83 仏宝護持のための竜神は、黒竜、赤竜、白竜、青竜、金竜などがいる。私は以前、奈良の猿沢の池で、黒竜や金竜を霊視したことがある。全長四十メートルぐらいあった。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
21 臆病すぎて、仕事もできず、家庭も護れなかった者は、ウサギのように、ピョンピョンと逃げ回っている。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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【正念】希望実現の法則
③心底から「神の子として、世の中の役に立ちたい」という気持が出てくるかどうか
では、どのようにすれば、「desire」のほうの念いが出てくるのでしょうか。ここが大事なところです。
心の深いところから、切実に「なぜ、その願いが持てるのか」ということです。なぜ、切実に「そこまでやりたい」という気持が起きるのでしょうか。
これは、その人の向かうべき方向や理想というものが、いったいどこにあるのかということと非常に関係があります。「あなたの理想はいったい何か」ということです。
もし、木の葉が池のなかで漂うような、そういう生き方をしているならば、そこまで行くことはほとんどないでしょう。しかし、激流のごとく押し流していく、打ち破っていくという気持があるならば、できるでしょう。
ここで、「本当に自己信頼をしているかどうか」「本当に自分を神の子だと思っているかどうか」「自分の核には金剛石の部分、ダイヤモンドの部分があるということを信じているかどうか」ということが試されるわけです。「結局、自分はダメな人間だ」などと思う人には、「正念」による自己実現は絶対にできないのです。
「自分は大いなるものとして、世の中の役に立っていきたい」という気持が、本当に心の底から出てくるかどうかです。
そういうものが出てこない人は、どちらかというと、周りから与えられる人間を生きてきたはずです。よく振り返ってみてください。そういう人は、ほかの人から施しを受けて生きてきたはずです。親切をしてもらって、それでも「まだ足りない」と不満を言い、愚痴を言うような人生を生きてきたのではないでしょうか。これは、もらっていることのほうが多い人です。
ただ、本当は、心の底から「人々を愛したい」「人々に与えたい」という気持が出てこなければ嘘です。そこまで行かなければ嘘なのです。そのときに初めて、力強い人生を生きていくことができるでしょう。
【大川隆法『真説・八正道』第八章「正念」265pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。
今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
そののち、この世へ執着と煩悩を断つ方法として『漏尽通力』を共に学びます。経典をお持ちでない方は、ぜひお求めください。【1700円税抜】
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第六章 転生輪廻とは何か
○希望の福音
さすれば、諸々の比丘、比丘尼たちよ。
まず、仏の教えを学びの中心とせよ。
仏の教えを学びの柱とせよ。
仏の教えを、常に学び、常に心に吸収し、
その学びによって日々を正しく生きてゆけ。
日々を正しく生きてゆくということは、何よりも大切なことである。
この時に、仏法真理の知識によって、
己の心をコントロールするということを、間違わないことだ。
仏法真理の知識によって
己の心を統御するということを、
忘れてはならない。
仏法真理の知識によって己自身を支配するということを、
忘れてはならない。
知識は、このように感情を支配するのに役に立つのだ。
おまえたちの間違いの大部分は感情にあり、
情にあり、思いにあり、
このようなところにおまえたちの間違いがある。
それを統御するのは、正しい仏法真理の知識である。
正しき仏法真理の知識を持って、
そうした思いや感情を統御してゆかねばならない。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
しかし、おまえたちには希望の福音がある。
この希望の福音があることを喜べ。
それは、おまえたちが今世において学んだことは、
一つも無駄にはならないということなのだ。
おまえたちが今世において学んだものも、
今世において役に立たないこともあるやもしれぬ。
しかしながら、おまえたちが今世に学んだことは、
必ずや今後、来世において、
また来来世において、役に立つこととなるのだ。
おまえたちは、地上を去って後、
実在界にて数百年、
あるいはそれ以上の生活を送るになるであろう。
そうして、おまえたちの魂が、また次なる修行を欲する時に、
次なる姿となって、おまえたちは地上に肉体を持つようになる。
