(11/18-2)50『仏陀再誕』を読む―愚か者となるな―愚かさとは―仏国土建設の本義

『仏陀再誕』を読む

56 仙人は、俗人との交流を好まないので、独り悟りが多く、本格的な菩薩になりにくい。仏教では、禅宗が、このヨーガ・仙人の系統を引いている。しかし、霊的な自覚に目覚めるための断食などは、ある程度、世界の様々な宗教に共有されている。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

47 針の山の向こう側には、もっとけわしい山がそそり立っている。この山は、びっしりと一面に、地面から刀剣の刃が突き出している。針の山では、まだ反省の足りない罪人たちは、体を切り裂かれながら、この千メートル、二千メートル級の山を登らされる。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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6魂の進化に資する「正業」(しょうごう)【正業】
○仕事を通して「指導力」を身につける

そこで、私なりの結論を述べるとすると、「職業における訓練・鍛錬・努力というものが、はたして魂に影響があるのか」といえば、「大いになる」と言わざるをえません。

高級霊界の人たちを見ていても、魂的に進化している人ほど、「仕事」ということに関しては幅広い活動が可能なのです。実際、非常に広範な仕事をしています。
それはなぜかというと、魂修行として、九次元まで行っても残るものに「指導力」という面があるからです。魂修行の目標として指導力という面が残っています。六次元以降はだんだんと指導者になっていく歴史であるわけですが、指導力という魂修行の課題は残っています。

この指導力を増していくためには、どうしても仕事というものができなければ駄目なのです。

高級霊であっても、指導力をつけるためには、やはり、ときおり地上に生まれて地上経験を身につけなければいけません。そうしないと指導力が低下していくのです。

長い間、高次元の霊界にいると、地上の環境についての理解、社会についての理解が欠け始めます。「霊的世界の感覚」と「地上の感覚」とに差ができて、地上経験した多数の霊人たちが実在界に還ってくるに当たって、彼らを指導する際に困難を感じるわけです。

こうしたこともあって、高次元霊であっても、単に救世のためだけに生まれ変わっているかと言えば、そうではなく、仕事能力をつける意味でも出ていることがあります。仕事能力をつけることによって、実在界に還ってもさらに大きな仕事ができるのです。これは魂にとって非常に貴重な体験であると言ってよいでしょう。

〇救世の仕事も仕事能力で測られる面がある

この正業という考え方については、『太陽の法』のなかで、「生かす愛」という段階にも分類できるであろうと述べてあります。ただ、正業のなかにも一番上の魂領域まで貫くものがあるということです。神仏は、仕事ということに関してはそうとうな実力者であり、そうとうの仕事をされているということだけは間違いありません。

今、九次元の十人の意見を統合するという使命を担って、私はやっておりますが、この九次元の法の統合概念として、エル・エル・カンターレが指導をしています。そして、九次元の十人の意見を統合しております。地上の人々が「父」と呼んできた本当の存在です。そういう意識があるわけです。

私たちの救世の仕事も、大きな枠から見たならば、一種の仕事能力で測られる面もあるということなのです。

【大川隆法『真説・八正道』第五章「正業」181pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
吾らの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
吾らを真なる幸福へと導きたまえ。』

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第三章 愚か者となるな 

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私の言葉をよく聞きなさい。
私の言葉をよく聞き、よく心にとどめておきなさい。
今日はあなたがたに、愚か者の話をしよう。
いや、愚か者にはなるな、という話をしよう。

○愚かさとは
見よ。世の中には、ここにもかしこにも、愚かな者があふれている。
あなたがたは、どのような者が愚かで、
どのような者が愚かでないか、その違いがわかるか。
あなたがたは、賢き者と、賢からざるものを分けて、
愚かであるかどうかを見極めようとするであろう。
確かにそうした区別もあるのは事実だ。
けれども、私はあなたがたに言っておこう。
この世の中には、自らが愚かでないと思っている人が数多い。
自らが愚かでないと思っている人のなかに、
愚かな人が数多くいるのだ。
頭の良し悪しだけでもって、愚かであるかどうかを言うのではない。
愚かであるかどうかは、
その人自身が、自ら魂の欲するところを
知っているかどうか、ということにかかっているのだ。
さて、見渡してみよう。
あなたがたのまわりにも、愚かなる人はいるはずである。
いや、ほかならぬあなた自身が愚かに生きているかもしれぬ。
愚かであるということは、
心に毒をつくりらながら生きているということだ。
心が毒を食らいながら生きているということだ。
心が毒を食らいながら、
自ら毒を呑み込んでいることを知らずに生きているということなのだ。
自らの肉体が、もし毒を含んだ食物を食べたならば、
肉体はただちに弱り、やがて死の床につくことになるであろう。
しかし、あなたがたは自らの魂が、いま毒素を飲んでいるとしても、
それが自らの魂を死に到らしめる行為であるということを、
なぜ知らないのか。
何ゆえに知らないのか。

