72 山姥(やまんば)の極端化したものが「夜叉(やしゃ)」であり、「鬼女(きじょ)」とも言う。自分の不幸の復しゅうや、社会への復しゅうのため、人の命を奪い取る。売春宿のおかみや、暴力バーのママ、高利貸しなどにも多く、この世的には暴力団とのつながりが多い。人を「クスリ漬け」にして逃さない者もいる。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
32 生前、借金をしては、倒産を繰り返していた男が、ピラニアと化した債権者たちに、池で骨になるまで食いつくされるのを見た。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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2 悟りの維持の難しさ
〇若い人は「悟りの入り口」に立ちやすいが、「悟りの維持」では”もろい”
特に、若い方にとって、「悟りの維持」は大事なことだと思います。
悟りにおいて年齢は関係ありません。例えば、二十代に亡くなった方、三十代に亡くなった方、四十代、五十代、六十代に亡くなった方が、亡くなったあとに、行くところを見れば、
その人の心の状態は、年齢とは関係ないのです。
若くして高いところへいく方もいますし、中年以降に高いところへ行っている方もいますが、むしろ、中年以降に心に曇りをつくり、霊格が下がっていくケースの方が多いと言えましょう。この意味において、「悟りには年齢は関係ない」と言えます。
ただ、「悟りの維持には年齢は関係がある」と思わねばなりません。
若い人の場合、心に曇りをつくっていない分だけ、早く悟りの入り口に立ちやすいのは事実です。心に曇りが少ない分、また、いろいろな試練を受けていない分、「悟りの入り口」に立ちやすいのです。
しかし、人生の荒波に揉まれていなくて、甘い環境に育っている以上、何らかの事件に出くわしたときには崩れるのも早く、「悟りの維持」において”もろい”のです。こうした難点があることを重々理解していただきたいと思います。
その意味においては、例えば二十代で百の悟りを得た者がいたとしても、この二十代の百の悟りはその人が、三十代、四十代、五十代となっていくうちに目減りしていく可能性が高いのです。「いろいろな事件に当たるたびに、五個落ち、十個落ち、十五個落ちる」という可能性が強いといえましょう。
ところが、四十代、五十代で得た八十の悟りは、その人がそうとう人生の荒波を経てきているため、少々の事件が起きて二個や三個落ちることがあっても、そう簡単には落ちないわけです。
その代わり、純粋でない分だけ、百個まで積み上げるのはなかなか難しく、一個、二個を積み上げるのが難しいのです。しかしながら、そう簡単に崩れないところがあります。
こういう長所と短所があるのです。
【大川隆法『真説・八正道』第7章「正精進」232pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
12月8日は降魔成道記念日です。主エル・カンターレ
大川隆法総裁先生が、1985年12月8日に名古屋の地(降魔成道館)にて、救世主として法を世に説くことを決意しようとしたとき、これを何としても阻止せんと、悪魔が総攻撃をかけてきました。降魔成道記念日とは、この悪魔を打ち倒して、仏法真理の流布に立ち上がったことを記念する聖なる日です。
12/8(日)~10(火)まで、「降魔成道記念日」感謝式典を開催致します。主は、ただ一人往くという不退転の決意によって魔を下し、降魔成道をなされ、救世主として立たれたことに心からの感謝を捧げると共に、大川隆法総裁先生のご復活を心より祈念し、全世界の信者一同で、「降魔成道記念日」感謝式典版「復活の祈り」を執り行います。
主のご復活を妨害する悪霊・悪魔・妖怪・妖魔・闇宇宙・唯物論の勢力といった悪しき者たちの呪いを打ち祓い、主がこの地にて「エル・カンターレの法」を再びお説きいただけるための、結界を皆様と共につくってまいります。皆様ぜひご参加ください。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
吾らの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
吾らを真なる幸福へと導きたまえ。』
今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第五章 忍耐と成功
○孤独の時
しかし、諸々の比丘、比丘尼たちよ。
あなたがたはすでに修行の道を歩んでいる。
すでに修行の道を歩んでいるあなたがたであるならば、
心強くありなさい。
長旅を一人で耐える覚悟をしなさい。
孤独に耐える実力を養いなさい。
人生に勝利する鍵は、実にこの孤独に耐えるというところにあるのだ。
孤独に耐えることに失敗した者は、真に成功したためしがない。
なぜならば、真に成功する前に、
何人にも孤独の瞬間があるからである。
孤独の後には、にぎやかさがやってくることもあるであろう。
しかし、いつもいつも真実は一つである。
成功の前には、必ず一つの孤独がある。
その孤独をいかに生き切ったかが問題であるのだ。
この成功の前の孤独は、
短期間で済む場合もあるが、長く続く場合もある。
十年、二十年と孤独の時を過ごす者もあるであろう。
しかし、恐れるな、孤独を恐れるな。
あなたがたが孤独である時に、
仏もまたあなたがたの傍らにいるということを、
忘れてなならない。
あなたがたが一人坐しているときに、
大いなる者もあなたがたのそばに来て坐しているということを、
忘れてはならない。
あなたがたは、孤独であるのではない。
あなたがたは、単に孤独であるのみではない。
あなたがたは、真に今、魂を鍛えているのだ。
魂から、今、光が出んとしているのだ。
魂が、底光りしてこようといているのだ。
若者たちよ、孤独を恐れるな。
孤独のなかにこそ、あなたがたの魂が伸びてゆく機会があるのだ。
真に孤独の時間をどのように耐えたかが、
あなたがたが本物であるかどうかを試すチャンスとなる。
若者よ、にぎやかさのみを求めるな。
人びとの目につき、人びとの称讃を受けることのみを望むな。
孤独の時間のなかに、永遠にあなたがたを生かす何かがある。
その、永遠にあなたがたを生かす何かをつかめ。
その、永遠の何かをつかんだ時に、あなたがたは変わる。
いや、変わらざるをえない。
あなたがたは、一八〇度の回転を見るであろう。
そして、大いなる時間、大いなる瞬間、
大いなる生命に打ち克ってこそ、真の勇者は生まれるのだ。
【大川隆法『仏陀再誕』第四章「政治と経済」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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第一章 霊的人生観
