(11/22-2)54『仏陀再誕』を読む―愚か者となるな―肉体に悩むな―悟りの構造

『仏陀再誕』を読む

60 行基(ぎょうき・六六八―七四九)は、行基菩薩ともいわれるが、若草山に五千人もの民衆が集まって彼の説法を聞いたこと。数々の土木工事や寺院造りを考えると、イエス・キリストや後の空海をほうふつされるものがあり、本体は、如来の霊格を持っているものと思われる。また仏教僧の手本を見せることにより、日本霊界で神々を名乗っていた物部(もののべ)系の豪族神を、裏側の妖怪世界に封印した一人ではないかと推定される。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

43 罪人とは犯罪人だけではない。眼・耳・鼻・舌・身・意(六根)で仏法真理に反した行為のすべてが裁かれるのである。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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9仕事としての母親業【正業】
〇創意工夫によって、家庭のなかに優れた環境をつくり出す

今、職場環境のなかでは、仕事に関して、どこも勤務評定を行っています。たいていのところでは、給料、あるいはボーナスといったものに点数化した勤務評定をしているのです。

ただ、これを「主婦業」、あるいは「母親業」に持ってきたらどうでしょうか。ここにも実力の差は絶対にあるはずです。仕事にだけあって主婦業や母親業にはないと思ったら、これは大間違いです。絶対にあるはずなのです。

母親業としての実力の違いは、必ずあります。「平均を超えている人」「はるかに優れた人」「平均以下の人」と、いろいろあるのです。そうして、母親業として平均以下の仕事でもって育てられた子供たちはどうなるかというと、スタート点において、かなり遅れを取ることになります。この仕事の評価は、結局、長い意味での自分の将来の幸・不幸というかたちで返ってくることになるのです。

また、これ以外でも、主婦として、「家庭の管理能力」という問題があります。これは単に職場で、あるいはスーパーマーケットへ行って伝票を切っているだけの仕事と比べて値打ちが落ちるかといったら、決して落ちません。むしろ、非常に大切な仕事の一つです。「家庭のなかにおいて、どれだけ優れた環境を創意工夫によって作り出すか」ということは、非常に貴重なことなのです。

みなさんは、「お金になればよい」と思うかもしれないけれども、お金になったとしても、それが単なる労働、レイバーになることもあれば、お金にはならなくとも生産性を持った仕事、ワークになっていることもあります。家庭のなかにおいても、ワークになることがあるのです。ですから、これを放棄しているということは、「真理社会のなかでは自己実現できる」ということを意味しないわけです。

〇「自分の魂」を仕事のなかに生かそうと努力する

この職業上の問題点は多岐にわたります。それは、みなさんも自覚しているとおりです。相当の幅広い職業がありますし、また、そのなかで要請されている職務態度もきわめて多様です。

ただ、言えることは、少なくとも「正業をしている」と言えるためには、まず、その仕事のなかにおいて自己発揮ができていなければなりません。

自己発揮というのは、「あなたがこの世に生命を持った意味を、その仕事のなかに見いだす必要がある」ということです。「あなたがこの世に生を享(う)けたことの意味が現れなければいけない、発揮されなければならない」ということです。

「自分の魂」を仕事のなかに生かそうとする努力が必要です。そうではなく漫然と終わるのであれば、これは、大変残念なことです。後の「正命」にもかかわることですが、大変残念なことであります。「真の意味において自己発揮ができる」ということが、正業のための重要なことの一つなのです。

【大川隆法『真説・八正道』第五章「正業」197pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
吾らの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
吾らを真なる幸福へと導きたまえ。』

今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 愚か者となるな 
○肉体に悩むな

さらに、私はあなたがたに言っておこう。
あなたがたは、愚かであるということを、
まだまだ知らないのでいるということを。
あなたがたの多くは、肉体的外形にとらわれすぎる。
あなたがたの多くは、肉体の悩みにとらわれすぎる。
自分の体を見、背が高いとか低いとか、
太っているとか痩せているとか、
美人であるとか、そうでないとか、
いろいろなことを苦にし、日々それを話題にしているであろう。
しかし、これなども愚かな人々の考えであると、私は思うのだ。
肉体というものは、ひとつの乗り物であるのだ。
ひとつの乗り物であって、
魂が今世において修行することができれば、それでよいのだと思う。
それ以上を願うな。
魂の修行のために、十二分に役に立ってくれるのであるならば、
それでよいではないか。
それ以上のことを願ってはならない。
それ以上のことで、思い煩(わずら)ってはいならない。
心に誓って、
肉体のみのために、肉体のことのために、
悩みすぎないことが大事だ。
悩まなければならないことは、もっとほかにある。
その心だ。
その心をこそ、悩め。
その心の悪しきことを、
間違いに満ち満ちていることをこそ、悩め。
心が美しくないかどうかを悩め。
心が美しくなければ、それは自然とまわりに表われる。
心美しくなければ、その人の目は美しいものとはならない。
心が乱れているならば、
心が澱(よど)んでいるならば、
その人の目は曇ってゆくであろう。
その人の目は、邪悪な光で満ちることになろう。
その人の目は、陰険な思いをたたえるようになるであろう。
心高慢とならば、その人の鼻は実際以上に高く見えるであろう。
いつも、ツンとした高い鼻のようにも見えてくるであろう。
心正しくなくば、その人の口は曲がって見えるであろう。
常に、他の人に皮肉を言い、
常に、他の人を批判する人の口は、とんがり、また曲がるであろう。
そのようないやな口となって表われてくるであろう。
また、心穏やかならざる人は、
その身のこなしにおいて、表われてくるであろう。
常に、他の人を責め、他の人をさいなむ人には、
それなりの身のこなしがあるであろう。

