(11/24-2)56『仏陀再誕』を読む―愚か者となるな―静かに努めよ―阿羅漢とは何か

『仏陀再誕』を読む

62 著者(大川隆法総裁先生)には、一言主神(ひとことぬしかみ)とは、物部系の豪族神(呪術師)であると思われる。顔が醜かったために見せたがらず、洞窟暮らしが長く、おそらくは、土着の土蜘蛛一族の頭領だと推察される。この人が、妖怪の総参謀を務める「ぬらりひょん」の開祖だろう。脳が露出したような二頭身の姿や頭を布で隠したような姿でよく描かれる。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

41 血の池の右側に、なだらかな丘のような針の山が見えてきた。太い注射針のようなものが、五センチメートルから三十センチメートルの長さで、地面から突き出している。

【参考42 畳一枚の広さに、針が五十本は突き出している。高い鉄下駄をはいた鬼たちが、鉄棒をぶんぶん振り回しながら、罪人たちを頂上へと追い上げている】

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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11環境に感謝する姿勢【正業】
〇「自分独りの力で成功した」と勘違いせず、まわりに感謝する

ともすれば、私たちは誤解することがあります。自分自身が光っているわけではないのに、他の光を当てられることによって、その反射光で光っているにすぎないのに、すなわち、”月のような存在”であるにもかかわらず、自らを”太陽だと勘違いしてしまう”ことがよくあるのです。

それは、みなさん一人にすべて言えることです。月のように、実は反射光で光っていることが多いのに、「自分は太陽だ」「自分で光っている」と思ってくる瞬間があります。これがいちばん危険な時です。

大企業に勤めている人は、特にそういう危険があると思います。「すべて自分の力だ」と思ってしまいやすいのです。仕事が進んだり、対外的な交渉がうまくいったりすると、「自分の力だ」「自分の器量だ」と思ってしまいがちですが、やはり、会社の看板がそこに効いていることがあります。あるいは、官庁に勤めている人もそうです。その官庁のバックがあって初めて仕事ができるのであり、これを取られた時にどうなるかを考えたら、けっこう無力な自分を見いだすのです。

ですから、自分の個人的信用でできた仕事ではなかったのです。その組織の背景なり、看板なりによって仕事ができていたのを、自分個人の信用だと思ったり、実力だと思ったりしたら、この次の段階で苦しみが始まります。

役所などでも上り詰めた人に天下りということがよくあります。もちろん、天下りでも成功する人はいます。それ相応の実力がある人は成功を収めていますが、逆もまた多いのです。

私もずいぶん見てきましたが、役所で、ある程度以上の立場にあった人が転職して天下っても、なかなか成功できないのです。天下って、給料をもらうだけの立場に甘んじている人はいくらでもいます。そういう人は便利屋的に使われているだけなのです。それは、「自分の実力」と、「バックあっての実力」とを誤解して生きてきた人たちの姿です。本当に仕事ができたわけではなかったのです。机がものを言い、椅子がものを言ったということがあるのです。

これは、普通の会社の部長や役員でも同じです。「自分がいなければ、この会社はもたない」と思っていても、その人が退職したあとも会社は動いているのではないでしょうか。「自分がいなければ、この部は回らない」と思っていても、新しい人に変わってもすぐに動いていくようになります。やはり、ここに大きな考え違いがあることが多いのです。

(成果の)八割ぐらいは、「組織の力」、あるいは「法人の力」「みなの力」であり、残りの二割ぐらいが”自己の個性によって味付けをしている部分”であることが数多くあります。そこを勘違いしてしまうわけですが、ここをよくよく考えなければならないということです。現在成功している人も、それを「自分独りの力だ」と思わずに、その成功を支えている要因に対してじっくりと分析をし、そして、自分を支えてくれた人に対しての「感謝の思い」を持つことが大事なのです。

『成功の法』にも書いてありますが、少なくとも、他の人の引きなくして成功する人はいません。「ゼロ」と思ってください。なぜなら、人間社会というものは、そのように成り立っているからです。

自分独りだけで生きているロビンソン・クルーソーのような世界もあるかもしれませんが、彼の場合でも、フライデーという召使いが出てきて発展したわけであり、自分独りではなかなか発展というのはないのです。

【大川隆法『真説・八正道』第五章「正業」205pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

11月23日は初転法輪記念日でした。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。26日まで連日初転法輪記念式典を執り行います。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
吾らの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
吾らを真なる幸福へと導きたまえ。』

