39 つまり、「仏」に対しても邪心があり、「法」に対しては自我流の解釈をし、「僧」については、偉くなって利用することしか考えていない。
40 ゆえに、妖怪は、言を左右にして、自己保身に走りがちである。
【参考】
36 妖怪はまっとうな信仰心を持っていない。
37 妖怪は、他人を騙すために、信仰心を悪用する。
38 ゆえに、妖怪は、「仏・法・僧」に「三宝帰依」できない。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
59 ある時、イエス・キリストを弱き神と称し、殉教して行った人々を「バカだ」と言っていた人が、十字架につけられ、荊(いばら)の冠を被せられ、五寸釘を打ち込まれるところを見た。信仰を捨てた聖職者のようだった。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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1言葉の影響力【正語】
〇言葉は「世界をよりよく創造していく愛」にも「世界を破壊する暴力」にもなる
五年前、十年前の他人の言葉が心のなかに残っていないでしょうか。心に突き刺さっている言葉というものは、何年も前の言葉が多いはずです。「そのとき、その人の不用意な一言」が突き刺さって自分を傷つけているというようなことは、ずいぶん多いはずです。そして、その言葉を発した当の本人がそれを覚えているかといえば、覚えている人は、まず一割にも満たないものです。より厳しく見積もれば、二、三パーセントもいるかどうかでしょう。
ただ、たまたま体調が悪かったり、機嫌が悪かったり、ほかの事件があって忙しかったときに出した言葉であったとしても、出したら、それは相手の心に残るのです。言われて、聞いた人が、それを心の中に刻印したら、それは残ります。もちろん、修行をしていて、そういうものを流せる工夫をしている人であれば別かもしれませんが、普通の人は、そうした言葉を心の中に残してしまいます。
特に、女性の場合は強く残りやすいところがあります。言われた言葉が、まるで写真で焼きつけたように残っていて、現在ただいまの言葉のように感じられるのです。十年前に言われたことであっても、その人の顔を見た瞬間、反射的にパッと出てきます。
例えば、ある人から十年前に「お前が嫌いだ」と言われたとしても、今は自分のことが好きになっているかもしれなくても、会った瞬間に当時のものがパッと出てくるのです。あたかも電光掲示板のように脳裡を走るのです。「君は服装のセンスが悪いね」と以前に言われていたとしても、今ではその人の考えもすでに変わっていて、「センスがよくなったな」と思っているかもしれないのですが、それを言わない以上、自分には十年前に言われたことがそのまま残っているわけです。そして、会った瞬間にパッと出てきます。言葉というものの影響力は、それほど大きいのです。
第2章「正見」では、「『見る』ということについて責任を問われることはない。その意味において、『見る』ということはチェックされにくい」と述べましたが、「語る」ということは、世間的に、客観的にチェックされます。そして、「語る」という行為の結果が、「世界をよりよく創造していく愛」ともなれば、「世界を破壊していく暴力」ともなるのです。
【大川隆法『真説・八正道』第4章「正語」138pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
吾らの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
吾らを真なる幸福へと導きたまえ。』
今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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改訂へのまえがき
今から二千五百数十年前、インドの霊鷲山にて、マガダ国の首府ラージャグリハ(王舎城)の街を見おろしながら、頭を丸め、柿色に染めたそまつな衣を身にまとって、私の法話に随喜の涙を流していました。時代は変わり、国名も変わり、あなたがたの服装も変わりました。
しかし、仏法真理を感じ取る心は同じでしょう。師と弟子とは、法によって、永遠に結ばれています。仏―法―僧は一体です。
この永遠の書を、再びあなたがたに贈ります。
一九九四年 十月
幸福の科学主宰 大川隆法
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まえがき(旧版)
この『仏陀再誕』という本は、本書の各章をみてもわかるとおり、仏教の中核理論をなす内容を、釈迦の言葉で、弟子に対するメッセージとして述べたものです。それゆえに本書は、仏法真理に目覚めた人たちにとっては、確かな指針となり、また、ある時には厳しい警告となるでしょう。
かつて仏教を学んだ者は数多くいるでしょうが、これほど直截(ちょくせつ)に、仏教の精髄が説かれたことはなかったと思います。また、直接的なメッセージというかたちをとったために、その内容も分かりやすく、また、核心に迫ったところがあると考えます。
本書は、修行者必携の書であり、常に座右から離してはならない書であります。
最後まで、味読いただくことを願ってやみません。
一九八九年 七月
幸福の科学主宰 大川隆法
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第一章 我、再誕す
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私の声を憶(おぼ)えているか。
あなたがたは、かつて私の話を聞いたはずである。
幾万年、幾十万年、幾百万年の歳月のなかで、
あなたがたは、私とともに地上に生まれ、
実在界にあって、またわが弟子として、道を学んできたはずである。
〇目覚めよ
