81 現代宗教としては、滝行をやった修行者が、竜神が憑いたものと思って、小さな教団を作ったりする。その実、教祖に憑いているのは、十中八九、蛇神であり、修行途中で命を落とした修験者である。近づかないことである。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
23 掃除、洗濯、整理整頓ができず、不潔だった者は、汚泥の中で、豚のようにころげ回っている。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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5 希望実現の法則【正念】
③心底から「神の子として、世の中の役に立ちたい」という気持が出てくるかどうか
では、どのようにすれば、「desire」のほうの念いが出てくるのでしょうか。ここが大事なところです。
心の深いところから、切実に「なぜ、その願いが持てるのか」ということです。なぜ、切実に「そこまでやりたい」という気持が起きるのでしょうか。
これは、その人の向かうべき方向や理想というものが、いったいどこにあるのかということと非常に関係があります。「あなたの理想はいったい何か」ということです。
もし、木の葉が池のなかで漂うような、そういう生き方をしているならば、そこまで行くことはほとんどないでしょう。しかし、激流のごとく押し流していく、打ち破っていくという気持があるならば、できるでしょう。
ここで、「本当に自己信頼をしているかどうか」「本当に自分を神の子だと思っているかどうか」「自分の核には金剛石の部分、ダイヤモンドの部分があるということを信じているかどうか」ということが試されるわけです。「結局、自分はダメな人間だ」などと思う人には、「正念」による自己実現は絶対にできないのです。
「自分は大いなるものとして、世の中の役に立っていきたい」という気持が、本当に心の底から出てくるかどうかです。
そういうものが出てこない人は、どちらかというと、周りから与えられる人生を生きてきたはずです。よく振り返ってみてください。そういう人は、ほかの人から施しを受けて生きてきたはずです。親切をしてもらって、それでも「まだ足りない」と不満を言い、愚痴を言うような人生を生きてきたのではないでしょうか。これは、もらっていることのほうが多い人です。
ただ、本当は、心の底から「人々を愛したい」「人々に与えたい」という気持が出てこなければ嘘です。そこまで行かなければ嘘なのです。そのときに初めて、力強い人生を生きていくことができるでしょう。
【大川隆法『真説・八正道』第八章「正念」265pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
12/15(日)は「エル・カンターレ祭」を開催致します。エル・カンターレ祭は、7月の御生誕祭と並んで幸福の科学の二大祭典です。22日(日)までエル・カンターレ祭を10時、13時、19時にて連日開催いたします。皆さまご参集ください。
主に心から今年一年の慈悲と知恵とご指導へと感謝と、さらなる報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
エル・カンターレ祭では、大宇宙を創り、生きとし生ける者を創り出され、永遠の愛を与え続けておられる「創造主の愛への感謝」を深め、主
大川隆法総裁先生より、この一年間に賜った数々の御慈悲を振り返り、心からの感謝・報恩の念いを捧げさせていただきます。そして、大川隆法総裁先生のご復活を心より祈念し、全世界の信者一同で、エル・カンターレ祭版「復活の祈り」を執り行います。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第六章 転生輪廻とは何か
○幸福の道
それゆえに、
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
おまえたちが、この地上で生きてゆくうえにおいて、
もし、さまざまな迷いが起きたならば、
さまざまな判断に苦しむことがあったならば、
まず悟りの道を極める方向をとりなさい。
この方向をとりなさい。
それ以外のものを考えすぎてはならない。
自分の生活や、自分の地位や名誉を考えすぎてはならない。
そのようなものは捨てても、またいつか現れてくるものであろう。
しかしながら、悟りの道は、いったん捨てたならば、
ここに戻ってくることは、きわめて難(かた)い。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
よくよく言っておく。
私のこの言葉を憶(おぼ)えておけ。
あなたがたは、仏と同じ時代に生まれることが、
いかほど難しいかということを知っているか。
仏が下生する時に、生まれ合わせるということは、
これは、たとえようもない幸福であるのだ。
そのような時代に、
そのような地域に、
同世代として生まれ合わせることができた者は、幸いである。
また、生きて仏に相見(あいまみ)えることができた者は、また幸いである。
生きて仏に相見え、仏の声を聴き、
仏の姿を見ることができた者は、幸いである。
その幸福は、おそらく幾千万年、幾億年の幸福に匹敵するであろう。
また、仏の世に生を享(う)け、仏の世に仏に巡り合い、
