(2/16-2)47『仏陀再誕』を読む―叡智の言葉―謙虚さと感謝―地獄の実態

『仏陀再誕』を読む

53 「天狗」は、何らかの長所を持った人間として生まれることが多い。謙虚さと反省の大切さを学び、仏法真理を学習することで、長い成功を収めることができる。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

50 偉い立場で、多くの人々を苦しめた人ほど、罪は重くなる。嘘つきは八十センチメートルの鉄のやっとこで舌を引き抜かれる。美女ばかり追いかけていた者は、目玉をくり抜かれる。間違った政治をした者は、腰斬(ようざん)の刑に処せられる者もいる。

【※安倍首相は、あの世で舌を抜かれているようです。
「国葬」になっても閻魔様に舌を引っこ抜かれる奴もいる。『地獄の法』あとがきp321】

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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第2章 現代の武士道
2 現代的仕事における「武士道」とは
〇取引先との交渉で、五人ぐらいの”クビが飛んだ”

実際、最期のほうになると、私が抜いた剣でクビが切られたような人が五人ぐらいいたので、あまりに強すぎて、何か「生類憐み」を感じたというか、「仏陀の諸行無常」を感じてしまいました。

そのくらい交渉が強かったので、会社としては、そういうところによく私を使っていたのです。「もうほかの人では勝てない」と思ったら、私を出してきて交渉させるのですが、私がやると、相手のクビが飛ぶわけです。

もっとも、「本当に、クビが胴から離れた」ということを知ると、やはり、悲しいことは悲しかったのです。

当時、私は二十代後半でしたが、相手は大手の銀行に勤めているエリートで、大学の学部の先輩にあたるような、四十歳とか四十五歳とか、そのくらいの人たちでした。そのように、十年も十五年も二十年も先輩の方々が交渉の相手になることが多かったのですが、そうした人たちのクビが飛んでいくのです。

五本もクビを切ってしまうと、さすがにつらくなって、「はああ、これはきつい仕事だな」と感じました。両方「ウィン・ウィン」(win-win)なら本当にうれしいのですが、そうした「ウィン・ウィン(win―win)の状態にはならなかったのです。

要するに、銀行と話して、銀行から企業にお金を貸し出すときのレートを下げるわけです。そうすれば、こちらとしては年間の利払いが何千万も安くなりますし、それが引き続けば、何億年のマイナスが消えてプラスに転じます。ところが、向こうはその逆で、交渉に負ければ、毎年、損失が何千万円も出続けることになるわけです。

あるいは、「この取引は不利であるから」ということで、こちらが打ち切ってしまうこともあったと思います。「これを打ち切ったら、この人は終わりになるかな」と感じる、その最後の一本を切るか切らないかを考えたこともありました。

私としては、少し緩めながら、”小太刀で斬って”いたつもりではいるのです。それでも、五本ぐらい、課長職や部長職あたりの人のクビが飛ぶと、さすがにつらくなりました。

そのようなわけで、一九八六年の三月、四月ぐらいには、「もうそろそろ、この仕事は引き上げときかな」と思ったこともあったのです。

【大川隆法 『現代の武士道』第2章「現代の武士道」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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2キリスト教の流れにある繫栄の法則【正業】
〇「国の繁栄」と「宗教的真理」とを一致させていくのが神の願い

天上界の計画を眺めてみると、「明らかにこの部分について修正が入ってきている」と考えざるをえません。

例えば、イエスの時代の職業倫理はどうであったでしょうか。それにそれほどの重きが置かれていなかったとは、『聖書』を読めばよく分かります。当時、イエスが「千数百年後の産業社会の到来」まで考えて教えを説いていたとは思えないのです。おそらく、それなりの教えを説いたであろうと推定されるのですが、当時の社会環境においては、そうしたこを念頭において法を説くという考えはなかったのだと思われます。

それゆえに、宗教改革、特にルター、カルバン以来の宗教改革の流れのなかで、「宗教的真理」と「現実生活」の問題が課題とされ、改革されて来たのではないかと思うのです。このプロテスタンティズムの資本主義精神へのかかわりについては、大いに影響があったと思われます。

清教徒がイギリスからメイフラワー号に乗ってアメリカに渡っていき、その後、アメリカが奇跡の発展を遂げていくわけですが、ここに何か、「国の繁栄」と「宗教的真理」とを一致せんとする神の願いがあると考えられるのです。

○ビジネス社会にも宗教的考え方が必要
また、その後の、十九世紀、二十世紀のキリスト教を見ると、一つの「繁栄の法則」を科学的に説明するという側面を持ったキリスト教が台頭し、発展してきています。いわゆるニューソート系統のキリスト教で、これが非常に力を持ちました。

実は、ノーマン・ビンセント・ピールにしても、ロバート・シュラーにしても、彼らの説いた教えは、当初、従来のキリスト教からは異端に見えていたのです。

ノーマン・ビンセント・ピールの『積極的考え方』という本を読んだ方も多いでしょう。全世界で二千万部を突破した本ですが、これが発表された当時は非難轟轟(ごうごう)でした。

