(11/19-2)51『仏陀再誕』を読む―愚か者となるな―布施の心―悟りとは何か

『仏陀再誕』を読む

57 仙人では、葛城山の役小角(えんのおづね)などが有名である。お経も併用した山岳修行は、様々な秘術を生んだが、彼自身は、出家得度(とくど)していない優婆塞(うばそく・男性の在俗信者)であった。一説では、富士山火口まで空中飛行して帰ったともされる。おそらく幽体離脱体験だろう。弟子の一人、あるいは、葛城山に住む一言主神(ひとことぬしのかみ)のざん言により、朝廷に反乱を企てているとして、捕えられ伊豆大島に流された。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

46 鬼に追われながら、ふもとまで降り、鬼がいいと言うまで、登り下りを繰り返す。たいていの人は、悪口や暴力や、嘘や、恥ずかしい行為が、ここまで裁かれるのを驚きながらも、後悔の涙を流し続ける。両親や先生たちに、無礼であったことの、一つ一つも、確実に裁かれる。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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7職業はユートピアの原点【正業】
〇与えられた環境で「最善」を尽くす努力を

私は、以前から、「会社や他の事業など、いろいろなところで仕事をしていて、そこでユートピアを築けない人、そこで仕事ができない人が、幸福の科学へ来たらそれができるかというと、そうではない」ということを明らかに述べています。幸福の科学というところは桃源郷ではありません。

やはり、他の所で役に立てるような人が当会のなかで活動することによって、さらなる力が出てくるものです。この点は、どうか勘違いしないでほしいと思います。

「この世的にはどこでも成功しない、幸福も享受できない、ユートピアができたことはないが、幸福の科学だけではできる」と思ったら、それは充分ではありません。

『成功の法』のなかにあるように、「成功者の町」に入るために、それだけの下準備が要ります。

したがって、真理の運動に値打ちがあると思うとしても、ただそのなかだけに生きていてよいわけではありません。それ以外の所で足腰をしっかりと鍛えておく必要があるということです。

これについては、女性にも言えるでしょう。女性のなかには働いている人も、多かろうと思いますが、主婦として家庭を守っている方は、「主婦業も正業である」という観点を忘れてはなりません。

少なくとも、ユートピアづくりの原点は、「他の人の役に立ちたい」という願いです。身近なところでこのユートピアづくりのスタートが切れない場合、これを一挙に飛び越して理想の実現する世界が出てくるとは考えられません。

そこで、まず足元を見直していただきたいのです。主婦は主婦として、サラリーマンはサラリーマンとして、OLはOLとして、現在の立場をもう一度、振り返ってみてください。

このなかにおいて、確かに環境的要因というものはあるでしょう。環境的要因によって自己実現ができないことはあるでしょう。

しかしながら、「そのなかで最善を尽くしている」という現実があって初めて、他のところでも生きてくるのです。これは真理なのです。今、自分が置かれている立場、世界のなかにおいて学ぶということを放棄して、それ以外のところだけでは水を得た魚(うお)のように活動できるとか思うならば、甘いでしょう。そういう甘い幻想はやがて消えていくしかないのです。このことをよくよく考えていただきたいと思います。

〇この世において与えられた仕事に無駄なものはない

私自身、この仕事に入る前にいろいろなことをやっていましたし、大悟から幸福の科学を立宗するまでに準備期間をそうとう置いたつもりですが、活動を開始して痛切に感じたことは、「今までやってきたことの、どれ一つとして無駄がなかった」ということです。

それ以前の段階において、もし、私が手を抜いた生き方をしていれば、やはり現在の仕事のなかにおいても、そうとうのマイナスが出たであろうと推定されます。

その感は、一年一年、一ヵ月一ヵ月、一日一日、ますます深くなってきています。むしろ、「もっと濃度の濃い魂修行ができなかったか」と反省されるところです。単に霊とか神とかいうものを追いかけるのではなくて、それ以前の人間的修行において、まだまだ学ぶべきことが多かったのではないか。学び尽くしていなかったのではないか。もし、タイムマシンに乗って引き返すことができるならば、もっと徹底的にやっておきたかった。学んでおきたかったという気持は非常に強くあります。

そういう意味で、無駄なものはないのです。無駄なものが出るということは、それを生かし切らないからでしょう。「活かす心がない」から、「活かそうと考えない」からです。この世において与えられた仕事のなかに無駄なものはありません。それはすべて魂の糧となり、魂と糧となるだけではなく、ユートピアづくりのための積極的道具となるはずです。このことについて深く知らねばなりません。

【大川隆法『真説・八正道』第五章「正業」186pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
吾らの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
吾らを真なる幸福へと導きたまえ。』

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 愚か者となるな 
○布施の心

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私は、常づねあなたがたに説いてきたはずである。
人間が命を得、今生に生まれるということは難しいことである。
今生に生まれ、かつ仏の教えに触れるということは難しいことである。
また、今生に生を享(う)けて、
仏と時を同じくするということは、また難しいことである。
仏が出、仏の教えが説かれる時に、生を得るということは
難しいことである。
そのような時代に生まれ合わせたのであるならば、
あなたがたの使命は自(おの)ずから明らかとなるであろう。
あなたがたは、多くの人びとに与えるために来たのだ。
与えるということは、現代的な言葉であるが、
与えるとは布施の心だということだ。
布施とは何であるか、それは他を思いやる心だ。
他の人によかれと思う心だ。
他の人に尽くさんとする心だ。
この心、もし無くば、仏の教えもまた意味がない。
仏の教えは、人に尽くさんとしてあるのだ。
仏の教えは、人に布施せんとしてあるのだ。
仏の教えは、人に愛を与えんとしてあるのだ。