仏の教えを聴き、
そして仏の教えをよすがとし、縁として、
そして悟りに到ること、それまた難(かた)し。
そのようなことは、
稀有(けう)なる幸福であるということを知らねばならない。
仏と同じ時代に生まれるということでさえ、稀有なることであるのだ。
また、生きて仏に相見えることも、稀有なることであるのだ。
ましてや、仏に相見えて、悟りを与えられるということは、
さらに稀有なることなのだ。
あなたがたは、こうした大いなる幸福を得るためには、
他の一切が惜しくないという気持を持たねばならない。
他のすべてのものを捨てででも、その道に入らねばならない。
それは、あなたがたが忘れてはならないことなのだ。
この世であなたがたが握っているところの、さまざまな執着は、
これは、地上を去るときにまったく虚しくなる。
そのようなものは持って還れない。
どのような者であっても、齢(よわい)百歳を超えるのは難しい。
その時に、持って還れるもの、
地上を去る時に持って還れるものが、いったい何であるかを知れ。
地上を去る時に持って還れるものは、心しかないのだ。
心しか持って還れないならば、
その心を幸福に満たす以外に手だてはないのだ。
心を幸福に満たすには、悟りの喜びを味わうに如(し)くはないのだ。
悟りの喜びを味わい、心幸福ならば、
今世はすなわち成功したと言ってもよい。
その幸福のために、すべてを賭けよ。
○日々の発見 日々の感動
ただ、私はあなたがたに言っておく。
一時的にそのような気持ちになる者は、数多くある。
仏のために、仏の教えのために、そして、自らが悟りを得るために、
一時的に身命を賭(と)すという気持になることは、
そう難しいことではない。
ただ、おそらくは十中八九の人間は、やがてその感激を忘れ、
平凡な生活のなかに埋没してゆくということだ。
その感激を忘れ、その尊さを忘れたとき、また自らも転落し、
平凡なる河原にて、石を数えているということを忘れてならない。
よいか、
修業への道は日々の発見であり、日々の感動である。
もし、そのようなものを感じなくなったとするならば、
もはや慢心していると言わざるをえない。
慢心したる者は、悟りへの入り口をくぐることはできないのだ。
慢心したる者は、その門より追い出されることとなる。
その門から転げ出、そしてやがて、
元いた道を引き返さざるをえなくなる。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
およそ、人生の勝利とはこのようなものだ。
一時的な決意は、すべての者がすることができる。
しかし、その決意を堅持することは難しい。
その決意を堅持することができた者は、
さらに大いなる境地に達することができるであろう。
その不退転の境地に達した時に、
天も地もこれを祝うであろう。
【大川隆法『仏陀再誕』第六章「転生輪廻とは何か」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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第四章 漏尽通力
4 観自在力
低級霊媒体質の話をしましたが、高級霊体質のなかには、「観自在」という能力があるので、これについて、多少、話をしておきたいと思います。
『般若心経』のなかに、「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時」という言葉があります。観自在菩薩は古代インド語の訳で、アヴァローキテーシュヴァラといいます。観自在菩薩というのは、「自在に、何でもすべてが分かる、手に取るようになった状況の、菩薩の心境の人」という意味です。
観自在の能力というのは、具体的にどういう能力であるかというと、まず、「人の考えが手に取るように分かる」という段階が中心です。これを「他心(たしん)」ともいいます。他心は、他人の心が分かる、いわゆるマインド・リーディング能力です。この他心は、読心能力と言っても、読心と言ってもよいです。これがよく観自在の一つとして挙げられます。
講演会などで話をしていても、会場にいる人たちの心が分かる。そこに誰が坐っているかが分かる。何を考えているかが分かる。そうしたことを無意識のうちにズバズバっと指摘できる。こういう能力です。
この能力は、釈迦の持っていた能力のなかでも、最大のものの一つでした。他人の考えをずばりと読む能力です。これも、そういう立場になれば、ますます高まってきます。人びとを指導するという使命を持って現に指導していると、この能力はもっともっと倍加していきます。これもまた、真理の証明であり、神から遣わされた人であることの証明でもあると思います。こういう観自在能力があります。
これ以外に、例えば、「人の過去・現在・未来を見抜く」という三世を見通す力があります。「過去世をリーディングする」「過去世を読み取る」という力も観自在能力の一つです。
その人が過去どういう人生を送ったか。今世の過去のみならず、過去世、そのまた過去世、そのまたまた過去世、こういう過去の歴史を見抜く。過去どういう地域に生まれ、どういう生涯を送り、どういう一生のなかで、どういう心境を持って死んでいったか。そのなかで得た特質はいったい何か。どういう長所を得、どういう短所をつくって生きてきたのか。また、どういう人間関係に恵まれていたのか。こういうことが、はっきりと分かるようになってくるのです。このように、過去が分かる能力があります。
