20 幼少時の「IQ」の高さを自慢する人に、人生の成功者はいない。
21 バカな親をも立派に見せられる人こそ、「人物」である。
【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
本日は、5月5日は、1991年5月5日、三重県鈴鹿サーキットランドで説かれました五月研修―「天使の条件」を説いていただいた聖なる日となります。主への感謝と報恩の誓いをさらに深めさせていただきます。
2025年の「五月研修」は、オーダーも開催も致しますので、ご希望の方は支部までお問い合わせください。
5 月 4日(日・祝)~5 月 6 日(火・祝)まで2025
年「ヘルメス大祭」を開催し、ヘルメス大祭版「復活の祈り」を執り行います。神秘思想と霊界思想の源流におられ、2000
年前のイエスの「復活現象」に力を与えられたご存在であられるヘルメス神のご指導のもと、主のご復活に向けて主への愛と祈りの力を結集してまいります。そして、私たち一人ひとりが、透明な風の如き天使の愛を実践し、主の愛がこの地に満ちて「愛の復活の時代」を到来させるべく、伝道の誓いを捧げる機会とさせていただきます。
5月14日は新復活祭です。2004 年 5 月14
日に、主が死の淵からご復活された奇跡に心からの感謝を捧げると共に、主が大宇宙の造物主であられることへの確信を深め、あらゆる既成の常識を打ち破り、主のご復活への確信を強めてまいります。
当日は13
時より、教祖殿に最も側近き礼拝殿である東京正心館から、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催します。そして、5/14(水)~5/18(日)まで、新復活祭を開催致します。皆様この機会にご来館ください。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
そこで、本日から経典『信仰のすすめ』の第四章に所収されています「愛は風の如く―Love Blows Like the
Wind」より、ヘルメスの愛について学びます。本御法話は主の新復活の直前となる2004年の4月29日に説かれています。
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■愛は風の如く―Love Blows Like the Wind
3この世とあの世の両方に責任を持った存在
○「透明な風」のような愛
ここまで述べてきたことでも分かるでしょうが、「霊的な思想」と「この世における発展・繁栄の思想」の両立、調和ということが、大きな目標となるわけです。
確かに、霊的で、愛に生きた人は、この世的には、不器用で、失敗することが多いように思います。
一方、この世において経済的に繁栄して成功する人は、どちらかといえば、霊的な感覚を忘れ、愛を忘れ、我欲、自己保存欲のままに生きていることが多いようにも見えます。
そういう意味で、自我我欲というか、自己拡張欲の強い人ほど、この世においては成功しやすく見えるきらいがあります。多くの人の目にも、そう見えていることでしょう。
要するに、「この世的な人間ほど、この世において成功しやすい」ということです。「この世において、大金持ちになりたい」「この世において、出世したい。高い地位を得たい」「この世において、権力をもって人々を支配したい」という思いを強く持っている人が、この世において成功しているように見えます。
それに対して、宗教的な人は、「この世における成功は諦(あきら)めて、来世の幸福に望みをつなぐ」ということが多いのではないでしょうか。その意味で、「あの世的である」ということは、この世への諦めをも含んでいると言えるかもしれません。
ヘルメスは、「霊的であることと、この世的に成功することの両立」という難しいテーマに、あえて挑んだ人なのです。
○「透明な風」とは愛を表す言葉
ヘルメスに、この二つのテーマを両立させたものは何でしょうか。それは、ヘルメスの思想の根本になるものであり、本章の章題でもある「愛は風の如く」という言葉で象徴されるものなのです。
ヘルメスの思想によれば、「愛というものは、あの透明な風のようなものである。風は、どこからともなく吹いてきて、吹き過ぎていく。透明で、その姿を見ることはできない。しかしながら、風は、吹いているからこそ風なのであって、吹くことを止めれば、風ではなくなる」ということです。
この思想のなかに、実は、重大な鍵が隠されています。「透明な風」という言葉で表現されている思想とは、いったい何でしょうか。この言葉は、「愛」を表す言葉として使われているのです。
いま、アメリカやヨーロッパでは、「愛」という言葉を考える際に、「愛というものは、明らかに相手に分かるように表現しなければならない。そうでなければ、相手は納得しない」と考える面があるようです。
