(11/27-2)59『仏陀再誕』を読む―政治と経済―政治の真実―如来の本質

『仏陀再誕』を読む

65 「鬼」の定義は、多様、多種類である。唯一の共通項は、頭に角が生えていることである。一本角の鬼は、一途なところがあり、直線的である。二本角は、受信と発信機能を持っており、性格的には、陰陽の両面がある。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

38 小さな蜘蛛たちが、動物の死骸のまわりに集まっていた。生前、人々から小銭をせびっていた人たちだった。突然、火球が降って来て、彼らは、丸焦げとなった。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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1正命の現代的意味【正命】
〇正命とは、現代的には「時間の活かし方」と「ライフスタイル」

「正しく生活をする」ということに関して述べてみたいと思います。

「正業」と「正命」の違いについては、「職業」と「生活」との違いというように考えればそれまでですが、正命のなかにはもっと違った意味合いがあります。現代的に言い換えるとするならば、この正命というのは「時間の活かし方」というように考えてよいでしょう。時間の活かし方に関する本は数多く出ているので、目を通したことのある人も多いのではないでしょうか。

また、この正命は、別の言葉で言うならば、「ライフスタイル」という言葉に置き換えてもよいかもしれません。「あなたは、どのようなライフスタイルをよしとするのか」という問いかけです。「あなたは、どういう時間の使い方をよしとするか」、そして、「どういうライフスタイルをよしとするか」ということは、現代にも生きています。

現代社会のなかにおいて、「みなさんが理想と考えるライフスタイルはどうであるか」という問いかけをされたら、サラリーマンのみなさんは、「正業」と「正命」の違いが分るでしょう。アフターファイブというように考えてもよいかもしれません。「アフターファイブの生き方はどうなっていますか」ということです。この無限の時間をみなさんはどのように使ってきたでしょうか。その結果、現在、自分がどうであるのでしょうか。そして、今後どうなっていくのでしょうか。これを考えてほしいのです。

〇人は「時間」の下に平等だが、その使い方によって世界が分かれる

「時間」を金貨にたとえた人もいました。

毎朝、起きるたびに、二十四枚の金貨がポケットの中に入っている。ところが、見ていると、ポケットのなかから金貨を取り出して、ドブのなかに捨てて歩いている人が大勢いる。それでも、いっこうにおかしいと思っていない。本当は、「時間」は金貨以上の値打ちを持っているものなのだ。それにもかかわらず、「金貨を捨てたらおかしい」と思っても、「時間を捨てることをおかしい」と思わない人があちらこちらにもいる。まことに嘆かわしい。

このように考えた人もいました。

また、『黄金の法』のなかにも書いておきましたが、「二十四時間という時間の下における平等性」を考えて見ることも大切です。

何の下に各人が平等であるかというと、時間の下の平等ほどはっきりしたものはないのです。どんな人であっても、一日二十四時間しか与えられていません。この二十四時間を使って偉人になる人もいれば、まったく世の中を害しただけで終わってしまう人もいます。

そして、「天国・地獄は来世で分かれる」と言われていますが、それらはすべて、こうした時間の使い方で分かれてきた世界なのです。「自分の時間をどういうものに使ってきたか」ということです。

【大川隆法『真説・八正道』第6章「正命」210pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

12月8日は降魔成道記念日です。主エル・カンターレ 
大川隆法総裁先生が、1985年12月8日に名古屋の地(降魔成道館)にて、救世主として法を世に説くことを決意しようとしたとき、これを何としても阻止せんと、悪魔が総攻撃をかけてきました。降魔成道記念日とは、この悪魔を打ち倒して、仏法真理の流布に立ち上がったことを記念する聖なる日です。

12/8(日)~10(火)まで、「降魔成道記念日」感謝式典を開催致します。主は、ただ一人往くという不退転の決意によって魔を下し、降魔成道をなされ、救世主として立たれたことに心からの感謝を捧げると共に、大川隆法総裁先生のご復活を心より祈念し、全世界の信者一同で、「降魔成道記念日」感謝式典版「復活の祈り」を執り行います。

