28 誠実でないのに、お金が集まってくる人は、「罪の人になるだろう」
33 偉くなれば批判が集中する。「信念」だけを頼りとせよ。
【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
本日5月8日は、名張伊賀支部の開設記念日です。皆様誠におめでとうございます。われらが愛する三重の地に、大いなる光の灯台をお許しくださった主に心より感謝を捧げます。主よ、まことにありがとうございました。
風薫る五月となりました。五月研修がただいま支部で開催されています。
オーダーも開催も致しますので、ご希望の方は支部までお問い合わせください。
5月14日は新復活祭です。2004 年 5 月14
日に、主が死の淵からご復活された奇跡に心からの感謝を捧げると共に、主が大宇宙の造物主であられることへの確信を深め、あらゆる既成の常識を打ち破り、主のご復活への確信を強めてまいります。
当日は13
時より、教祖殿に最も側近き礼拝殿である東京正心館から、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催します。そして、5/14(水)~5/18(日)まで、新復活祭を開催致します。皆様この機会にご来館ください。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
そこで、本日から経典『信仰のすすめ』の第四章に所収されています「愛は風の如く―Love Blows Like the
Wind」より、ヘルメスの愛について学びます。本御法話は主の新復活の直前となる2004年の4月29日に説かれています。
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■愛は風の如く―Love Blows Like the Wind
3この世とあの世の両方に責任を持った存在
○この世においてもユートピアをつくる
ヘルメスが説いた愛は、そのような「天使の愛」であったのです。
ヘルメスは、その無償の愛に基づいて、この世においてもユートピアをつくろうとしました。この世において理想の世界をつくろうとしました。この世の世界において発展を目指したのです。この世において諦めなかったのがヘルメスです。彼は、この世においても、調和ある世界をつくりたいと思ったのです。
これがヘルメスの考えです。
そういう幸福な世界は、現実には、来世、あの世において、もうすでに存在しています。
あの世の世界は、天国と地獄という二つの大きな世界に分かれています。
天国という世界は、光に満ち、幸福な人たちが住んでいる世界です。この世界は、地上に人間として生きていたときに、光に満ち、善なる思いを持って生きた人が還る世界です。
一方、地獄という世界は、どういうところでしょうか。「自分自身のため、我欲のために生きて、他の人を自分の犠牲にし、傷つけたり、殺したり、駄目にしたりする」ということを当然と思い、「それでも、自分がよければいい」と思って生きた人たちが、地獄という世界に堕ちているのです。
あの世には、こういう二つの世界があります。
天国という世界は、幸福な世界であり、ユートピアの世界です。したがって、単に「その世界に還ればよい」というだけのことであるなら、確かに、それで、話としては終わりです。
しかしながら、天国・地獄がうまれた原因は、この地上にあります。この地上に人間として生きているあいだの生き方、考え方が、天国と地獄を分けているのです。そのため、この地上そのものを理想的なものにしないかぎり、地獄がなくなることはありません。
地上でそれをしなければ、仕事を来世に延ばしただけのことになります。
天使たちは、あの世においても、地獄界、キリスト教的には「煉獄(れんごく)」とも言われている世界に行って、救出作業をしています。それは大変な修行です。彼らは、毎日毎日、大変な仕事をしています。
私は、そういう天使たちの仕事を、もっともっと楽なものにするためにも、「仏法真理に目覚めて理想郷をつくろうとする人たちを、この世において数多くつくらなければいけない」と考えているのです。
【大川隆法『信仰のすすめ』第4章「愛は風の如く―Love Blows Like the Wind」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第四の経文である『目覚めの言葉「次第説法」』についてです。
『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を読誦して、自分が、「無我」や「空」の教えを通して霊存在であることを自覚した後に、私たちが読む経文が『目覚めの言葉「次第説法」』です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、どのようにしたら私たちが、苦しみの世界から、「悟りの彼岸」に渡り、「解脱の道」へと進むことができるのかを次第、次第に知ることができます。私たちの人生の問題集の解決の鍵が『目覚めの言葉「次第説法」』に埋蔵されています。この鍵を共に見つけてまいりましょう。
この次第説法の内容は、2600年前のお釈迦様の十八番(おはこ)のご説法であったと伝え聴いています。このお経に説かれているのは、「施論」―与える愛の実践・「戒論」―悟りを得るための心の修行をするための正しい生活習慣・「生天論」―来世に地獄に行くことなく、天国世界での幸福の生活への誘い―です。
お釈迦様が、在家の方々の「施論」「戒論」「生天論」を成就するために、正しい信仰【正信】としての「正見」と、「苦・集・滅・道」の四諦と八正道への道のりを論理的に指し示されています。この世とあの世の幸福を一致させるための説法でした。このお経の内容を伝道の道しるべとして、まず自らに熏習しながら、他人(ひと)にお伝えしてまいりましょう。
それでは『目覚めの言葉「次第説法」』はこのように始まります。
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■『目覚めの言葉「次第説法」』