今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。

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第三章 愚か者となるな 
○静かに努めよ

また、愚痴の出る原因として、達成されない望みというものがある。
現在ただいま、いくら努力しても、
手に入れられないもの、
とうてい到達できないものへの恨みというものはあるであろう。
しかし、それを愚痴ったところで、
いったい何ほどのことになるであろうか。
それで、あなたがたは進歩するであろうか。
ちょうど、ボートを岸に着けようとするときに、
オールでもって水を漕ぐと、その水が、その波が、
岸辺にあたってボートを沖へと押し出すように、
あなたがたが何かを達成せんとする時に、
達成できなくて愚痴を言うことは、
そのあなたがたの目標から、
あなたがた自身を遠ざけることになるだろう。
あなたがたの将来を遠ざけることになってゆくであろう。
むしろ、そういうふうに言うよりは、
愚痴をなくし、
静かに静かに自らの内に力を蓄えてゆくことだ。
いまだかつて、努力をせず成功したためしはない。
努力せずして、濡れ手で粟の如き成功を願っても、
それは魂的に決してプラスにはならないのだ。
そのような成功は砂上の楼閣であり、
やがて必ず崩れてゆくものなのだ。
人びとよ、努力を惜しむな。
努力なくして物事が達成すると思うな。
努力なくして成功があると思うな。
努力なくして成功した場合には、
むしろ、その成功を恥じよ。
むしろ、その名誉を恥じよ。
むしろ、その名声を恥じよ。
結果ではない。
その努力の過程こそが、
あなたがたの黄金の栄光であるということを、忘れてはならない。
愚かなる人びととして、怒る人、妬む人、愚痴る人をあげた。
この事実はいつの時代においても、真理であるのだ。
自ら自身よく心の内を眺め、
怒る心がないか、妬む心がないか、愚痴る心がないか、
常づねに点検せよ。
そして、こうした心あらば、
自らが愚か者の一人に入っているということを、忘れてはならない。
愚か者であることを早くやめ、智慧あるものとなることだ。
それが、修行者の道でもあるということだ。

【大川隆法『仏陀再誕』第三章「愚か者となるな」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第六章 人間完成の哲学
6 阿羅漢とは何か

次に、「阿羅漢」について述べたいと思います。

釈迦の教えのなかで、教育目的として一番重視されたのは、阿羅漢の状態となることでした。阿羅漢がなぜそれほど重視されたかと言えば、阿羅漢の境地は、この世の人間として第一段階の完成であると同時に、あの世の高級諸霊からの通信を非常に受けやすい状態だからです。

すなわち、阿羅漢とは、この世にあって実在界の存在を感じ、実在界に生きるがごとくにこの世で生きることができるようになる、最初の段階なのです。

阿羅漢の境地は、私の説いている段階論で言えば、六次元光明界の上段階の悟りに相当します。六次元の悟りというのは、仏法真理を知的に詰めていって悟る段階ですが、六次元の上段階は菩薩の前段階であり、ここにいるのは、菩薩の卵、菩薩への登竜門にいる人たちなのです。

阿羅漢の状態にもいくつかの段階がありますが、ここでは二つに大別しておきましょう。第一は「阿羅漢向」という状態です。これは阿羅漢に向かっている状態です。第二は「阿羅漢果」という状態です。「果」とは結果という意味であり、阿羅漢果とは、すでに阿羅漢に達した状態のことを言います。

阿羅漢向と阿羅漢果の違いは、どこにあるのでしょうか。プロの修行者としての自覚を持って生きており、心が悩みや苦しみから解放された境地にあって、常に精進を怠っていなければ、阿羅漢向の状態にあるということができます。そして、阿羅漢果となるためには、そうした状態が少なくとも二、三年は続いているという実績が必要なのです。

心が穏やかで執らわれがなく、少々のもめごとや波風があっても心が乱されない状態、そして、みずからをよく振り返り、精進を怠らず、ある程度、天上界からの指導も受けられる状態、そして、みずからをよく振り返り、精進を怠らず、ある程度、天上界からの指導も受けられる状態、こうした状態が三年続けば、阿羅漢果になったと言えます。一定の期間、その状態を維持することが必要であり、それができなければ本物とは言えないのです。

阿羅漢向になるだけであれば、人によっては一週間ぐらいで可能です。幼いころからの記憶を取り戻して、間違った思いと行いを一つひとつ反省し、両眼から涙がほおを伝うにまかせて、「法雨」を流したとき、守護霊の声が聞こえ、その光を浴びて、阿羅漢の状態になることがあります。

このように、早い人であれば三日から一週間で阿羅漢向になることが可能です。しかし、この状態が長く続くかどうかが鍵となります。一週間ぐらい山にこもって反省行を行い、阿羅漢に近い状態になったとしても、下山して日常生活に戻ると、また心に曇りをつくってしまうのが人間の常だからです。

法雨を流して、みずからの新生を誓った気持ちが、二年三年と続いて初めて、阿羅漢果の状態になるのです。

そして、阿羅漢果の状態で地上を去ることができれば、その人は間違いなく、六次元光明界の上段階にある阿羅漢の世界に還ることができます。

ところが、いったんは阿羅漢向に達しても、そこから転落す者が数多いのです。それはちょうど、崖道を登っている人たちが、頂上まであと少しのところで、ゴロゴロと転げ落ちていく姿に似ています。

阿羅漢向になるのは、ある意味で万人に可能ですが、阿羅漢果に達するのは非常に難しいのです。阿羅漢向に達することは、仏法真理を学び、修行をしていけば、おそらく百人が百人とも可能でしょう。しかし、阿羅漢果に達するのは、その百人のうちの四人か五人にすぎないのです。

そして、阿羅漢果に達した人たちのなかで、菩薩の境地にまで入っていけるのは、十人のうち一人にも満たないのが実情です。阿羅漢果が百人いたとして、菩薩の世界に入っていけるのは、そのうち十人もいればよいほうなのです。

「阿羅漢果の状態になるためには、阿羅漢の状態が三年間は続かなければならない」と述べましたが、菩薩の境地に入るためには、それが一生涯を通じたものでなければなりません。菩薩は利他を旨として一生を生き抜いていくことが前提となっていますが、それは、阿羅漢果の状態が一生を通じて変わらないということと同じなのです。

したがって、菩薩の境地に入るのは非常に困難を極めます。千人の人が修行をしていたとしても、最後に菩薩の悟りまで行ける人は非常に少ないのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第六章「人間完成の哲学」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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