彼らは、夫婦の愛においても、「いかに相手を愛しているかを、かたちで表現しなければ、その愛は本物ではない」と思っています。そして、「プレゼントをする」「一緒に食事をする」「『私はあなたを愛しているよ』と言葉で何度も言う」などという方法によって愛を確認しています。口に出して言わないと分からないし、あるいは、言葉だけで分からなければ、「抱き合う」「キスをする」など、とにかく目に見えるかたちで表見しないかぎり、愛について理解も納得もしません。それで、「あなたが、ほんとうに私を愛しているとは、信じられない」と言ったりします。おそらく、そのようなかたちになっていることが多いでしょう。
しかし、それは目に見える愛です。「誰が誰を愛しているか」ということが目に見えて分かり、他の人にも確認できる愛です。
たとえば、夫が妻を愛していることを証明するために、指輪やネックレスなどのプレゼントを渡したり、ホテルで一緒に豪華な食事をしたりします。あるいは、父親が息子を愛していることを証明するために、休日には、一緒に野球をしたり、息子が野球をしているところを必ず見に行ったりします。そういうスタイルで、「愛している」ということを具体的に表現するのです。
このようにして、目に見える形にしないかぎり、愛しているとは言えないと考えるのです。そのため、目に見える愛情表現が少なくなってくると、すぐ夫婦の離婚になったりすることが多いわけです。
これは残念なことであり、霊感がほとんどないと言わざるをえない状況です。
【大川隆法『信仰のすすめ』第4章「愛は風の如く―Love Blows Like the Wind」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第四の経文である『目覚めの言葉「次第説法」』についてです。
『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を読誦して、自分が、「無我」や「空」の教えを通して霊存在であることを自覚した後に、私たちが読む経文が『目覚めの言葉「次第説法」』です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、どのようにしたら私たちが、苦しみの世界から、「悟りの彼岸」に渡り、「解脱の道」へと進むことができるのかを次第、次第に知ることができます。私たちの人生の問題集の解決の鍵が『目覚めの言葉「次第説法」』に埋蔵されています。この鍵を共に見つけてまいりましょう。
この次第説法の内容は、2600年前のお釈迦様の十八番(おはこ)のご説法であったと伝え聴いています。このお経は、お釈迦様が、在家の方々へ伝道する時にされた説法だったのです。このお経の内容を伝道の道しるべとして、まず自らに熏習しながら、他人(ひと)にお伝えしてまいりましょう。
それでは『目覚めの言葉「次第説法」』を紹介する前に、事前解説を経典『仏陀の証明』より抜粋いたします。
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■『仏陀の証明』
〇在家者に対する導き―次第説法
教えがぎっしり詰まっている長い経文ですから、論点も多く、解説も長くなりまずか、これがわかれば、だいたい説法の基礎がわかると思ってよいと思います。これは「在家の人たちを、どのように教え導くか、教導すべきか」というものであり、釈尊が弟子たちに対して実際に話をしていた内容なのです。程度としては、出家向けではなく在家向けであり、低いところから入って、だんだんに上げていくという、段階をとった説法です。これを「次第説法」と呼んでいます。
次第説法では、まず最初に、正しい信仰である正見のあり方を説きます。そのあと、「善いことをすれば、良い結果が来る」という因果の理法を説きます。
そして、布施の教えである施論を説きます。施論を守ると、次に「五戒を守りなさい」と戒論を説きます。戒論を守ると、次は生天論です。
生天とは「天に生まれる」ということです。生まれるというと、現代の日本人は、この世に生まれることだけを考えますが、当時のインドの思想では、この世に生まれることだけではなく、あの世に生まれることも、「生まれる」と言っていたのです。「天に生まれる」「地獄に生まれる」「六道(りくどう)に生まれる」などと言っていました。
こうした、「布施を行い、戒律を守ると、天に生まれることができる。そして、天界の幸福生活が定まるのだ」という教えを、「施論(せろん)・戒論(かいろん)・生天論(しょうてんろん)」といいます。
そして、それができると、次は四諦の道を教えるのです。「この『施論・戒論・生天論』が理解できると、次は四諦です。四諦とは何かというと、「苦(く)・集(じゅう)・滅(めつ)・道(どう)」の教えです」ということです。「あなたがいま苦しんでいるのは、その原因があるからです。その結果、苦しんでいるのです。それを滅するためには、道を行ずることです。道とは中道であり、中道とは八正道です」という説明をして、「苦・集・滅・道」の教えを説くのです。
ここまでいくと中程度の教えになります。当会で言えば中級くらいでしょうか。「施論・戒論・生天論」が初級とすれば、この「苦・集・滅・道」の教えが中級ぐらいにあたります。