魂の 目覚めの 時に
破すべきは
まず 邪見なり
邪見とは
善因善果
悪因悪果を 知らぬこと
因果の 理法を 知るならば
正見 すなわち そこにあり
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■Words of Awakening
Step-by-Step Teaching
When your soul awakens
Leave behind your wrong views
Wrong views arise from being unaware
That a good cause yields a good result
If you understand the law of cause and effect
You will have only right views
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「魂の目覚めの時」とは、法縁を得て修行に入る時のことです。「破す」というのは、打ち破ること、あるいは捨てることです。捨てるべきものは「邪見」です。
邪見とは、善因善果、悪因悪果を知らないことです。「善いことをすればよい結果が来て、悪いことをすれば悪い結果がくる」という、因果の理法の一番原初的な形式、道徳論の基礎を知らないことです。
これは、在家の人向けの説明です。「因果の理法を知ることが正見なのである」と言っているのです。縁起の理法と言ってもよいのですが、「原因・結果の連鎖で、すべてを見ていきなさい」と説いているのです。この原因・結果の法則があるからこそ、修行が成り立つのです。
もし決定論、運命論でものごとが決まっているのでしたら、修行しても意味がないことになります。しかし、釈尊の思想は、「あなたの蒔く種によって果実は実るのである」という思想です。これを徹底しているのです。だからこそ修行が成り立っていくのです。
この因果の理法を信じないのが邪見です。邪見については、法として、教えとしては、そうした理解ですが、さらに突っ込んで言うならば、仏陀を信じないということです。釈尊が修行によって悟りを開き仏陀となったということ、この仏陀を信じないことも、当然のことながら邪見です。それにともなって、「仏・法・僧」の三宝を否定するもの、三宝を信じないもの、これも邪見です。
要するに、正しい信仰を否定する者、それにたどり着けない者、そういう思想、ものの見方が邪見なのです。
まず仏陀を信じて、「仏・法・僧」を敬い、仏陀の説かれた因果の理法を信ずること―これが正見です。これは「正信」と言ってもよいのですが、この正信のところが成り立って、初めて「預流」(よる)という段階に入るのです。「流れに預かる」という段階です。この
預流というのは、当会の次元構造でいうと、五次元の上段階ぐらいから始まるのです。・・・
まず、最初の邪見を破して正見を得なければ、修行というのは始まらないのです。
このように、正見には、その前提として正信があります。正しい信仰が成り立ったあと、正見―正しい観察が成り立つようになります。「正しい信仰」を持ってこそ、初めて「正しい観察」が成り立つのです。初心者にとっては正信であって、修行者にとっては正しい観察のほうにいくのが、正見です。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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正見すなわち、正しい信仰をもって物事を観察すること「正信」があってこそ修行が始まるということでした。正信を得ることで、正見を得ることができる。それは同時に邪見を離れるということでした。これは、八正道の前提としても同じことが言えますので、修行の入り口としてはとても大切な論点です。物事の見方が間違えていたら、その後どのような修行をしても結論が間違えてしまいます。修行する私達にとって、つねに正見がとれているのか日頃から点検したいところです。
当会には、入会制度がありますが、入会功徳・八箇条では、第一条に『幸福の科学会員になるということは、「善人」の証明である。』とありますので、幸福の科学に入会するということは、本日学んだ仏教用語でいえば、預流(よる)の状態であり、このあたりが五次元善人界の入り口に当たります。幸福の科学に入会することは天国世界である五次元霊界に参入することを意味しています。これは伝道においては大切なポイントです。
本日の学びで大変印象的だったのが、
「まず仏陀を信じて、「仏・法・僧」を敬い、仏陀の説かれた因果の理法を信ずること―これが正見です。これは「正信」と言ってもよいのですが、この正信のところが成り立って、初めて「預流」(よる)という段階に入るのです。「流れに預かる」という段階です。この
預流というのは、当会の次元構造でいうと、五次元の上段階ぐらいから始まるのです」
ということで、「三宝に帰依」して「縁起の理法」を信じる「正信」と「正見」ができるようになると五次元上段階の悟りである預流(よる)に相当するという教えでした。
まずは、邪見を排して、正見を得ること。「施論・戒論・生天論」を知ることで、天国世界への還るための道を知ること。そして次に我見を離れて、「苦・集・滅・道」の四諦を知ることで、人生の苦しみの原因が一体何であるのかを知り、解脱することを決意すること。最後に八正道によって自らの苦しみを滅して「中道」を得て、悟りの彼岸に至る・悟りの道へ至ること。このように悟りに至る道を段階的に説いているのが『目覚めの言葉「次第説法」』です。
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「正見」はとても大事な修行課題となりますので、重ねて経典『釈迦の本心』第二章より、抜粋いたします。
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●正見
