61 なお、役小角をざん言したとされる一言主神は、大和の葛城山の神で、悪いことも良いことも一言で言い放つ、託宣神(たくせんしん)とされ、一言主神社に祭られている。役小角、行基らが葛城山で山岳修行をしていた時に、同時に、同山を根城にしていた大和の神官だと思われる。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
42 畳一枚の広さに、針が五十本は突き出している。高い鉄下駄をはいた鬼たちが、鉄棒をぶんぶん振り回しながら、罪人たちを頂上へと追い上げている。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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10仕事のなかにおける常勝思考【正業】
〇失意のときには教訓を学び、得意のときには努力を積む
もう一つは、「仕事の場においては、無限に学ぶという立場を忘れてはならない」ということです。
仕事の場で思いのままにならないことはいくらでもあるでしょう。それは、みなさんにとって不本意なことであるかもしれません。自分としてはベストの仕事をしているつもりであるのに評価を受けられない。あるいは邪魔が入るということはあるでしょう。
ただ、一つの考えどころであると思うのです。いろいろな挫折や妨害、失意の環境が現れたときには、常に、「そこで自分は何を学ぶか」ということを考えなければなりません。そこには必ず学ぶべきことがあります。これは見落としてはならない重要な点なのです。
「この世に無駄なものは一つもない」と思えば、うまくいかないときにおいても、「これは何かを自分に教えようとしているのだ」という観点から見たときに、納得するものが必ずあるはずです。そして、そこから得られたものは、必ず、次なるチャンスに生かされることになっていきます。そのことを決して忘れてはなりません。
さらにもう一つ、正業で気をつけなければならないことは、仕事においての成功の段階にあるとき、発展の段階にある時に考え方です。
これについても、私はすでに何度も述べていますが、「失意のとき、挫折のときよりも、むしろ成功の時のほうが難しい」ということです。これについては、何度も何度も繰り返して述べています。それは、人間はどうしても自分がかわいいがために、安易なところで満足をし、出来上がってしまうところがあるからです。
したがって、「上向きだと思うときに、もう一度、足場を固めていく」「人から褒められれば褒められるほど、謙虚な姿勢を強めていく」という考え方が大事です。そして成功したと思ったら、その瞬間から「次なる努力の場面が始まるのだ」「これからが新しいスタートなのだ」という考え方を、決して忘れないことです。
こういう考え方が「常勝思考」といわれる考え方なのです。「失意、挫折のときには必ず教訓を学ぶ。そして、得意のときにはさらに努力を積んでいく」というのは、絶対に誤らない生き方です。
「自分は神のご加護を得、守護・指導霊たちの力を得て、これほど成功しているのだ」と思うのなら、「この期待に応えて、よりいっそう頑張ってみよう」と思わなければ駄目です。逆に、「これは自分の力なのだ。当然のことだ」と思い始めたら、そこであなたの魂の向上は止まると思ってください。
〇チャンスが与えられるほどに、次なるステップを目指す
チャンスが与えられれば与えられるほどに、次なるステップを目指して頑張らなければいけないのです。ここが踏ん張りのどころです。このときに踏ん張らなければ、小成にすぎません。小人物で終わりです。必ず、次のステップへ行かなければならないのです。そうした有利な環境が出てきたときに、「よし、これに応じなければ、いけない。これに応えて、もう一段大きな仕事をしてみよう。みんなの役に立ってみよう」という気持が出ず、そこで出来上がってしまったら、もうそれまでなのです。
一年間を振り返ってみても、仕事の面において、自分の不遇な部分」「不幸な部分」「挫折部分」というのは、おそらくあったでしょう。そときに、あなたはどう思ったでしょうか。教訓を学びえて、次なる準備ができたでしょうか。
また、得意のとき、あなたはどうだったでしょうか。得意のときに、「まだまだ、こんなものであってはいけない。これはほんとうの自分の力ではない。多くの人の光によって、力によって、現在の自分があるのだ。もっともっとお返ししていかなければならない」と考えられたでしょうか。それとも、そうした立場が与えられたことを当然だと思ったでしょうか。
【大川隆法『真説・八正道』第五章「正業」198pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
本日11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
吾らの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
吾らを真なる幸福へと導きたまえ。』
今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 愚か者となるな
○妬(ねた)むな
また、嫉(そね)んではならない、妬(ねた)んではならない。
このようなことも心しなければならなない。
決して、他の者を嫉み、妬んではならない。
修行者にとって、これも大切な教えだ。
あなたがたは修行しているうちに、
他の人のよき評判を聞き、
他の人の心境が進んだことを聞き、
そして、知らず識らずのうちに妬みの心が出てくることがあるだろう。
嫉(そね)みの心が出てくることがあるであろう。
しかし、負けてはならない。
このような嫉みや妬みを心にためて生きるということは、
愚かな生き方であるということを知らねばならない。
そのような心を持ってはならない。
優れたるものと出会ったならば、
優れたるものを愛し、
優れたるものを敬愛せよ。
優れたるものを敬(うやま)え。
優れたるものを敬うことによって、
あなたがたも、はじめて優れたるものに近づかんとしているのだ。
優れたる者を敬うことによって、
あなたがたの進歩への、第一歩を踏みしめているのだ。
修行者にとって、妬みの毒ほど恐ろしいものはない。
十年、二十年の修行も、
