54 「天狗」と「仙人」は、一種の霊能力、超能力を持ちやすいが、「仙人」の方が、「衣」「食」「住」についての欲が少ない。「仙人」は職人で成功する人が多い。「色欲」に執われると神通力を失うのは、「天狗」も仙人も同じである。久米の仙人などが有名である。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
【※久米仙人・龍門寺(奈良県吉野郡吉野町)の堀に住まって、いつものように飛行していたが、あるとき久米川(現・曽我川。大和川の支流)の辺で洗濯する若い女性の白い脹脛(ふくらはぎ)に萌えて神通力を失い、墜落する。その女性を妻として普通の人間として暮らした。
聖武天皇(在位:724 –
749)の命により東大寺に大仏殿を建立(竣工:758)する際、久米仙人は俗人として夫役につき、材木の運搬に従事していた。周囲の者が彼を仙人と呼んでいるのを知った担当の役人は、「仙人ならば神通力で材木を運べないか」と持ち掛けた。七日七夜の修行ののち、ついに神通力を回復した彼は8日目の朝、吉野山から切り出した材木を空中に浮揚させて運搬、建設予定地に着地させた。
その甲斐あって大仏殿の建立は速やかに成就したと伝えられている。聖武天皇は、免田をたまわり、久米仙人はそこに寺を建立した。これが久米寺であるという。(Wikipedia)】
49 刀剣で斬られる身体の傷は、人生で知って犯した罪、知らずして犯した罪の数と同じになる。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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3仏法真理のなかの繁栄・発展【正業】
〇「職業」と「真理」の問題を前面に打ち出す時期が来ている
日本は今、アメリカという国に追いついてきていますが、かつては、「アメリカで流行っているものをまねすれば、十年後、日本がそうなる」と言われていました。今では、それもだんだん分かりにくくなってきている現状ではありますが、今後の日本の「ビジネス界」「宗教界」を取り巻く環境として、どういう環境が出てくるかと考えてみると、この両者をリンク(連結)させる理論は必ず出てこなければならないでしょう。当然、出てくるはずです。
それゆえに、私たちも、「幸福の原理」のなかの一つとして、「発展」という概念を明らかに打ち出しています。これを行けておかなければ、今後の社会の要請に応えることができないのです。
釈迦仏教のなかには、この「発展の概念」は、どちらかといえば欠けていたでしょう。「内面世界の発展」ということにとどまっていたかもしません。
しかしながら、環境自体がこれだけのダイナミックスを含んでいる現今において、内面世界の発展だけでは止まらない部分があります。
私たちがよく「この世とあの世を貫く幸福」という言葉でも言っているとおり、かつて「実在界」のみに存在した世界を、この「現実世界」にも同時に連動的に現す時期が来ているということなのです。
特に日本神道系にあっても、この点についてはそうとう努力をされてきたという感じがあります。戦後の日本の復興というものを見たときに、これは日本神道系の高級神霊たちのそうとうの力があったと思われるのです。
だた、もっと本質的な部分、根源的な部分から、この「職業」と「真理」という問題を前面に打ち出す時期が来たのではないかと思われます。
○「瞑想的生活」だけでなく、「発展・繁栄の原理」も真理である
私はこれまで、四千三百年前に生まれたギリシャのヘルメスについて語ってきましたが、ヘルメスの生涯を見れば、「こうした真理もあるのだな」ということが分かるでしょう。みなさんが今まで真理と思っていた、あの「瞑想的生活」だけではないという部分が明らかに出てきます。真理のなかには、「この世の発展・繁栄の原理」となるべきものが明確に含まれているのです。
実は、ヘルメスは、十七、十八、十九、二十世紀と近現代の世界で起きてきたことを四千年前にすでに先取りしていました。そうした原理が明らかに出ています。
貨幣経済をつくったのはヘルメスなのです。現在の為替に近いものまですでに発明しています。また、三国間貿易といったものも始めていましたしたし、そういう発想が出ていて、ギリシャおよび地中海世界を軍事的に支配するというのではなく、経済的な問題として、そういう関係をつくり、平和を生み出すという努力をしていたのです。
さらに、ヘルメスは、国連の原型にあたるようなものも考えだしています。そういうものの原型が、四千年以上まえにすでにあったのです。
こうした事実を知ったときに、みなさんは、「真理の根底には、そうとうしっかりした軸が埋まっている」ということを知るに至るでしょう。そして、おそらく、現実の社会、あるいは、ビジネスの世界というものを無視できないと感じるようになるだろうと思います。
それは、そうした社会を規律する法則を真理の方に向けていくことによって、より大きな力で世の中を変革していけるという場面が出てくるからです。
そういう意味で、単なる逃避だけでは済まない部分があるのです。
【大川隆法『真説・八正道』第五章「正業」173pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 叡智の言葉
○教養の道
しかして、さらに次なることをも言っておこう。
この水路のたとえをさらに敷衍(ふえん)し、発展させておこう。
水路は、そのまわりに囲いを持っている。
その幅は、三〇センチであったり、五〇センチであったり、
一メートルであったり、さまざまであるが、
水を流すために、一定の幅があり、
一定の長さがあり、一定の障壁というものがある。
