(11/11-2)43『仏陀再誕』を読む―我、再誕す―蓮の華のごとく―業とは何か

『仏陀再誕』を読む

46 特に、「カラス天狗」と呼ばれる一派は、知能も高く、カラスそっくりの口ばしをしている。口を開けば、自慢話か、他人をこき下ろすことに精力を使っており、「反省」ができないという特徴がある。高ころびして、挫折する以外に、自己の実像を知ることは少ない。

カラスそっくりの黒い羽根をしているが、肩を落とした後ろ姿のしょんぼりしたところを見ると、悪魔より純心なところがあると思われる。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

54 ある時、大群のイナゴに姿を変えた飢えた民衆が、国王一家に襲いかかり、彼らを、白骨に変えていくところを見た。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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4他人の言葉の受け止め方

そのように、「言葉」の部分については、何度も何度もよくよく考えてみる必要があります。人間は、自分に対して言われるマイナスの評価というものを、とかく針小棒大に感じやすいものです。ほんとうはそれほどには思われていなくても、大きく感じてしまいやすいのです。

そして、自分に対するほめ言葉については、他の人からほめられても「いやー」などと謙遜し、翌日になると、「やはり、あれは自分をからかおうとしていたんだ」などと悪く考えてしまいがちです。ほめられても素直に喜ぶことができず、悪く言われれば信じてしまうのです。

ただ、「悪いことを言われると信じるが、よいことを言われたら疑ってかかる」という性格の人は、絶対に幸福になれません。私は『「幸福になれない」症候群』という本を出していますが、もし、そういう性格の人がいたならば、この本の第2章に登場してもらわなければなりません。このように言いたくなる人が実に多いのです。

女性は、半数以上がそうなのではないでしょうか。ほめられれば、「でも、本当はあれは…」と疑ってかかり、怒られたら、真面目に受け取って十倍ぐらいに拡大して信じるというような人が、おそらく半数以上はいるのではないでしょうか。

しかし、これは努力で克服できるのです。いや、しなければいけないのです。克服しなければ、心の地獄領域が増大することになるのです。ささやかことでもほめられたら、素直に喜ぶような素直さが大事です。

【大川隆法『真説・八正道』第4章「正語」151pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
吾らの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
吾らを真なる幸福へと導きたまえ。』

今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第一章 我、再誕す 

○蓮の華のごとく
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私は、蓮の華を愛した。
私は、蓮の華のたとえをよくあなたがたに語ったはずである。
見よ、かしこの泥沼を。
見よ、ここの泥沼を。
蓮の咲く沼は、どれもこれも、決して見栄えのよいものではない。
いや、言葉を換えれば、むしろ不浄の沼と言ってもよい。
決して清らかな沼ではない。
水も濁り、沼もまた悪臭を放っているかもしれない。
そのような泥沼を好んで蓮の種はまかれ、
そのような泥沼のなかから、好んで蓮は花を咲かせるのだ。
泥水の上に、清らかな茎を伸ばし、
そして、世にも希(まれ)なる赤い華を、紫の華を、白い華を、咲かせてゆく。
その姿はとても、この世のものとは思われない。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
あなたがたの使命もここにあるということを悟りなさい。
あなたがたの天命もここにあるということを知りなさい。
この地上の世は、この世の中は、
汚濁(おじょく)に満ちているように見えるかもしれない。
この世の中は、
誘惑に満ちているかもしれない。
この世の中は、
いつもいつも転落の危機に満ち満ちているかもしれない。
しかし、あなたがたはそのような環境を避けてはならない。
あなたがたは、そのような環境から逃れようとしてはならない。
そのような、泥沼のなかからも、素晴らしい蓮の華を咲かせよ。
それが、あなたがたが今世、
我が弟子として生まれたことの意味であるのだ。
我はそのように、語り、そして、今も語る。
この世の中が、いかに不幸に満ちているとも、
いかに苦難に満ちているとも、
そのことを言い訳にしてはならない。