また、観自在のなかには、いわゆる予知能力と言ってもよいのですが、「未来が分かる」という能力もあります。「未来世が分かる」「先が読める」ということです。
釈迦自身、今から二千五百数十年前に地上を去るに際して、「やがて自分はジャンブドヴィーパのケントマティに生まれ変わる」ということを言っています。これは現代的に訳すならば、「東の国の大都市」という意味です。「ジャンブドヴィーパのケントマティに生まれ変わる」、こういうことを予言して、死にました。
そして、「自分の法はやがて全インドに広がり、インドから中国に、中国から日本にと受け継がれていくのだ。自分の死後、五百年間は『正法の時代』が続くだろう。しかし、その後の五百年間は『像法の時代』が続くだろう。『正法の時代』は、教えが正しく伝わって、人々の心が正しく営まれているときである。しかし、『像法の時代』になると、かたちだけは残っていて、中身はだんだん骨抜きになっていくだろう。その後はやがて『末法の時代』となっていくだろう。法が衰えていくだろう」、こういうことを釈迦は言いました。
これが「五百年刻みである」という説、あるいは「千年刻みである」という説、「八百年刻みである」という説、いろいろと諸説が現在遺っていますが、いずれにしても、そういう段階があるということです。
「正法が伝えられる時期、それが形だけになっていく時期、やがてすたれていく時期があるだろう」その末法の世にもう一度、本仏が甦(よみがえ)り、新たな教えを説くであろう」。こういうことを釈迦は予言しています。
この未来仏になるのが、弥勒菩薩と呼ばれています。マイトレーヤーといわれる存在です。インド語ではマイトレーヤーという名前で呼ばれました。そして、こういう未来について書き遺したのです。
こうした予言という未来予知、三世を見通す能力も釈迦の能力の重大な能力の一つでした。
これ以外に、例えば、「遠隔地にいる人の心を手に取るように読む」という能力があります。ここに現にいない人、離れた地、何百キロも離れた地に入る人の考え、悩み、あるいは、その人の問題と、どうしたらよいのか、こういうものを読み取って、そして答える。あるいは、「どこそこに、こういう人がいる。その人に会いに行きなさい。会えばこうなるであろう」ということを言う能力です。こういう、遠隔地を霊視する、あるいは霊的に読み取る能力もあります。
このように、観自在力というものがあって、霊的にはかなり高い能力です。いわゆる悟りとしては、梵天界くらいの悟りから如来の悟りに入ってきます。これも一種の霊体質と言えますが、自然にそういう能力をもつようになってきます。
これは、地上においてだけではなく、天上界においても実際そうです。霊たちは、もちろん観自在能力はある程度持っていますが、その霊がいる段階に応じて、観自在能力に差があります。あの世の例だから、すべてが分かるわけではありません。あの世の霊であっても、地獄界で迷っている霊たちは、程度の差こそあれ、いろいろなことが分かりやすいのです。そして、高次元の存在になればなるほど、いろいろなものを読み取ることができます。分かることができます。このようになります。
したがって、「観自在能力には果てがない」ということになります。観自在能力を突き詰めていき、最古の段階まで行くとどうなるかというと、昔から「神は地上に葉っぱ一枚落ちることさえ知っている」と言われていますが、この地上に起きているすべてを瞬時につかむことができる能力を持つに至るようになります。もっと能力が増せば、大宇宙のことがすべてわかるところまで行きます。こうした観自在能力もあるのです。
【大川隆法 『漏尽通力』第4章「漏尽通力」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について
・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。
・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。
日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。
・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。
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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)
(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)
・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。
(『現代の武士道』)
・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
(「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史
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