これは、一見、
他の人びとへの愛を拒んでいるようにも見えるかもしれない。
こうした壁があるということを、
人びとは批判し、それを非難することがあるかもしれない。
しかし、考えてもみなさい。
もし、水路があのようにまっすぐに走っていなければ、
どのようになるかを。
ポンプ小屋から自ら溢れるだけであったら、どのようになるかを。
まわりは水びたしとなり、一種の小さな洪水となるであろう。
そして、洪水となった結果が、
ほんとうに稲の穂を伸ばしてゆくことになるかどうかを、
考えてみなさい。
それは、そうではないであろう。
まだ生え揃(そろ)わぬ苗を水びたしにして、
そして、腐らせてしまうことにもなりかねまい。
私は、そう思う。
こうしてみると、
より多くの人びとに、まんべんなく愛を与えるためには、
人生の基礎工事が必要であるということを、
この水路は物語っているのだ。
その水路を引く途中においては、迷いがあるかもしれない。
この水路をつくってゆく工事の途中で、
他の人びとから批判があるかもしれない。
その批判は、おおかた次のようなことであるだろう。
「幅五〇センチの、
あるいは幅一メートルの水路をつくる田畑があるならば、
その土地があるならば、そこに稲を植え、そこに麦を植えたならば、
もっと多くの収穫を得ることができるのに」
と彼らは口ぐちに言うであろう。
しかし、あなたは黙々とその水路を掘り続けるであろう。
あなたが、水路を掘り続ける姿を見、
その水路を固め、そして、そこに水を流すための工事をしている時に、
あざ笑う人はいるだろう。
「バカなことをしている。あんな工事をしたところで、
そこから一粒の麦も、一粒の稲も実らないのに。
つまらないことに時間を費やしている。
つまらない工事に自己満足している」
そのように批判する人は必ず出てくるに違いない。
されども、自らの理想というものを疑ってはならない。
自らの理想を忘れてはならない。
たとえ、遠大な計画であったとしても、
その計画は必ずいつの日か達成されるのである。
目先のことにとらわれてはならない。
目先の利益にとらわれてはならない。
あるいは、あなたが偉大なる理想を持っているときに、
他の人びとの批判や中傷に怯(ひる)んではならない。
そういう批判や中傷に怯むことなく、
まっすぐ、まっすぐに水路をつくってゆかねばならない。
たとえ、その土地が無駄だと言われようとも。
たとえ、その工事が一粒の麦をも実らせないと言われたとしても。
徒労だと言われることがあったとしても。
あなたがたの人生の理想が、大いなる愛の供給にあるならば、
その工事作業をやめてはならない。
私は、そのように思う。
このように考えてみるならば、
あなたがたの中道の道というものも、
さほど容易なことではないだろう。
それは出来上がってしまい、成功してしまい、完成してしまうと、
「なるほど」と他の人びとを納得させるものではあるが、
その途中では、「何ゆえに」という言葉を数多く見るであろう。
「何ゆえに」という声を、数多く聞くことになるであろう。
それは、理想を理解できない人たちの言葉でもあるだろう。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私はこの水路のたとえで、あなたがたに何を話そうとしているか、
このことがわかるであろうか。
私のこのたとえの意味が分かるであろうか。
縁生の弟子たちよ。
私は、人間完成の道には数多くの学びが必要だと言っているのだ。
あなたがたは、教養を積みなさい。
教養の道を歩きなさい。
教養を身につけるということは、そう簡単なことではない。
それは、倦まずたゆまず努力をしつづけることを意味する。
教養を積んでいる途中で、
数多くの人から批判を受けることはあると思う。
「そんなことは役に立たない」と。
「そんなものは何のためにもならない」と。
そのように言われることが、必ずやあるであろう。
しかしながら、教養の道は遠大な道なのだ。
それは、あなたがたの魂の肥やしをつくってゆく道でもあり、
魂を育ててゆく道でもあるのだ。
今、自分は、
広大な土地に、一歩の水路を通そうとしているのだと思いなさい。
一本の水路を通すことによって、まわりのあれた土地を灌漑し、
それを田畑に変えてくことができるのだ。
この一本の水路を通す工事のことを、教養をつけるというのだ。
あなたがたが、人生に勝利し、多くの人びとを導いてゆくためには、
是が非とも数多くの知識を身につけ、数多くの経験を積み、
そしてそれらを教養にまで高めねばならないと思う。
我は、一片の知識をかき集めることをもって、
それで教養と呼ばない。
知識は教養をつくってゆくための力になることは事実だ。
しかしながら、知識は愛を経て教養になるのだ。
知識は、愛という触媒を得てはじめて教養になるのだ。
ということを私は言っておきたい。
その知識が、何のための知識であるかということが大事であるのだ。
その知識が、あなたがたが自己をてらい、
他の人びとに、
自らをえらい人間であると思わせるためだけの知識であるならば、
それは、決して教養となることはないであろう。
しかし、その知識は、
あなたがたが他の人びとを利し、
他の人びとを生かそうという思いのなかにある時に、
あなたの人格のなかにくい込み、
あなたの人格を太らせ、あなたの人格を力あらしめるであろう。
すなわち、教養への道は、
知識に愛が触媒として加わって、
そして自らの智慧となった時、
それが教養そのものの道となるのである。
人びとよ、このことを疑ってはならない。
よいか、これより後、
あなたがたの目の前に広がる広大な土地のなかの一部分を、
自分の教養のためにとっておきなさい、と私は言っているのだ。