○衆生済度
また、わが声を信ずるならば、次なる言葉をも信じよ。
仏が、そして、仏の弟子たちが生まれてくる時代は、
いつも暗雲たなびく時代であるのだ。
人びとの心は、荒廃し、時代がその底につかんとする時であるのだ。
そのような時代にこそ、仏弟子たちは生まれてくる意味があるのだ。
そうであってこそ、衆生の済度ということが可能となるのだ。
あなたがたは、どのような時代に生まれようとも、
あなたがたは、いかなる環境下に生まれようとも、
あなたがたは、いかなる人びとのなかに生まれようとも、
そのことを後悔してはならない。
あなたがたが、降りる時代は、
あなたがたが、生まれる時代は、
いつも人類にとっては苦しみの時代であり、悲しみの時代でもある。
しかし、その時代のなかにおいて、
新時代の黎明(れいめい)を告げることこそ、
あなたがたの使命ではないのか。
そうであってこそ、仏との約束が果たせるというものではないのか。

【大川隆法『仏陀再誕』第一章「我、再誕す」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第五章 縁起の法
3 業とは何か

因果の理法について、さらにくわしく探求していくと、「業(ごう)」の思想に突きあたります。「人間には業がある」と言われます。「業」は「カルマ」ともいい、比較的、有名な考え方だと思います。「宿業」と呼ばれることもあります。

よく「人間は平等である」と言われますが、それぞれの人間を見ると、何ゆえにこれほど境涯に差があるのかと感じます。外見にも中身にも違いがあります。この違いの出発点はどこにあるのでしょうか。それは今世だけのものではありません。人間は永遠の転生輪廻をしている存在であり、過去世の集積が今世に影響しているのです。

法則性から見れば、業にはよい面も悪い面も両方ありうるわけですが、業は主として否定的な面でとらえられることが多いようです。仏教の世界では、長いあいだ、不幸を解決する方法として、「それは前世からの業なのだ」という考え方がよくとられてきました。

たとえば、「今世で自分が人から傷つけられたのは、過去世で人を傷つけたことがあるからだ」「今世で目が見えなくなったのは、過去世で人の目をつぶしたからだ」「今世で足が悪いのは、過去世で人を辱めたからだ」「今世で人から呪われたのは、過去世で人を呪ったからだ」などと言う考え方をするわけです。

そして、「因果応報の法則が、宿業、すなわち積もり積もった業となって、今世に現われてくる」「人生の不幸の多くは、多くの人びとからの恨みの念、マイナスの念、『成功させまい』『失敗させてやりたい』という呪いの念によってできているのだ」と考えられがちなのです。

ライフ・リーディングをして過去世を読み取ってみると、確かに、ある程度の確率で、そうしたことが言えると思います。人生を一冊の問題集として考えたとき、そのなかで最も特徴的な問題は、単に今世のみで発生するものではなく、過去世に原因行為があることも多いのです。

ただ、このカルマの思想は、単に「信賞必罰」という観点だけからとらえてはなりません。

確かに、過去世で人を殺した者は、今世では殺される立場に立つ可能性があります。しかし、それは必ずしも罰ということだけではなく、生まれ変わりの際に、そうした生涯を自らが選んでくることがあるのです。みずから体験して初めて、目覚めることがあるので、あえて厳しい環境を選んで出てくることもあるわけです。

このように、人生計画には、よいことのみは記されていないのであって、自分の魂が最高度に発展し、成長していくために必要な過程が、必ず踏まえられることになっています。本人も承知のうえで、そうした人生計画を立ててくるのです。

こうした業の観念がありますが、業は魂のなかに記録として遺っているものなので、「魂の傾向性」という観念でとらえ直してもよいと思います。人間には魂の傾向性があり、一定の環境が現われたときには、似たような行動パターンを起こし、みすみす落とし穴に落ちていくことがあるのです。このように、業を魂の傾向性としてとらえるほうが現代的でしょう。

業を魂の傾向性ととらえたときには、「自分の魂で最も特徴的なものは何か。そうした特徴を持っている場合、地上に生きていくうえで困ること何か。どのような事態が起きやすいのか」ということが問題となりますが、その答えは人それぞれです。

どうか、業という言葉を、現代的には魂の傾向性と考えていただきたいのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第五章「縁起の法」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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