主のご復活を妨害する悪霊・悪魔・妖怪・妖魔・闇宇宙・唯物論の勢力といった悪しき者たちの呪いを打ち祓い、主がこの地にて「エル・カンターレの法」を再びお説きいただけるための、結界を皆様と共につくってまいります。皆様ぜひご参加ください。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
吾らの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
吾らを真なる幸福へと導きたまえ。』

今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。

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第四章 政治と経済 
○政治の真実

今の日本という国の政治を見ていて、
いちばん嘆かわしい点がここにある。
諸党派相(あい)争い、自らの利害を主張し合う。
これを民主主義と言う人もいるのであろうが、
こうした政治が、決して仏の心にかなうとは、私は思わない。
ほんとうに仏の心にかなうならば、
ほんとうは、諸党派相(あい)集まって、
ほんとうに世の中を、人々の心を、
明るくし、幸せにしてゆくには、どうしたらよいかということを、
真剣に考え合わねばならない。
真剣に提案し合わねばならない。
欲望の民主主義は真実の政治ではないということを知らねばならない。
欲望に基づいてお互いの利権を主張し合うことをもって、
自由と混同してはならない。
自由とは欲望の自由ではない。
自由とは欲望を競わせることではない。
そんなことが本当の民主主義であってはならない。
欲望の民主主義であってはならない。
煩悩の民主主義であってはならない。
自らの政治の利便のために、
自らの生活の利便のために、
欲望のために、候補者を選び、
そしてそのためだけに政治をやらせてはならない。そうであってはならない。
より多くの人々が、
いや、万人が満足できるような社会をつくり出してこそ、
はじめて素晴らしい政治だと言えるのだ。
そのためには、心から争いを去ることが大事だ。
心から争いを去らねば、真の調和は生まれない。
今、いろいろな政党が相争っている。
仏の目からみて、これがいかに嘆かわしいことであるかがわかるか。
また、同一政党のなかにおいても、各派が相争い、
自らが首長になろうとして、競争している。
それはそれで進歩の原理にかなうところもあるのではあろうが、
しかし、「それにしても・・・」という感が拭えないのはなぜであろうか。
それは、人びとに、
争い事を好む人を上には置きたくない、
という気持があるからなのだ。
下々のものが争うということは、
見ようによっては、
子供たちの他愛もない喧嘩のようにも見えるであろう。
しかし、自らの上なる人、
人びとの上に立つ人たちが相争う姿を見て、
どうして国民が心穏やかに生きてゆくことができるだろうか。
争いを上において、下が、何ゆえに穏やかになるだろうか。
調和できるであろうか。
調律できるであろうか。
そんなことは、矛盾でしかない。
矛盾以外の何ものでもない。
人の上に立たんとする者は、
秩序と調和というものを大切にしなくはならない。
そして、常に多くの人に見られ、
多くの人びとに、
徳ある人として尊敬される人間でなくてはならないと思う。
国会という国の政治を議論する場において、
粗暴なる言動は許されない。
人間として恥ずかしい行為は慎まなくてはならない。
そして、いかに自らが当選し、自らの権益を拡張したいからといって、
他を追い落とし、他の人格を批判するがごとき言動は、
厳に慎まなければならない。
そうしたことを、言論の自由と呼んではならない。
私はそう思う。

政治の貧困は、心の貧困に起因する。
政治は、国民から選ばれる人びとによって行われている。
国民から選ばれたる人々が、心不在の政治をするというのであれば、
彼らは選ぶ国民の側にも心が不在していると言わざるをえない。
そんなことであってよいはずはない。
真心の政治をせよ。
誠心誠意、人々のために尽くす人を選べ。
誠心誠意、世の中をよくするために行動する人を選べ。
そういう風潮を出してゆかねばならない。
今の政治は、憂うべきことである。
誰選ぶか、それが分からないのであるならば、徳高き人をまず選べ。
いちばん徳高き者は誰であるかを互選によって選べ。
数の力でもって決めてはならない。
金銭の多寡によって決めてはならない。
その人の政治手腕のみによって決めてはならない。
いかに仏に近き人を選ぶかということが、大事であるのだ。
そうして、政治のなかには、
決して諸党派の相争いを持ち込むのではなく、
どういうふうなことをするならば、
国民が豊かになり、幸せになるかということを、
常に念頭に置かねばならない。