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
我はここに再誕す。
我が再誕を喜べ。
我が再誕に気づけ。
我が再誕に、その事実に、その時に、気づけ。
あなたがたは、かつてあのインドの地で、
私の話を聞いたはずである。
あのインドの地で、わが教えを聞きたる、
幾千、幾万の、縁生の弟子たちよ。
あなたがたは、目覚めなくてはならない。
あなたがたは、まだ深い眠りを貪(むさぼ)っているのではないのか。
あなたがたが眠っていては、私は本来の仕事ができないではないか。
我が目覚めた時、すべての弟子たちは目覚めなくてはならない。
我が声を発した時、
すべての弟子たちは我がもとに集い来たらねばならない。
縁生の弟子たちよ。
この懐かしい響きを聞け。
この懐かしい声を聴け。
この懐かしい言葉を思い起こせ。
私は、常づねあなたがたに語っていたはずである。
人間というものは、いかに偉大なものであるかを。
人間の魂が、いかに偉大であるかを。
人間というものは、どれほど大いなる使命を帯びているかを。
縁生の弟子たちよ。
我はおまえたちに、かつて教えたはずである。
おまえたちの、今のその姿は、その顔は、その心は、
とうてい、
ダイヤモンドのごとき輝きを湛(たた)えているようには見えないであろうが、
しかし、心を澄まして自らの内を観よ。
心を澄まして、自らの真実の姿を観たときに、
そこに、金剛石の光があるはずだと、
私は、あなたがたに、教えてきたはずである。
【大川隆法『仏陀再誕』第一章「我、再誕す」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第四章 空の思想
8 諸行無常の意味
「空」にちなんだ話をもう一つしましょう。
「諸行無常」という言葉があります。この言葉は、日本では『平家物語』の冒頭に取り上げられ有名になりました。諸経無常という言葉には、うら悲しい調べがあり、やがて消え去っていくもの、没落していくものの哀れさを感じさせずにはおきません。『平家物語』の作者は、「源氏や平家が滅びていった姿に諸行無常を見る」と言っているようです。
しかし、「釈迦の説いた諸行無常の思想には、実在の世界を知った人間の不動の視点がある」と見なければなりません。諸行無常というのは、地上世界において変転していく姿だけを言っているのではないのです。あくまでも実在世界の眼でもって、地上界の人間の変転してやまない栄枯盛衰を言っているのです。
「変わりゆく世界のなかにあって変わらないも、それをつかみきった人間こそが、世界の本当の意味をつかむことができる。諸々の行いは、やがて無情にも流れ去っていくものであるが、川のごとく流れていく人類の歴史、人びとの営みのなかで、変わらざるもの、変わることのない視点をつかんだ人間こそが世の流れの虚しさを知ることができる」
つまり、諸行無常というのは、厭世的(えんせいてき・人生に絶望し、世をはかなむ傾向にあるさま。反対語・楽天的)なおもいだけを言っているのではなく、実在界の視点という立脚点を持った人間の眼で見た、社会の姿なのです。
これは現代においても同じです。仏法真理の世界を知った眼でビジネス社会を見ると、そこに虚しさが見えることがあります。仏法真理を知ったあとにあらゆる文学書を読み続けても、「そこには不毛の砂漠しかない」と感じることもあります。仏法真理の大海を前にしては、この世のあらゆるものが、消えゆく泡沫(ほうまつ)のごときものとならざるをえないのです。
したがって、魂にとって価値のあるもの、魂の糧となりうるものを、貪欲に吸収しつづけること、学び続けることが大切です。それを抜きにしてはこの世に生をうけたことの意味が真に理解されることはありません。
本節の結論は、「諸行無常」という言葉を単なる厭世観としてとらえてはならない」ということです。この意味は、「実在界の視点で世の中を見ることができるようになった人間には、それまで価値あるものと思い、生き生きとして感じられていたものが、色あせて見える瞬間がある」ということを意味しています。
すなわち、「社会のなかで出世競争や異性とのかっとうなどに明け暮れる日々が、実在界の観点から見れば、いかに色あせて見えるか」ということを意味しているのです。
しかし、「これもまだ、悟りへの一階梯(かいてい)、きざはし(階)にすぎない」ということも知っていただきたいと思います。
【大川隆法『釈迦の本心』第四章「空の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について
・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。
・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。
日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。
・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。
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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)
(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)
・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。
(『現代の武士道』)
・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
(「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史
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