いかし、心穏やかなる人は、
時間のなかにあって、時間を忘れさせる。
地域のなかにおいて、地域を忘れさせる。
人びとのなかにあって、人々の存在を忘れさせる。
それは、常に柔和で穏やかであるからだ。
柔和で穏やかである、そういう心の持ち主の肉体は、
決してまわりの人に不愉快を感じさせない。
人びとよ、肉体を調律する前に、
まず心をこそ調律せよ。
肉体を素晴らしいものとする前に、
まず心をこそ素晴らしいものとせよ。
日々、柔和となれ。
怒ってはならない。
誹(そし)ってはならない。
愚痴ってはならない。
以上のことをよく心に刻め。

○怒るな
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
今、私はいくつかの毒素をあげてみた。
あなたがたは怒ってはならない。
たとえ、どのような辱めを受けたとしても、
怒ってはならない。
怒ってはならいという教えは、
修行者にとっては、極めて大切な教えであるのだ。
あなたがたが修行をする途上において、
他の人びとから批判を受けることもあるであろう。
非難を受けることもあるであろう。
辱(はずかし)めを受けることもあるであろう。
しかし、仏陀の弟子であるならば、そのような辱めに耐えよ。
怒りに対して、怒りを返してはならない。
怒りに対しては、穏やかな言葉で答えなさい。
厳しい批判に対しては、沈黙でもって答えなさい。
笑顔を忘れてはならない。
忍辱の心を忘れてはならない。
耐え忍びの心を忘れてはならない。
耐え忍びの心、この耐え忍びの修行こそが、
あなたがたに徳というものを積ませるのだ。
耐え忍びの心なきものに、徳はないということを知れ。
怒りに対し、怒りをもって答えるようでは、
決して徳ある人間とはなれないということを知れ。
決して、決して怒ってはならない。

【大川隆法『仏陀再誕』第三章「愚か者となるな」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第六章 人間完成の哲学
4 悟りの構造

次に、悟りの構造論について話をしましょう。

悟りの構造を考えるためには、人間の魂や心の仕組みを考えなくてはなりません。「人間の魂や心は、どのような構造、仕組みになっているのか」ということを明らかにする必要があるのです。

そのためには、まず、魂や心の定義が必要となります。

魂とは、等身大の形状で肉体に入っている霊的エネルギー体のことです。人間を霊視してみると、肉体と寸分たがわぬ大きさの魂が入っており、その魂には目も鼻も口もあります。本来、魂は姿かたちなきものですが、人体に宿ることによって人体状の形態をとるのです。

これに対して、心とは、魂の中枢部分、中核部分です。それはちょうど、卵でいえば黄身の部分に相当すると言えます。魂をコントロールするための中核部分を心と呼んでいるのです。視覚的に言うならば、心は人間の胸のあたりにあると考えてよいのです。

魂は心の部分を通して無限の世界につながっています。個々の魂は孤立分断されたものですが、心の部分が世界につながっているのです。したがって、心の一部分が無限の世界につながるロープのように見えることもあります。このロープをチューブといってもよいのですが、そのなかを進んでいくと、さまざまな世界に通じています。

つまり、人間の魂は、三次元で肉体と共存しながら生活していても、心の部分は四次元から九次元までの各領域につながっているのです。これはこの世的には非常に不思議な感覚ですが、みなさんはこうした心の世界の構造を理解しなければいけないのです。

それは、哲学でいう「一即多、多即一」の考え方にも似ています。「そこにあって、そこにないもの。そこにいなくて、そこにあるもの」―こうした一見矛盾するものが両立する世界、それが心の世界です。

したがって、人間の心という”のぞき窓”を通して見ると、そこはすでに実在界なのです。それはちょうど、大都市のビルディングの展望台から望遠鏡で世界を見ているような感じであり、まるですべての世界に通じているかのようです。

このように、心というものは、展望台にある望遠鏡のようなものだと言えます。焦点をうまく合わせると、はるかに遠い世界を見ることもできれば、近くの世界を見ることもできます。はるか遠くの山岳を見ることもできれば、近くにある大都市の町並みを見ることもできます。心の焦点距離をどう合わせるか、レンズをどう調節するかによって、いろいろな世界が見えてくるのです。

結局、悟りとは、心の焦点距離を併せるための方法でもあるのです。

悟りの構造として、次元というものがありますが、これは「心という望遠鏡をどの方向に向け、どの程度の倍率で、どの程度の焦点距離で、像を見ているのか」ということを意味しています。近くを見るか、遠くを見るか、現在ただいまの立場から、どちらも見ることができるのであり、「さあ、あなたはどうしますか」ということなのです。

さまざまな次元は、みなさんの現在の立場を離れた世界にあるのではありません。現在ただいまにおいて、その世界を感じ取り、自分のものとすることができるのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第六章「人間完成の哲学」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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