5 菩提心
本章を締めくくるに当たって、最後に「菩提心」ついて話をしておきたいと思います。
霊的人生観の根本は、結局は菩提心です。菩提心は、悟りを求める心、「悟りを求めたい」という心です。
「これは、はたして後天的に得られるものかどうか」ということを振り返っていただきたいのですが、どのような地域にも、どのような民族にも、「悟りを求めたい」という気持はあったと私は思います。
それを必ずしも「仏教的なる悟り」と言う必要はありませんが、この菩提心の背景にあるものは、結局、よりよい向上心、あるいは「神に近づいていきたい」という気持ちであろうと思いますし、これは、本来、魂のなかに備わっているものなのです。
もし魂のなかに、「堕落したい」という欲求が本来備わっているならば、大変なことになってしまいます。しかし、人間はすべて「よくなりたい」と思っています。その証拠が幾つかあります。
例えば、どんな人にも、「他人によく思われたい」という気持があります。これを自己保存欲や名誉欲と言ってしまうことは簡単ですが、一概にそうは言いきれない面があると思います。誰しも、他人によく思われたいのです。他人から悪く言われて、うれしい人はいません。他人によく思われたいと思います。
これが社会の防波堤になっています。そうではないでしょうか。
悪く思われたい人ばかりがいっぱいいたらならば、大変な社会になってしまいます。しかし、どんな悪人でも、どんなに「心根が悪い」と言われる人でも、自分は他人の悪口を言うことはあっても、自分が他人に悪口を言われたいとは思っていないのです。
これは一つの防波堤になっています。やはり、「向上心がそこにある」ということです。「霊的なる向上、悟りに向けての向上を求める気持ちは、本来、魂に備わっている機能である」ということを知らねばなりません。
本来、そうしたものが眠っているならば、それを見つけ出すために助力をしてやること、補助してやることが大事です。
どうやって、その悟りへの芽を育ててやるか。どうやって、水をかけてやり、肥料をかけてやるか。こうしたことが大事であろうと思います。その悟りへの芽をどう伸ばしていくか。
結局のところ、これは、「悟りを得ることによって、いかに人間が素晴らしくなるか」ということを証明することではないでしょうか。
「悟りを得る」と俗に言われていることが、この世的な異端者を生み出していくだけならば、何のための悟りか分かりません。
菩提心の根本としての「悟りを求める気持ち」これを突き詰めていったときに、悟りを得て、いったい人間はどうなるのでしょうか。
悟りを得る結果が、先ほども述べたように、単に、「この世に転生輪廻をする」という、その悪しき輪廻を断ち切るだけであるならば、この世に生まれてくる必要はないわけです。
しかし、そうではなく、悟りにはもっと積極的なる意義が何かあるはずです。それを求めねばなりません。
その積極的なる意義とは何でしょうか。それは、やはり、「霊的に目覚め、霊的人生観を持った人が、この世的にも素晴らしくなっていき、この世的にも成功していく。悟りを得た人が、ますます、この世的にも影響力を増していく」ということではないでしょうか。私はそうだと思うのです。
それゆえにこそ、本書「漏尽通力」ということが非常に大事になっていくわけなのです。
後ほど詳しく話をしていくつもりですが、今回、私の提唱する漏尽通力とは、「優れた高度な霊能力を持っておりながら、常識人としても最高度の能力を発揮できる能力」のことです。そういう能力のことをいいます。
「あの世的能力も持ちながら、この世的にも優れた人」の輩出が、今後、大いなる証明として大事なのではないでしょうか。そうした人がでることによって、「菩提心が必要である」ということが証明されるのではないでしょうか。
今、イエス・キリストが地上にいたとしても、釈迦が地上にいたとしても、やはり優れた人物として仕事をするであろうと思われます。
ですから、本来、「悟りを得た人」は「優れた人」にならざるをえないのです。「悟りを得た」と自称しておりながら優れていない人々の数多くの言動を見るにつけ、世の人々は不信感を持つのではないでしょうか。
したがって、私たちは、菩提心を重視する以上、「その悟りの結果、どうなるのか」という面も、しっかりと説明していかねばならないと思います。
そして、それが、素晴らしいものであり、人間が本当に目標とするにたりるものであるならば、「悟りを求める心、菩提心は、どれほど重要か」ということを知って、損をすることはないのではないでしょうか。私はそう思います。
ですから、霊的人生観の根本に「菩提心」というものをしっかり据えていこう、そして、「その先にあるものがいったい何であるのか」ということをしっかりつかんでいこう、こういう考え方が大事であると、私は信ずるものであります。
【大川隆法 『漏尽通力』第一章「霊的人生観」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について
・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。
・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。
日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。
・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。
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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)
(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)
・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。
(『現代の武士道』)
・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
(「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)
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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史
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