四面楚歌という状況にあって、「キリスト教の教えを、現代的な、仕事の役に立ち、ビジネスに使えるようなものにした」ということ自体が、一つの法をねじ曲げた行為であるということで、多くの牧師たちからの攻撃の声は鳴りやまなかったのです。

しかし、そのなかで、着実にその本が全世界に広がっていきました。この背景はどこにあったかと考えてみると、「ビジネス社会のなかに宗教的な考え方を取り入れていかなければ、人々の需要、ニーズに応えていくことができない。過去の『聖書』を読んだだけでは、それが分からない」ということなのです。やはり、それも、天上界からの一つの計画があって行われてきたことであったわけです。

【大川隆法『真説・八正道』第五章「正業」170pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』

今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 叡智の言葉 
○謙虚さと感謝

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
また、私は常づねあなたがたに教えていたはずである。
人は自分の幸福だけを追求してよいものではないと、
自ら一人だけが幸福であればよいものではないと、
常づね、私はあなたがたに教えていたはずだ。
中道の道に入りて、自らが幸福となりし時、
その幸福は、自ら一人のものではないということを知りなさい。
自らが中道の道にて得たその幸福は、
まわりの多くの人びとに返してゆかねばならない。
まわりの人びとを救う力でなくてはならない。
私は、そう思うのだ。
何ゆえに中道の道があるか、あなたがたは本当に考えたことがあるか。
たとえば、中道から外れて、
そして、あなたが苦難の荊(いばら)の道を歩むときに、
あなたがたは、自分をどう救わねばならないかということで、
心が躍起になっているであろう。
また、他の人びとも、あなたがたをどう救おうかと、
そのことばかりで夢中であろう。
多くの人びとに悩みを与え、苦しみを与えるということは、
あなたは今、マイナスの人生を生きているということだ。
ゆえに、あなたはいち早く荊の道を出て、中道に帰らねばならない。

また、得意の時に、謙虚であれ、感謝を忘れるな、と私は説いた。
そのことの意味が、あなたがたにはわかるだろうか。
謙虚さということは、何を意味しているか。
それは、他の多くの人びとの力を受けているということを、
また仏の力を受けているということを、
自らに言いきかすことを意味している。
自らに言いきかせ、
自らの慢心を防ぐということをもって旨としている。

また、感謝とは何であるか。
謙虚さから生まれた行為だ。
謙虚であるからこそ、感謝が生まれる。
感謝が生まれて、
その謙虚さが他の人への行為となって現れてくるのだ。
これが実に大切なことであるのだ。
成功者たちが、成功者として存在が許される理由は、
他の多くの人びとへの愛の実践が、そこにあるからなのだ。
そう、自らの田畑に、数多くの実りをつくったものは、
人びとから妬(ねた)まれたり、
あるいは謗(そし)られたりすることが多いであろうが、
自らの田畑に数多くの収穫を得ても、
他の人びとから喜ばれる道はある。
それは、自らが取り入れた、
自らが刈り入れた数多くの果物、数多くの稲の穂を、数多くの麦を、
まわりの人びとに配って歩くことだ。
さすれば、あなたは存在の愛となる。
さすれば、あなたは存在そのものが善となる。存在の善となる。
その通り、ここにこそ成功の要諦はある。
成功したものを、自らの身のために使おうとする時、
そこに大きな間違いがある。
しかし、成功の成果を、他の多くの人のために生かそうとする時、
それは、世の中を潤し、
そして、多くの人びとの魂を喜ばすこととなるのだ。

○愛の実践
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
我はあなたがたに言っておく。
成功者とは、
例えばあの田畑のなかを流れてゆく水路のようなものだ。
水路はまっすぐに流れている。
まっすぐに流れ、豊かな水量をたたえ、清い水をたたえている。
しかし、この水路から、まわりの田に、畑に、水が供給されてゆく。
これが、成功者の道であるということを知りなさい。
水そのものをいくら貯(たくわ)えたところで、それが徳になることない。
水そのものをいくら貯えたところで、それが善になることはない。
水そのものをいくら貯えたところで、それが成功になることはない。
しかし、その自ら水路に放たれ、水路のなかを流れてゆき、
数多くの田畑を潤した時、
それが徳になり、
それが善になり、
それが成功となるのだ。