すなわち、赤子として生まれ、成人し、
またさまざまな悩みのなかを駆け抜けてゆくようになる。
されども、今世おまえたちが、この人生修行で得たものは、
必ず来世の修行にも役に立つのである。
必ず来世修行において役に立ち、
おまえたちを、よき方向に導いてゆけるに違いない。
さすれば、今世、獲得したるものは、今世のみの功徳ではない。
今世を超え、来世、来々世において、
必ずやおまえたちを幸福にするに違いない。
さすれば、修行の期間、努力において苦しみがあったとて、
それを苦にしてはならない。
それは、今世のみの成果ではない。
おまえたちの魂を根本的に変えてゆくための力となるのだ。
おまえたちの魂が根本的に力を得てゆくための修行となるのだ。
そのための尊い修行を今なしているのであるならば、
決して怯(ひる)んではならない。
おまえたちは、精神の力ということを知っているか。
おまえたちは、精進の力というものを知っているか。
人はここにて力尽きたりと思うことがあったとしても、
さらに心して努力に励めば、その内に秘めたる力が、
次から次へと噴き出してくるのだ。
おまえたちの力は、無限である。
なぜならば、おまえたちには仏性が宿っているからである。
この仏性の力が顕(あら)われてきたときに、そのエネルギーは無限である。
その光は無限である。
仏に向かって進んでゆく時に疲れるということはない。
倦(う)むということはない。
傷つくということもない。
もし、この地上において、仏の教えを学び、
その教えを広げていると途中で、
おまえたちが悩み、苦しみ、疲れ、倦むことがあったとしても、
そうした努力を積み重ねていったおまえたちは、
地上を去った時、必ずや、光と安らぎのある国へと、
連れてゆかれるのだ。
先は、そう長くはない。
わずか数十年である。
あるいは、わずか数年である。
その間を、この教えのために生きてみようと思わないか。
その間を、この教えを体(たい)して生きてゆこうと思わないか。
その間を、この教えのもとに魂を燃焼し尽くそうとは思わないか。
諸人よ、これより後、
この真実の法を体(たい)して日々努力してゆくがよい。
仏の教えは、嚙めば嚙むほどに味が出、
聴けば聴くほどに味が出、
実践すれば実践するほどに、
その悟りの芳香(ほうこう)が、あたり一面に漂うものとなる。
おまえたちは、ほんとうに悟りの味というものを知らねばならない。
ただ単に活字を読んでも、
ただ単にテープを聴いても、
それが真実、魂の糧とならないならば、
ちょうど銀の匙(さじ)がスープをすくっても、
スープの味を知らないのと同じだ。
おまえたちは、悟りの味を味わえる人間とならねばならない。
悟りの香りをかぐことができる人間にならねばならない。
悟りの音色を聴きわけることができる人間とならねばならない。
そうであってこそ、はじめて、
おまえたちは真実の修行者ということができるのだ。
悟りへの道は、目の前に開けていると言ってよい。
【大川隆法『仏陀再誕』第六章「転生輪廻とは何か」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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第四章 漏尽通力
6 漏尽通力の極致
本章を閉じるにあたり、漏尽通力の極致についての話をしておきたいと思います。
釈迦の持っている六大神通力のなかで、最大のものと言われたこの漏尽通力。この世的にもすぐれた生き方をしながら、霊的能力を最高度に発揮する生き方。これをどのように究めていけばよいのでしょうか。
生きている人間が漏尽通力を究めんとするならば、まず、その意識を高めていく必要がどうしてもあります。すなわち、肉を持った身でありながら、高級霊たちと同じだけの意識の高さを持つ必要があるのです。「高級霊からの啓示」を、単に「教え」として受け止めるのみならず、彼らの垂れんとしている教えそのものの輪郭が分かり、その高低が分かり、その広がりが分かる。その個性の違いが分かる。こういう必要があるのです。
したがって、漏尽通力の極致は、「霊的現象に振り回されず、その本質をすべて見通せる」ということにあるのです。高級霊たちの言葉であっても、その個性の違いが分かる。その教えの高低が分かる。その教えの優劣が分かる。そうしたことを瞬時に見抜ける能力まで持っていれば、そういう人が、この世的に生きていくということは非常に簡単なことです。「高級霊たちの個性の違い」が分かり、「教えの違い」が分かり、「考え方の差」が分かるのであるならば、「この世的な人々の考え方の差・意識の差」は、はっきりと分かってきます。したがって、「どのようにそれを実現していけばよいか」ということも分かるのです。
ここに、対機説法の出現の場があります。釈迦の教えのなかでも、対機説法が非常に大事であったと言われています。「その人に応じた話をする」「その人の心根に応じた話をする」「釈迦の性格が救済のために変容する」ということがよく言われていました。相手によって、導き方が変わってくるのです。