それでは、八正道の最初の項目である「正しく見る」「正しい見解」ということについて、深く考えてみましょう。これは、先入観を排除し、白紙の状態にものごとを置いて、智慧の眼で見るということでもあります。
人間の悩みは、結局、「見る」という行為を中心にして起きているように思います。もし目がなければ、罪を犯す機会がそれだけ少ないとも言えましょう。欲望というものは、たいていは目によって生じます。異性など他人の姿を見たり、金銀財宝や豪華な食事を見たりすることによってしだいに欲望がつのってくるのです。
したがって、大切なのは、目を通じて入ってくる情報を、いかにさばいていくか、ふるい分けをしていくかということです。人間の感情が波立つ原因の多くは、目を通して得られる情報にあるのです。
そこで、一日が終わるときには、呼吸を整え、心を調律し、みずからの内に深く深く入っていく必要があります。そして、「みずからが仏と一体になった」「大いなる光のパイプからエネルギーが流れ込んでくる」と感じられるようになった段階で、その日一日を生きてきた自分をまったく他人だと考え、その他人が見てきたことを、第三者の目で批判的に検討してみるのです。
この「見る」ということは、結局、「見たことをどう認識するか」ということに関わってきます。
ある人がある行為をしたとき、これに対する見方は人それぞれです。たとえば、会社のなかで、若手の社員が「こういう方針でやっていきませんか」と新しい提案をしたとします。しかし、この行為に対する認識は、人によって分かれることになります。
その人の上司が、その提案を肯定的にとらえようとすれば、「彼は大変やる気があり、進取の気性に富んでいる。非常に将来性がある」と見ることもできるでしょう。
しかし、否定的に見れば、「彼はまだ入社して間もないのに、大言壮語し、自分の分を知らずにいる。日々の事務仕事がきちんとできてこその、大きなプランであり、理想である。彼はまだまだ謙虚にならねばならん。うぬぼれがすぎる。彼にもっと自覚を促す必要がある」と感じる人もいるでしょう。
ここが見方の分かれるところなのです。
この二つの見方のうち、どちらがより真実に近い見方なのかを考えてみる必要があります。そして、前者の見方が正しいならば、自分はなぜ後者の見方をしたのか、この若手社員に対してなぜ不愉快な見方をしたのか、その根本原因をたぐっていく必要があるのです。
その結果、自分が若手社員のとき、いろいろな人に批判された反動だったり、自分自身は積極的な提言ができないタイプであることへの自己嫌悪だったりすることに気づくことがあります。そうした原因を見出したならば、それを取り除いていく必要があるのです。
正見には、ここまでの作業プロセスが入っていると考えるべきです。
もちろん、仏教的には、「苦」「集」「滅」「道」の四諦のプロセスで観察するとか、縁起の理法を通して、ものごとを「原因」「結果」の連鎖でとらえるといった専門的な解説も可能です。
【大川隆法『釈迦の本心』第二章「八正道の発見」より抜粋】
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とにもかくにも、悟りへの道、真なる幸福の科学への道のりついて、仏の教えがぎっしり詰まっていますから、この経文を共に、毎日、繰り返し読み込んで、理解を深めてまいりましょう。
正心法語の全編読誦する時の心がけとして、皆様にお願いしたいのが、経文を読む前に、皆様の魂のきょうだいを全員召喚して、魂のきょうだい全員で正心法語を読むという気概で臨んでいただきたいということです。これはいま主に捧げている「復活の祈り」でも同様です。私は魂に熏習するという言葉を使うとき、これを意識して読経しています。魂の兄弟に主の教えを伝えることも立派な伝道です。意外と、この点は私たちにとって見落としがちなので常に意識しましょう。
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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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■『心の挑戦』
第6章 中道思想の実践
1 否定すべき両極端
本章のテーマは、「中道思想の実践」ということです。中道の思想を、単に、理屈でのみ考えるのではなくて、実践性を持たせて考えたときにどのようになるか、というのが本性のテーマです。
中道というと、みなさんはすぐに、「左右の両極端を去って、そこに現われる中なる道」という定義を思いつかれるでしょう。言葉では確かに分かりやすいことです。あるいは、「左右の両脚端を去る」ということから、「両手を広げて、その掌(てのひら)を前で合わせた合掌の姿こそ、いちばん調和された中道の姿である」と象徴的に表現することもあります。
しかし、「左右の両極端を否定し去る」といっても、現実問題として、日常生活に起きる日々の修行の問題として捉えたときには、何がいったい「極端」なのか、単純にわかることではないかもしれません。
そこで、まず、「否定されるべき極端とはいったい何であるのか」ということについて、述べてみたいと思います。
結局、中道の思想がなんのためにあるのかというと、苦しみから離れて安らぎの境地に入るためにあるわけです。そうしてみると、否定すべき両極端というのは、人間に苦しみをもたらす状態のことをいうはずです。そして、その苦しみをもたらす状態は、心と肉体のあり方に関係しているはずです。
【大川隆法『心の挑戦』第6章「中道思想の実践」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」映画伝道について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に霊的真実と
主エル・カンターレの御存在を弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(5/8-1)128『目覚めの言葉「次第説法」』を読む ④正見―因果の理法を信じること―この世においてユートピアをつくる
