(11/12-2)44『仏陀再誕』を読む―我、再誕す―我に従い来よ―運命論について

『仏陀再誕』を読む

47 天狗は頭に黒い烏帽子をつけていることが多く、かつて山岳修行した山伏の経験がよくある。そのため「仙人」同様の超能力を持っているものが多い。

48 その超能力の一つが「遠眼鏡」で、山の上に棲みながら、木の上から、町の中の人間のなりわいを眺めている。このため、この世の流行や勃興してくるものに敏感である。ニュービジネス界の人材となることも多い。急成長して倒産する者も天狗に多い。

49 「天狗」の足には、鶏(にわとり)のような蹴爪(けづめ)があり、容赦なく、ライバルを蹴落とす。その競争心の強さには、他の「妖怪」も、「そこまでやるか。」と驚く

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

53 ある時、餓鬼霊の群れに出くわした。戦争ばかりやって、民衆を飢えさせた将軍が、ゾンビの大軍に食いちらかされているようだった。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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5注意されたら感謝せよ
〇怒られて「ありがとうございました」と言える人は”偉人”

もう一つは、他人から怒られた場合の受けとめ方です。これには幾つかあります。他人から怒られたら、「人格を否定された」とおもって戦いを挑むようなこともあるでしょうが、そのような場合に、いきなり反発することはやめてください。怒られたときに、その場で反発するのをまずやめることです。これは「下の下」です。ゴリラや原始人であれば、殴られたら殴り返すかもしれませんが、そういうことは、文明人としては最低であると知ってください。

他人から怒られたり叱られたりした場合には、まず五秒や十秒、持ち堪えてみてください。私は、これをまず提言します。五秒でも十秒でも持ち堪えることです。そして、そのわずかな時間に、頭のなかで考えを巡らせてください。「そう言われるような原因が本当にあったかどうか」と考えてください。

そして、「ないかもしれない」という判定が出たとしても、さらに、ないかもれしないが、そのように誤解される余地があったかどうか、例えば、コミュニケーションの悪さのところで誤解を受ける余地等があったかどうかについても考えてみてください。

もし、その余地があったとか思えるならば、まず、その批判はいったん受けてください。「自分には、まだ至らないところがあった」と受け止めてください。そのように受けると、相手は収まってくるのです。

それから、「どこが悪かったのでしょうか。今後のために教えてください」と言うことです。

叱られたときには、「確かに、そう言われる余地がある。そのように考える余地がある」と思ったら、いったん受け止めてください。そして、「ありがとうございました」と言うことです。

怒られても、「ありがとうございました」と言える人は少ないのです。このような人は”偉人”です。そういう”偉人”はめったにいません。怒られたときに、「よく言ってくださって、ありがとうございました。私の悪かったところについて、もう少し教えてください」と素直に教えを請うだけの度量があったら、これは大人物への第一歩だと、私は思います。

○「素直な態度」は相手を変える
それだけの度量のある人はほとんどいないのです。私自身、初期には高級霊に叱られていましたので、度量はあります。怒られながらも、機嫌よく働いていたのです。「すみません。どこが違ったのでしょうか」「ああ、そうなんですか。分かりました。また頑張ります。」と言って仕事をしてきたのです。

もし、言葉癖がひどく悪くて、批判癖があり、厳しいために、どの人からも煙たがれているような人であっても、「ありがとうございました」と教えを請うような人に出会ったら、もう言えなくなるでしょう。言葉がグーッと詰まってしまいます。「いや、私も大人げなかった」ということになるのです。

反発してけんかをすればそれまでですが、そういう態度に出れば、相手まで変わってくることもあるのです。そのことを知らなければなりません。

もちろん、これは一般論的に言ってのことであり、ケース・バイ・ケースです。ヤクザに絡まれて、「どうぞ教えてください」などと言っていたらバカを見ますから、そう言うことはほどほどにしてください。そこは知恵を働かせなければ駄目です。

【大川隆法『真説・八正道』第4章「正語」153pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』

今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第一章 我、再誕す 
○我に従い来よ

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
今生にて、ふたたび、相見(あいまみ)えることができたことを、我は嬉しく思う。
今生にて、ふたたび、相見えることができたことを、我は嬉しく思う。
我はかつて、あなたがたに約束したはずだ。
末法の世に、ふたたび甦るということを。
末法の世に、ふたたび転生し、
あなたがたとともに、仏国土建設のために、
その実を投げ出すということを。

末法の世にこそ、
新たなる法を説かんがために、地上に降りるということを、
我は、かつてあなたがたに約束したはずである。
我は、その約束を違(たが)えたことはない。
今、また、末法の時代が来、
時代が我を要請し、
時代が、あなたがたを要請している。

縁生の弟子たちよ。
我が声を信じよ。
わが声に目覚めよ。
我が向かう方向に、つき従え。
我に従い来よ。
我の振る、この白き手に従い来よ。
われは、あなたがたの永遠の師である。
永遠の師の、その後ろに続くことが、弟子の使命であるということを、
ゆめゆめ忘れてはならない。

【大川隆法『仏陀再誕』第一章「我、再誕す」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第五章 縁起の法
4 運命論について

縁起の理法と業について述べてきましたが、「いわゆる運命論については、どう考えるべきなのか」という疑問を持つ人もいるでしょう。そこで本節では、「運命」について考えてみたいと思います。

まず、「業と運命は同じものなのか。それとも違うものか」という観点があります。これについては、「業は運命の形成要因の一つである」と考えてよいでしょう。

たとえば、自動車には、速度のよく出るものと出にくいもの、燃費の良いものとそうでないもの、ブレーキが利きやすいものとそうでないもの、小回りが利くものと訊かないものなど、いろいろな性能や特徴があります。坂道に弱い車もあるでしょうし、それほど荷物を積めない車もあるでしょう。さまざまな車があるのです。

魂の傾向性は車の性能や特徴のようなものだとみてよいでしょう。車を運転するようにして、人生行路を進んでいるとするならば、車の傾向に合わせた走行方法があるはずです。

運命というものを「人生の道筋」と考えると、業の思想は、運命という道筋を進んでいく際の車の特徴、あるいは、運命という川を下っていく際の舟の特徴と考えてよいでしよう。そうした傾向性を持ちながら、そうした環境を生きていけば、どのような結果が出るかは、ある程度、推測できるのです。

たとえば、ボウリングの玉を転がす際には、「この方向に、この強さで転がせば、この程度のピンが倒せる」ということを予測するわけですが、人生にもまさしくそうしたことがあるのです。

はたして運命があるのかと言えば、個人によって、その内容にも程度にも差がありますが、運命を形成している因子がいくつかあることは事実です。

第一の形成因子は、業、つまり魂の傾向性です。第二の因子は、両親や兄弟といった家庭環境です。第三の因子は、時代環境、社会環境です。第四の因子は、本人自身の努力です。第五の因子は、他の人びとの協力です。

この五つの要素が運命をかたちづくっているのですが、第四の「本人の努力」と第五の「他人の協力」の部分が、未確定のものとして残されていると言ってよいでしょう。

第一から第三までの部分、すなわち、魂の傾向性や家庭環境、時代環境は、生まれたとき、すでに決まっているので、変えがたいものがあります。それゆえ、運命には前提条件として決まっている部分が確かにあると言えます。あとは、「本人の努力」と「他人の協力」の部分が、その人の人生でどのような役割を果たすかということにかかっています。

結局、「運命というものは、生れ落ちたときに決まっている条件と、その後の条件とが、複合的に関連し合って決まっていくものである」と考えなければならないのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第五章「縁起の法」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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