その高低に差がつく。広がりに差がある。話の内容に差がある。あるときには、まったく違ったようなことを言う。ある人に対して話した内容を、別の人にはまた違った角度から言う。そのため、教えを受けた者は、必ずしも釈迦の本心が分からない。そういうことが言われたわけですが、これは対機説法能力があったからです。
その対機説法能力の根源は、いったいどこにあるかというと、「すべての人間の心、考え方が分かり切る」ということは、「その根源において、神からわかれた光をすべて知り尽くしている」ということです。「神の属性として、どういう光があるかを知り尽くしている」ということです。「神の属性として、どういう光があるかを知り尽くしている」ということ。これが根拠となるわけです。
したがって、釈迦の自身、対機説法すべき自身の根拠、根源にあったものはいったい何であるかというと、結局のところ、「高級霊たちの教えをも篩(ふるい)にかけて聴くことができた力」です。ここに、力の源泉があるのです。
すなわち、生きながらにして、肉体を持ちながらにして、高級霊たちの教えや考え方を見抜くことができたのです。こうした能力を持っていれば、高級霊はもちろんのこと、いわゆる悪霊、邪霊、悪魔の類の正体を見破ることは簡単です。どのようにして彼らの正体を見破るか。それはいとも簡単なのです。
特に、悪霊の正体を見破るためには、欲望に流れさないことが大事です。欲望に執われていると、悪霊たちの正体を見抜けません。しかし、欲望に執らわれず、淡々として流れていると、そうしたものを見抜いていくことができるのです。
したがって、霊たちの考えを見抜くという考え方のなかで、悪霊たちの考えを見抜くというやり方は、「日々、淡々とした生き方をする。日々に引っ掛かりなく流れていく。感情の起伏をつくらない。感情の起伏ができたときには、それをいち早く修正する。そして、元の心の平静さを取り戻す」ということです。
「心の平静さ」がいちばん大事です。悪霊に取り憑かれないためには、悪霊たちの支配を振り切るためには、心の平静、どんなことが起きてもただちに平静に戻る心が大事です。そうした心がなければ、霊的な本質を見抜く力はなかなか湧いてこないのです。
また、高級霊たちと十分に話ができるようになるためには、それだけ自分の魂を磨いていく必要があります。それには、この世に生まれた人であるならば、この世的に学んでいく必要もあります。
学びに関しては、確かに、書物などで得た知識もあるでしょう。それ以外に、いろいろな人に接して学んだ知識もあるでしょう。あるいは、「さまざまな経験、トータルな経験のなかから、自分の心の糧になるものをどう学び取ってきたか。人生の教訓をどのように得てきたか」、こうしたことも大事であろうと思います。
結局、高級霊たちが、それだけの見識を持ち、認識力を持っている理由は、数多くの経験のなかから、それだけの珠玉のごとき光の教訓を学んでいる。得ている、そして、その光でもって自らを包んでいるからです。そうした高級霊の心境に近づいていくためには、地上に肉を持って生きている人たちも、地上において経験した事柄のなかから、珠玉のごとき光を取り出し、身につけることです。
毎日、毎日、日々の生活のなかから、どれだれ、心の糧となるものを引き出していくか。これが根本です。どのような人にとっても、一日は二十四時間です。その二十四時間から一体に何を学びとっていくか。何を引き出していくか。これが、その根源です。毎日毎日の生活のなかから、高級霊たちと同じようなエキスを抽出できるだけの力があれば、「その人もまた、高級霊たちと同次元に立っている」ということができるのです。
やはり、人間の修業としては、ここまで行かなければいけません。すべての霊、すべての人間の心が分かる。それに合わせた話ができる。そして、そのなかで、自分を磨いていける。教育者としての自分を磨いていく。指導者としての自分を磨いていく。そういう境地に立てたときに、初めて漏尽通力も極致にと至るのです。そういう極致こそ、やはり、この世的な修行の最高の目的である。目標である。私はそのように思います。
【大川隆法 『漏尽通力』第4章「漏尽通力」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。
【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。
災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする 信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。
【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史