力しても、
手に入れられないもの、
とうてい到達できないものへの恨みというものはあるであろう。
しかし、それを愚痴ったところで、
いったい何ほどのことになるであろうか。
それで、あなたがたは進歩するであろうか。
ちょうど、ボートを岸に着けようとするときに、
オールでもって水を漕ぐと、その水が、その波が、
岸辺にあたってボートを沖へと押し出すように、
あなたがたが何かを達成せんとする時に、
達成できなくて愚痴を言うことは、
そのあなたがたの目標から、
あなたがた自身を遠ざけることになるだろう。
あなたがたの将来を遠ざけることになってゆくであろう。
むしろ、そういうふうに言うよりは、
愚痴をなくし、
静かに静かに自らの内に力を蓄えてゆくことだ。
いまだかつて、努力をせず成功したためしはない。
努力せずして、濡れ手で粟の如き成功を願っても、
それは魂的に決してプラスにはならないのだ。
そのような成功は砂上の楼閣であり、
やがて必ず崩れてゆくものなのだ。
人びとよ、努力を惜しむな。
努力なくして物事が達成すると思うな。
努力なくして成功があると思うな。
努力なくして成功した場合には、
むしろ、その成功を恥じよ。
むしろ、その名誉を恥じよ。
むしろ、その名声を恥じよ。
結果ではない。
その努力の過程こそが、
あなたがたの黄金の栄光であるということを、忘れてはならない。
愚かなる人びととして、怒る人、妬む人、愚痴る人をあげた。
この事実はいつの時代においても、真理であるのだ。
自ら自身よく心の内を眺め、
怒る心がないか、妬む心がないか、愚痴る心がないか、
常づねに点検せよ。
そして、こうした心あらば、
自らが愚か者の一人に入っているということを、忘れてはならない。
愚か者であることを早くやめ、智慧あるものとなることだ。
それが、修行者の道でもあるということだ。

【大川隆法『仏陀再誕』第三章「愚か者となるな」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第六章 人間完成の哲学
6 阿羅漢とは何か

次に、「阿羅漢」について述べたいと思います。

釈迦の教えのなかで、教育目的として一番重視されたのは、阿羅漢の状態となることでした。阿羅漢がなぜそれほど重視されたかと言えば、阿羅漢の境地は、この世の人間として第一段階の完成であると同時に、あの世の高級諸霊からの通信を非常に受けやすい状態だからです。

すなわち、阿羅漢とは、この世にあって実在界の存在を感じ、実在界に生きるがごとくにこの世で生きることができるようになる、最初の段階なのです。

阿羅漢の境地は、私の説いている段階論で言えば、六次元光明界の上段階の悟りに相当します。六次元の悟りというのは、仏法真理を知的に詰めていって悟る段階ですが、六次元の上段階は菩薩の前段階であり、ここにいるのは、菩薩の卵、菩薩への登竜門にいる人たちなのです。

阿羅漢の状態にもいくつかの段階がありますが、ここでは二つに大別しておきましょう。第一は「阿羅漢向」という状態です。これは阿羅漢に向かっている状態です。第二は「阿羅漢果」という状態です。「果」とは結果という意味であり、阿羅漢果とは、すでに阿羅漢に達した状態のことを言います。

阿羅漢向と阿羅漢果の違いは、どこにあるのでしょうか。プロの修行者としての自覚を持って生きており、心が悩みや苦しみから解放された境地にあって、常に精進を怠っていなければ、阿羅漢向の状態にあるということができます。そして、阿羅漢果となるためには、そうした状態が少なくとも二、三年は続いているという実績が必要なのです。

心が穏やかで執らわれがなく、少々のもめごとや波風があっても心が乱されない状態、そして、みずからをよく振り返り、精進を怠らず、ある程度、天上界からの指導も受けられる状態、そして、みずからをよく振り返り、精進を怠らず、ある程度、天上界からの指導も受けられる状態、こうした状態が三年続けば、阿羅漢果になったと言えます。一定の期間、その状態を維持することが必要であり、それができなければ本物とは言えないのです。

阿羅漢向になるだけであれば、人によっては一週間ぐらいで可能です。幼いころからの記憶を取り戻して、間違った思いと行いを一つひとつ反省し、両眼から涙がほおを伝うにまかせて、「法雨」を流したとき、守護霊の声が聞こえ、その光を浴びて、阿羅漢の状態になることがあります。

このように、早い人であれば三日から一週間で阿羅漢向になることが可能です。しかし、この状態が長く続くかどうかが鍵となります。一週間ぐらい山にこもって反省行を行い、阿羅漢に近い状態になったとしても、下山して日常生活に戻ると、また心に曇りをつくってしまうのが人間の常だからです。

法雨を流して、みずからの新生を誓った気持ちが、二年三年と続いて初めて、阿羅漢果の状態になるのです。

そして、阿羅漢果の状態で地上を去ることができれば、その人は間違いなく、六次元光明界の上段階にある阿羅漢の世界に還ることができます。

ところが、いったんは阿羅漢向に達しても、そこから転落す者が数多いのです。それはちょうど、崖道を登っている人たちが、頂上まであと少しのところで、ゴロゴロと転げ落ちていく姿に似ています。

阿羅漢向になるのは、ある意味で万人に可能ですが、阿羅漢果に達するのは非常に難しいのです。阿羅漢向に達することは、仏法真理を学び、修行をしていけば、おそらく百人が百人とも可能でしょう。しかし、阿羅漢果に達するのは、その百人のうちの四人か五人にすぎないのです。

そして、阿羅漢果に達した人たちのなかで、菩薩の境地にまで入っていけるのは、十人のうち一人にも満たないのが実情です。阿羅漢果が百人いたとして、菩薩の世界に入っていけるのは、そのうち十人もいればよいほうなのです。

「阿羅漢果の状態になるためには、阿羅漢の状態が三年間は続かなければならない」と述べましたが、菩薩の境地に入るためには、それが一生涯を通じたものでなければなりません。菩薩は利他を旨として一生を生き抜いていくことが前提となっていますが、それは、阿羅漢果の状態が一生を通じて変わらないということと同じなのです。

したがって、菩薩の境地に入るのは非常に困難を極めます。千人の人が修行をしていたとしても、最後に菩薩の悟りまで行ける人は非常に少ないのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第六章「人間完成の哲学」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。

大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます

本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります

仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

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