そして、さらに話ができるなら、「次は八正道です」となります。「道(どう)」とは八正道であり、「正見(しょうけん)・正思(しょうし)・正語(しょうご)・正業(しょうごう)・正命(しょうみょう)・正精進(しょうしょうじん)・正念(しょうねん)・正定(しょうじょう)」という八つについて教えるのです。ただ、在家の人では、かなり勉強が進んだ方でないと、ここまではいかないでしょう。
このように、まず正しい信仰から入っていき、「施論・戒論・生天論」という、段階を追った話をし、次に四諦の話をして、八正道にもっていく―これが釈尊の次第説法のスタイルです。釈尊の弟子たちは、原則として、このスタイルをとって全国に伝道をしていたのです。「在家の方は、ここまでわかればけっこうです」ということです。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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〇三界と六道輪廻について
「三界」とは「欲界」「色界」「無色界」のことです。「欲界」は、人間的な欲を中心にぐるぐると輪廻している世界です。「色界」は、人間的な欲を少し離れた、多少精神的な世界です。「無色界」は、人間的属性を離れた、本当の意味での光の世界です。
「欲界」に生きる人間は、まだまだ地上的な生活に恋い焦がれています。その上の「無色界」は、当会の用語でいえば、六次元の上段階(※阿羅漢)ぐらいから七次元(※菩薩界)までのことであり、精神的なものの大切さをよく知った方の住む世界です。さらには、梵天、如来といての自覚を持った八次元以上の方の住む「無色界」があります。来世はそうした三界に大きくわかれますが、とくに欲界―「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」という「六道(ろくどう)」の世界を流転して、そしてまた生まれ変わってくるという考え方があります。
【大川隆法『悟りの挑戦』第六章「業と輪廻」p211】
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本日から共に学ぶ『目覚めの言葉「次第説法」』は『仏説・正心法語』の七つの経文のうち、四番目の中央に位置するお経です。在家の方や、これから伝道する方に対する養成・育成論となり、信仰を継承する観点から考えると最重要な経文となります。仏弟子や、支部の宗教的リーダーを育成するうえでは、この経文に則って指導することが基本中の基本となります。
幸福の科学では、資格セミナーとして「初級」「中級」「上級」がありますが、これも仏弟子の養成システムです。資格をお持ちでない方は、是非この機会に教学のレベルアップを図ってください。教学の深まりに応じて、「法力」がうまれ、隣人を救い助けるための「救済力」となります。
本日の引用箇所では、仏陀の段階的な教えを資格セミナーに当てはめるとこのようになりました。
初級―「施論・戒論・生天論」【原因と結果の法則を学ぶ・愛を与えて(因)、戒を持ち心の修行して心をきれいにして(縁)、天国に還る(果)という仏法真理の基礎を学ぶ】
中級―「苦・集・滅・道」【四諦】を学ぶ。【この世的な生存は苦しみであることを理解し(苦)、原因を探求し(集)、不幸の原因をなくすために(滅)、八正道(道)を学ぶことで、自分の人生の問題集に答えを出す】
上級―「正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定」【八正道】を実践する。【八正道を自分に人生に応用して、隣人の幸福を分け与えるために、人助けのプロになる(菩薩になる)。】
まずは、「施論・戒論・生天論」を知ることで、天国世界への還るための道を知ること。次に「苦・集・滅・道」の四諦を知ることで、人生の苦しみの原因が一体何であるのかを知り、解脱することを決意すること。その次に八正道によって自らの苦しみを滅して「中道」を得て、悟りの彼岸に至る・悟りの道への誘いが『目覚めの言葉「次第説法」』です。仏の教えがぎっしり詰まっていますから、共に、毎日、繰り返し読み込んで、理解を深めてまいりましょう。
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『目覚めの言葉「次第説法」』は悟りに到る道が、簡潔に示されていると共に、仏の教えがぎっしり詰まっていますから、共に、毎日、繰り返し読み込んで、理解を深めてまいりましょう。
正心法語の全編読誦する時の心がけとして、皆様にお願いしたいのが、経文を読む前に、皆様の魂のきょうだいを全員召喚して、魂のきょうだい全員で正心法語を読むという気概で臨んでいただきたいということです。私は魂に熏習するという言葉を使うとき、これを意識して読経しております。魂の兄弟に主の教えを伝えることも立派な伝道です。意外と、この点は私たちにとって見落としがちなので常に意識しましょう。
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最後に、私たちが日々取り組んでいるユートピア活動の原点に立ち返り、幸福の科学がどのようなユートピアを目指しているのかを改めて確認する機会とさせていただきます。ここからは1991年5月5日、三重県鈴鹿サーキットランドで説かれました五月研修―「天使の条件」について、その教えを再確認させていただきます。私たち仏弟子の使命は、私たちが、天使や菩薩となって、この地上を仏国土ユートピアにすることです。