あなたがたのうちの、あなたがたの一日の時間のうちの一定の時間を、
一か月の時間のうちの一定の時間を、
一年の時間のうちの一定の時間を、
教養を身につけるために割(さ)きなさい。
それは、決して無駄にはならぬ。
他の多くの人びとを生かすための、土木工事となるであろう。
そう言っているのだ。
しかして、この教養をつける道にとって、
いちばんよいものは何であるか。
教養のなかの教養、真の教養とは、やはり永遠の仏法真理である。
私は、そう思う。
あなたがたの教養のなかの中心に、仏法真理というものを据えなさい。
仏法真理を、中心としなさい。
仏の教えを、その教養の中核としなさい。
そして、これを知り、これを学ぶことを通して、
この世的なる数多くの知識というものを、
もう一度、学びなおしてみなさい。
もう一度、研究してみなさい。
また、あなたが過去得た経験を、もう一度、検討してみなさい。
あなたが過去得た数多くの経験のなかから、
ダイヤモンドのごとく光るものがあるならば、
叡智の片鱗があるならば、
これを取り出して自らの飾りとしなさい。
あなたがたが、これから学ぼうとするもののなかに、
仏法真理を匂わせるものがあったならば、
仏法真理を感じさせるものがあったならば、
むさぼるがごとく、
それを吸収してゆきなさい。
それを学んでおきなさい。
すなわち、教養への道は、
仏法真理を中心として、そのまわりに、
数多くの発明や発見や
工夫という名の人類の遺産をはべらせることなのだ。
数多くの人が、数多くの発見をしてきたであろう。
数多くの人が、数多くの工夫をしてきたであろう。
数多くの人が、数多くの思想をつくってきたであろう。
数多くの人が、数多くの意見を言ってきたであろう。
それらすべてのものを仏法真理という名のふるいにかけて、
そして、そのふるいを通ったものを自らの糧としてゆきなさい。
それが、教養を積んでゆくために、ひじょうによいことであるのだ。
【大川隆法『仏陀再誕』第二章「叡智の言葉」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第五章 縁起の法
8 天国の思想
それでは、「天国の思想」を仏教ではどのようにとらえているのでしょうか。
仏教においては、天国は大きく三つに分かれています。一つ目は「人間界」です。これは善人が行く世界です。二つ目は「天界」です。これは、人間としてかなりの修行を積み、光り輝いた人が行く世界です。その上に、三つ目として、「仏界」という仏神の世界があります。これが天国についての仏教的な認識です。
ただ、実際は、天国といわれる世界も、さまざまな要素によって、さらに細かく分けられており、非常に精妙で緻密な区別のある世界となっています。四次元、五次元、六次元、七次元、八次元、九次元と称する世界も、実はもっと細かく分かれているのです。
なぜなら、あの世は意識の世界であるため、意識に微妙なずれがあると、住む世界が分けられてしまうからです。ひと口に天国といっても、その内容はまさに千差万別なのです。
ただ、大まかに言うならば、天国という世界には、ある程度、人間としての善性に目覚めた人びとの住む「五次元善人界」、社会的にもある程度の成功を収めながら、心のなかに善なるものを有している人びとが住む「六次元光明界」、その上には、人間離れした天人の世界、天使の世界である、「七次元菩薩界」および「八次元如来界」があります。
仏教では天人の世界を明確に肯定し、さらに天人にもさまざまな人がいることを説いています。天国にはさまざまな職業を持った天人たちがいることを明確に説きえた点が、仏教の特色の一つにもなっていると思います。
あの世はこの世の延長であり、この世で生きていた人が死んであの世に還るのですから、あの世の世界がこの世とそれほど違っているはずはありません。地上の人間に仕事があるように、あの世の人間にもいくつかの役割があって、それぞれの仕事を遂行しているのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第五章「縁起の法」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について
・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。
・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。
日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。
・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。
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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)
(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)
・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。
(『現代の武士道』)
・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
(「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史
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