諸人よ、まずこの根本を間違えてはならない。
貪(むさぼ)りのために出てきたのではないということを知りなさい。
自らの心の内をふり返りみて、貪る心の強い者は、
これは、愚かであると言わざるをえない。
いつまでも地位に執着するな。
いつまでも出世に執着するな。
いつまでも名誉に執着するな。

いつまでも己がプライドに執着するな。
他からよく見られたいという心に執着するなかれ。
そのような心は、
すべて貪りの心である。
他の人によく見られたいという心、
尊敬されたいと思う心も、貪りの心である。
他の人に憧れたいと思う心も、貪りの心である。
有名になりたいと思う心も、貪りの心である。
自らの権力を振るいたいと思うことも、貪りの心である。

○悟りたる者は
人よ、
悟りたる者は、いつも静かにあるものだ。
人よ、
悟りたる者は、柔和にて歩くのだ。
人よ、
悟りたる者は、微笑みて歩くのだ。
人よ、
悟りため者は、驕(おご)らない。
悟りたる者は、威張らない。
悟りたる者は、決して自らよく見せようとはしない。
悟りたる者は、他の人を裁こうとしない。
悟りたる者は、他の人びとを傷つけようとはしない。
悟りたる者は、柔和で、言葉正しく、常に落ち着き、
そして優雅でもある。
貪りの毒がいかに悪いか、
それは、柔和な姿というものを害するからだ。
柔和な姿はそれ自体で尊い。
柔和な顔、柔和な言葉、柔和な物腰、
それ自体が尊い。
それ自体が仏の姿そのものである。

人びとよ。これより後、
己が心の内に貪りの心がないかどうかを、よくよく点検せよ。
心の内に貪りの毒あるならば、
ただちにそれをつかみ、それを投げ捨てよ。
それを二度と心のなかに入れてはならない。
ドアを閉め、二度と入れてはならない。

【大川隆法『仏陀再誕』第三章「愚か者となるな」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第六章 人間完成の哲学
○悟りとは何か

最終章では、古くて新しいテーマである「悟り」について考えてみましょう。

釈迦仏教の魅力の根源は「個の悟り」の部分にあると言ってよいでしょう。

「悟り」というのは非常におもしろい考え方です。そこには、単に他力によって救われるべき存在としてではなく、みずからの足でしっかりと大地に立ち、力強く伸びていこうとする人間の姿があります。ここに仏教の人気の秘密があると言えます。

すなわち、仏教の根本には非常に強いものがあるのです。仏教を悲観的で弱々しい宗教ととらえる人もいるでしょうが、仏教のなかには、強く立ち上がるための方法論、強者となるための方法論があります。「各人が悟りを得て仏になっていく」という仏教の思想は、二千数百年前においては非常に画期的なことだったのです。

この思想は後世の大乗仏教独自のものではなく、ゴータマが説法し、五人の修行者を「阿羅漢の悟りに達した」と判定した時点からスタートしています。

人間は世間一般のため、社会や国家のために生きることが可能です。しかし、出発点と終着点においては、「自分」というものに還ってくる面がどうしてもあります。それゆえ、自分というものを無視した思想や理論は、多くの実を結ぶことはありません。

たとえば、共産主義社会において、「国家のための共産主義」ということを唱えても、結果として、個人の労働意欲や向上意欲がなくなってしまいます。

これは「個と全体」についての考え方とも関係しています。もとより、全体から分かれてきた「個」、仏の生命から分かれてきた「個性ある光」ではありますが、個が個として存在している理由は、「それぞれの個性を伸ばし、光らせていけ」ということなのです。

したがって、究極の目標としての全体の向上を目指すことは当然であっても、出発点においては、各人の個性を光らせることは無視しがたい課題です。十把ひとからげに人間をとらえるわけにはいきません。個性ある光として散乱した生命で、あるならば、その生命がいかにして独自の光を放つかが大事です。

すなわち、悟りとは、単なる救済という観点ではなく、もっと力強く積極的な価値をも内包する考え方なのです。

これは結局、人間の生きがいにも結びついています。「三次元という不安定な世界に送り出された人間が、いかにして生きがいや自分の存在意義を見いだすか」という問題の解答が、実は悟りにあるのです。

悟りとは、別の言葉で言えば、「いかにして、みずからの自覚を高めていくか。いかにして、みずからの人生の目的と使命を知り、世界の秘密を知るか」ということです。結局、悟りとは、ほんとうの意味で「知る」ということであり、それが新たな幸福感と大いなるエネルギーを生み出していくのです。

このように、悟りというものを、単に個人主義的な考え方とはとらえずに、それは、個性の意味、個が光を放つということの意味を表しているのだと考えていただきたいと思います。

【大川隆法『釈迦の本心』第六章「人間完成の哲学」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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