人びとよ、
中道というものを考えるときに、
この水路の姿を思い浮かべよ。
もし水路というものが、
数限りない田畑の周辺だけを流れているとしたら、
その水路の水は、その田畑の中心を流れればこそ、
他のものに数多くの愛を供給することができるのだ。
水路は常に中央を走り、
水路は常に中心にある。
水路を中心に田畑は発展し、
田畑を発展させるがごとく、水路が走る。
水は、いうなれば血液のようなものだ。
水路は、いうなれば血液を流すがための血管のようなものだ。
そうして、その血管に血液を送り込んでいる心臓が、
あなたがたの愛の心であるのだ。
これを忘れてはならない。
自らの人生の理想を、水路の姿に置け。
そして、水路に水を送り込んでいるところの、
大いなるポンプに、あなたがたはならねばならない。
田畑が水を欲(ほっ)しているときに、
次から次へと地下水をくみ上げて、そして、
水路に水を供給し続けるポンプのような
あなたがたでなくてはならない。
無限に湧いてくる地下水、それは仏の光でもあるであろう。
仏の慈悲でもあるであろう。
仏の愛を一身に受けるための方法を、
あなたがたは知らねばならない。
あなたがたが惜しみなく他の人びとを満たそうとする時に、
この地下水のごとく、
仏の力が、愛が、勇気が、光が、湧き出してくるのだ。
あなたがたは、そのことを疑ってはならない。
私は、繰り返し繰り返し言っておく。
人生の理想は、ここにあるということを。
人生の理想は、まさしくここにあるのだ。

【大川隆法『仏陀再誕』第二章「叡智の言葉」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第五章 縁起の法
7 地獄の実態

地獄を単なる思想としてのみとらえている人も数多いことでしょう。しかし、地獄は単なる思想ではなく現実にあります。現実にあるといっても、仏がそれをつくったという意味でありませんが、現実さながらに感じられるということです。

みなさんが病気のとき、高熱に浮かされて見る夢は、どのようなものでしょうか。それは、真っ暗でさみしく、冷たい世界の夢でしょう。あるいは、命をねらわれて追いかけられたり、穴に落ちたり、事後にあったりという不幸な経験を、夢のなかでしたことがあるかもしれません。

そうしたときは、実は地獄の世界を霊的に垣間見てるいことが多いのです。すなわち、地獄とは悪夢そのものでもあるといえるわけです。

夢のありがたいところは、目覚めれば何でもないという点にあるわけですが、地獄という悪はなかなか覚めず、覚めるまでに何百年もかかってしまいます。

地獄の住人たちは、「これは悪夢に違いない。こんなことが現実に起こるはずがない」と言い続けていますが、不思議なことに、この夢だけはなかなか覚めません。夢がリアリティー(現実感)を持っており、その世界で新たな自己をつくらないかぎり、そこから抜け出すことはできないのです。

天国・地獄か、目に見えない世界のどこかにあるのではありません。遥か上空に天国があるわけでもなければ、地面の下に地獄があるわけでもないのです。天国・地獄はみなさんが生きている世界と共存しています。三次元世界のなかにあの世の世界が共存しており、人々の心のなかが、そうした世界へとつながっているのです。

地上の人間の目には見えませんが、往来を歩いたり、ビルのなかで仕事をしたり、学校で勉強をしたりと、みなさんがさまざまなことをしているのと同じ空間のなかで、実は地獄や天国が展開されているわけです。みなさんから見れば、きれいに舗装された道路を歩いているだけであっても、その同じ空間で地獄の殺戮劇が展開されていることがありうるのです。

まったく不思議な世界ですが、そうした思い、心というものが、リアリティーを持って存在し、夢が夢でなくなるときがあるのです。したがって、あの世の世界は覚醒時と睡眠時とが逆転したようなものだと考えてよいでしょう。

人間は一生のうちに何度か、リアリティーのあるある夢を見るものですが、そうした夢のなかで、以前に見た夢の続きを見ることがあると思います。「これは前の夢の続きだな」と感じることがあるでしょう。そうした場合には、以前、睡眠中に霊界へ行き、そこでさまざまな経験をして地上に還ってきた人が、再び霊界へ行って、その続きを経験していることが多いのです。

したがって、「自分は天国的な人間か、それとも地獄的な人間か」「自分の心の傾向性は、天国と地獄のどちらに向いているか」ということを知りたければ、自分が夢の世界で見るものをよく考えてみればよいのです。

平和な世界のなかで人びとと喜びを分かち合っているような夢を、数多く見るならば、その人は天国的な人でしょう。反対に、いつもの夢のなかで暗く寂しく厳しい環境に置かれ、心が休まるときがないならば、その人は睡眠時に地獄へ行っているのです。そうした悪夢を見ている人は、それが自分の来世の姿かもれしないということを実感していただきたいと思います。

夢が夢でなくなったとき、あなたはどうしますか。そのとき頼りになるのは、仏法真理を知っているということです。仏法真理を学んでいるかどうかが、まさしく分かれ目となります。

生きているときに仏法真理をしっかりと学んでいれば、悪夢のような地獄の世界からどうすれば逃れられるか、その方法が分かるのです。しかし、生前に仏法真理を学んでいなかった人は、地獄には学校があるわけではないので、どうすればそこから逃れられるのかが分かりません。「知は力なり」という言葉は真理なのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第五章「縁起の法」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。

大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます

本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります

仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史 

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