この妬みの毒によって、一瞬にしてあぶくのごとく消えてゆく。
妬みがよくないのは、それが何人も幸福にしないからだ。
妬まれた相手をも幸福にせず、
妬んだ自分自身をも幸福にしないからだ。
それは、心の調和を乱し、心の安らかさを乱す。
それが悪であることを知ったならば、決して妬んではならない。
敬愛せよ。優れたるものを愛せよ。
才ある者を愛し、経験ある者を愛し、叡智ある者を愛せ。
それが大事なことだ。
才能ある者を愛し、経験ある者を愛し、
また智慧ある者を愛する心なくば、
三宝を敬うということもまたできないであろう。
師を愛し、師の教えを愛し、
師のつくられた団体を愛することもできないであろう。
さすれば、今世において
魂の修行はまた難しくなるということなのだ。
○愚痴るな
怒りはだめだと言った。
妬みもまたいけないと教えた。
そう、そうして次にあなたがたが、
そこから去らねばならないものとして、愚痴がある。
愚痴は、自らの欲望が満たされないときに出てくる。
そして、不平不満となってまわりに広がってゆくものだ。
愚痴の心も、修行者にとっては、
闘わねばならない、大変な修行の徳目である。
この愚痴の心はなぜ出るか。
愚痴の心、それは自ら自身の力のなさに起因している。
自ら自身の自己信頼のなさに起因している。
あるいは、疲れた時に愚痴が出ることもあるであろう。
それは、人間の常である。
しかし、疲れたるときに愚痴が出ると思ったならば、
むしろ、沈黙せよ。
愚痴が出る時には、沈黙し、深呼吸せよ。
そして、そうした思いからいち早く離れることを努力せよ。
愚痴もまた、これは毒である。
これは、ちらかったゴミのように、まわりを害し、不浄とする。
愚痴を言う人のまわりには、
たちまちゴミ捨て場が出来上がってしまう。
その出した愚痴はいったい誰が片づけるのか。
その出したごみはいったい誰が清掃するのか。
そのようなことをしてはならない。
清掃する人なくば、愚痴を出した人自らが、
そのゴミを引き受けねばならない。
そのゴミの片づけをしなければならない。
ゴミを片づけることができなければ、
いつまでもごみためのなかに生きてゆくしかない。
これが、愚痴の恐ろしさであるのだ。
愚痴出(い)でんとするならば、まず自らの心を励(はげ)ませ。
自らの心を励まさねばならない。
自分自身は、もっと優れたる者ではないのか。
自分自身は、仏の光を受けてつくられたる者ではないのか。
自分自身は、仏の生命をその内に宿す者ではないのか。
もっともっと光強く、自分自身を励ませ。
さすれば、愚痴は遠ざかってゆくであろう。
【大川隆法『仏陀再誕』第三章「愚か者となるな」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第六章 人間完成の哲学
5 悟りの効果
前節では、「心という、展望台にある望遠鏡のレンズを合わせ、さまざまな距離にあるものを見る」ということを、悟りの方法としてとらえました。
それでは、悟りの効果とは、どのようなものなのでしょうか。悟ることによって、どうなるのでしょうか。悟りにはいかなる功徳があるのでしょうか。こうした疑問が湧いてくることでしょう。
悟りには、主として三つの効果があります。
第一の効果は、自己の認識力が高まることによって、この世的な悩みや苦しみ、不安などを解消できるということです。認識力の増大によって、さまざまな悩みを一掃することができるのです。
第二の効果は、より多くの人のために貢献できるということです。自分や世界を知れば知るほど、ほんとうの意味で、人びとを幸福にし、素晴らしくしていくための方法が分かります。悟りには、人格を向上させると同時に、多くの人びとを益するための影響力が増すという効果があるのです。
第三の効果は、悟りそのものに付随するものとして、幸福感があるということです。この幸福感は、収入が増えたり、地位が上がったり、人にほめられたりといった、この世的な幸福感とはまったく違ったものであり、たとえようもない喜びです。真理を悟ったという喜びは、人間の魂が味わうことのできる最大の快楽でもあるのです。
こうした喜びが人間には与えられています。この喜びを知らなくては、人間として真に生きているとは言えません。悟りは、人間として生きていく途上で仏から与えられる最大の贈り物です。この喜びを知らなければ、ほんとうの人間とは言えないのです。
このように、悟りには、第一に、認識力の拡大によって悩みを解消し、第二に、他の人を益することができる範囲が広がり、第三に、悟りそのものに付随する最高の喜び、幸福感を享受できるという、三つの素晴らしい効果があるのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第六章「人間完成の哲学」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について
・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。
・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。
日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。
・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。
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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)
(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)
・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。
(『現代の武士道』)
・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
(「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史
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