諸人よ、我が話をよく聞きなさい。
あなたがたは、知らず識らずのうちに、日々、毒素を食しているのだ。
日々、砒素(ひそ)の毒を飲んでいるのだ。
少量の毒素であっても、毎日毎日摂り続ければ、
やがてそれは大きなものとなって残るであろう。
やがて、あなたがたの魂を死に追いやるであろう。
魂の死とは何であるか。
魂が本来の仏性を有しない姿になるということだ。
魂が本来の仏性を有しない姿になるとは、いかなることか。
それは、本来つくられたる目的と、
相反する生き方に甘んじるということだ。

○貪(むさぼ)るな
諸人よ、よく聞きなさい。
私はあなたがたに言っておく。
まず、貪りの欲を捨てなさい。
あなたがたの多くは、貪る気持ちがあるであろう。
貪りという気持が、分かるであろうか。
それは、あくまでも奪い続けるという心だ。
あれも欲しい、これも欲しいという心だ。
貪りの心のなかには、
地位欲もあるであろう。
出世欲もあるであろう。
名誉欲もあるであろう。
とにかく、いつも空腹の餓鬼(がき)のように
食べても食べても満腹せぬがごとく、
貪り貪り、貪りつづけてゆく時に、
あなたがたの魂は
限りなく、深いよどみのなかに落ちてゆくということを、
知らねばならない。
何ゆえに、貪りが毒であるということがわかるか。
何ゆえに、貪りが悪であるということを知るか。
その意味をあなたがたは知っているであろうか。

【大川隆法『仏陀再誕』第三章「愚か者となるな」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第五章 縁起の法
10 仏国土建設の本義

「縁起の法」を中心として、「運命論」「自由意志論」「地獄・天国論」を語ってきました。

仏教がなにゆえに天国・地獄の話をしたかと言えば、結局、日々の種まき作業が地獄や天国をつくることになるからです。それゆえ、仏国土ユートピアを建設し、すべての人が素晴らしい人生を生きていくためには、この世でも天国的なる生活を展開していくことが大切なのです。

それには、いかなる種まき作業が必要でしょうか。まず、「縁起の法」をしっかりと理解して、他を害さず、みずからをも害さない生き方をしていくことです。そして、自らの幸福をさらに増進し、他人の幸福をも押し上げていくような生き方をすることです。

「善人は損をする」「正直者はばかをみる」とよく言われます。しかし、善人でよいのです。正直者でよいのです。この世的には多少抜けているように見えたとしても、飾らず、人を害さず、真一文字に生きている人は、それ生き方そのものが仏国土建設の作業になっていることを知らねばなりません。

真心を持って生きることです。誠意を持って生きることです。ゆめゆめ他を害することなく、すべてが浄化と発展の過程にあることを信じて生きることです。天使が生きているような生き方をすることです。これが大事なのです。

仏国土建設は決して容易なことではありませんが、縁起の法を万人が認めたとき、それは可能となります。人生は原因・結果の連鎖ででき上っています。常によい原因をつくるという姿勢さえ忘れなければ、時間がたつにつれて、よい結果ばかりが周囲に出てくるようになるでしょう。

現在、たとえ身の回りに悪しき現象や環境が現われていたとしても、それは過去にまいた種が結実しているだけなのです。

したがって、現在ただいまの修行としてあるべきなのは、「未来に向けてよき種をまいていく」ということに専念することです。

そして、たったそれだけのことが、実は「光明思想」と呼ばれているものなのです。

光明思想は、要するに、「縁起の法、原因・結果の法則を十分に知って、よい種をまいていけ。そうすれば、よい果実を取り入れることができるであろう」といっているのです。

すなわち、「いま毒麦が実っているとしても、以後は毒麦の種をまかず、よい麦の種をまいて、素晴らしい麦をつくることに専念しなさい。そうすれば、やがて世界が黄金色に変わっていくであろう」ということです。光明思想とは、実はこうしたことを説いているものなのです。

このような心がけで生きていただきたいと思います。

【大川隆法『釈迦の本心』第五章「縁起の法」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史 

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