【大川隆法『仏陀再誕』第四章「政治と経済」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第六章 人間完成の哲学
9 如来の本質

「千人の阿羅漢向のうち、菩薩になるのは五人もいればよいほうであり、また、阿羅漢から菩薩への修行には千年の年月がかかる」という話をしました。

それでは、菩薩が如来となるためにはどうすればよいのかと言うと、いろいろな時代や地域に、菩薩として、二十回、三十回と生まれ、どの時代のどの地域に生まれても、自分の目標を八割から九割以上達成できた人が、魂の安定感と仕事の能力を買われて如来になるのです。

それゆえ、菩薩が如来となるには、成功の経験を一万年以上は続けていかなければなりません。それも、「上段階の菩薩として」という条件があるので、非常に難しい修行となります。

菩薩として進化して、上段階の菩薩となったとしても、一万年ものあいだには、転生輪廻の過程で、ある程度の浮き沈みをつくり、間違いを犯すことがあります。菩薩として、人を生かし、利他行に励む立場にあるにもかかわらず、あるときには、新興宗教の教祖となり、魔にそそのかされて自分を宇宙の根本神のように思ってしまい、間違いを犯す例もなきにしもあらずです。

ただ、そうした間違いを犯しても、本来は霊格の高い人であるため、やがて立ち直り、元の世界に戻ってきます。しかし、そのときはまたゼロからのスタートになります。菩薩として千年二千年の修行をしていても、いったん転落し、二百年か三百年、心の垢落としをした場合には、もう一度、初めから修行を始めなければならないのです。

このように、「上段階菩薩として、一万年間、成功し続ける」ということが如来の条件であり、たとえ九千年間は成功したとしても、残り千年でつまずいた場合には、その九千年がふいになり、またゼロから一万年を始めることになります。それだけ難しい修業となっているのです。

そのため、上段階菩薩のなかで如来になる魂は、一万年間で五百人に一人ぐらいしかいません。五百人の上段階菩薩が努力に努力を重ねた結果、一万年に一人だけ如来になるということです。

現在、霊天上界には、如来を目指して修行中の上段階菩薩が二千人前後いると言われています。五百人に一人の割合だと、二千人では四人になります。つまり、一万年間に四人だけ、菩薩のなかから如来が出るのです。すなわち、如来が出るのは、平均すると二千五百年に一人ということになります。

現在、地上に約六十億人、霊天上界をふくめると約五百億人います。その五百億人が修行に修行を重ねた結果、二千五百年に一人だけ如来が誕生するのです。如来となる道はこれほど難しいものなのです。

しかし、たとえ二千五百年に一人であっても、その一人が出ることは、人類全体にとって大変な喜びです。部屋に一〇〇ワットの電球をつけるとパッと明るく輝くように、実在の世界においても、二、三千年に一度、如来が誕生すると、大きなシャンデリアが飾られたようになり、そのたびに喜びが満ちあふれます。新たな如来を迎えて、天上界の力が増すのです。

天上界では、こうした根気強い活動をうまずたゆまず続けています。如来となった人は、女王蜂のごとく、数多くの”卵”を産み、多くの者たちの精神的な中心になっていきます。新たな指導者の誕生です。如来はそれだけの年月をかけて努力を積んでいるので、不動の実力を持っており、その実力でもって多くの人びとを導いていくのです。

現在、天上界にいる如来は五百人にも満たず、四百数十名であると言われていいます。それだけの人数で五百億近い人間を指導しているのですから、如来には、一人で一億人ぐらいを指導できるだけの力が必要となります。

そうした指導力を養うために、上段階菩薩としての修行を一万年も成功させ続ける必要があるのです。しかし、それだけの実績を積めば、誰もが必ず入っていける道であることも時事なのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第六章「人間完成の哲学」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史 

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