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■『天使の条件』
2地獄的なものを遠ざける
〇天使の条件―④弾力に富む心を持つ
転落しないためには、柔らかい心を持っていることが大切です。柔らかい心を持っていれば失敗はありません。ただ、弱くてはだめです。柔くても弾力に富んだ心が必要なのです。
以前、子供のおもちゃに、「スーパーボール」というゴムボールがありました。そのボールは柔らかいけれども弾力に富み、力いっぱい投げると衝撃力もあります。そして壁や床にぶつかっても、壊れずに跳ね返ってきます。このように、弾力に富み、柔らかいけれども強い心を持たなければいけません。
したがって、プライドのところに引っかかって苦しみはじめたならば、「自分の心は少し硬くなっているのではないか」と考えてみてください。瀬戸物のような硬い心になってはいないでしょうか。瀬戸物は壁に投げつけられると、粉々に割れてしまいます。
しかし、柔らかくて弾力のあるゴムボールのようなものであれば、壁に思い切り投げても跳ね返ってきます。いったんはひずみますが、跳ね返って必ずもとどおりになります。こうした心は持っていれば転落はしません。
考えてみれば、人間の一生は修行の連続なのですから、たとえどのような場面が現れてこようとも、「新しい修行課題が与えられたのだ。自分にとって新しい修行の局面が訪れたのだ」と思っていれば、人生は楽しいことばかりなのです。
たとえ、勤めていた会社が急発展して、あとから中途入社した人たちが、先に出世していくようなことがあったとしても、人生修行の観点からは、なんら落胆には及びません。
辛抱づよく、「一兵卒として、ボール拾いをしたい」というような気持ちを持っていれば、また出番が回ってくることもあるのです。
したがって、どうか固い心を持たずに、柔らかく弾力に富む心を持ってください。簡単なことですが、これは地獄霊にならないための条件なのです。
瀬戸物のような心を持っていれば、やがてはバリンと割れて地獄行です。一方、柔らかい心を持っていれば、地獄に行かずにすみます。それだけのことです。
しかし、自分が窮地に追い込まれると、心がどんどん固くなり、狭くなっていく人が多いのです。そうしたときには、どうか柔らかい心を持っていただきたいのです。
プライド自体は大切なものですが、そのプライドを瀬戸物のような硬いものにするのではなく、弾力性のあるものに変えてください。どのような壁があっても避けたりせず、壁にぶつかっても必ず跳ね返って、本来の自分を取り戻すことが、大切です。
そうしたゴムボールのようなプライドを持っていれば、どこまで向上していくことが可能なのです。
⑤優れたものを学ぶ
幸福の科学においては、自分より優れた人が自分のあとから入ってくることもたくさんあります。ところが、固い心を持っていると、すぐれた人が後から入ってきても、その人から学ぶことができません。「自分のほうが修行は進んでいるのだ」と思っていると、相手から絶対に学べないのです。
その結果、心のなかで目に見えない一つの戦いが起こります。あとから来た優れた人を認めないか、それとも自分が意気消沈してしまうか―このどちらかになり、結局、両方とも不幸になってしまいます。
そうではなく、「先輩からも後輩からも、すぐれたものを学んでいこう」という気持ちが大事なのです。
また、年齢に関係なく、それぞれの魂の霊格は異なるので、「どのようなところに、どのような優れた人がいるかわからない。優れた人が出てきたならば、その人から学ぼう」という気持ちを忘れないでいただきたいのです。
幸福の科学に集まっている仏弟子たちのレベルはかなり高く、大勢が僅差で並んでいます。二千数百年前の釈尊の時代に一生懸命修業をした人たちが、それ後、それぞれ何回か生まれ変わって、さらに腕を磨いていたのです。
ある人は心を浄化し、ある人は知力を鍛え、さまざまなことをしながら魂を鍛えて、二千数百年ぶりに、「さあ、腕くらべだ」「今度こそは」と思い、集ってきているのですから、かなり高度な切磋琢磨が展開されていると考えたほうがいいのです。
以上、「地獄的なものを遠ざける」ということについて述べてきましたが、そのためには、他人を責める傾向と悪しきプライドの二点に、特に気をつけていただきたいと思います。
【大川隆法『ユートピア創造論』第3章「天使の条件」より抜粋】
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本日も経典『ユートピア創造論』の第3章「天使の条件」となります。
天使・菩薩になる条件としてまず第一に挙げらるのが、「心のなかに巣くう地獄とつながる思いを取り除くこと」です。
少しまとめると、心のなかの地獄をつくる思いとは、
①人を責める思い(他を批判し、罰し、恨み呪う気持ち)
②粘着型の思い(同じことを繰り返し考えてしまう。しつこい性格)
③悪しきプライド(自我の塊になって、嫉妬深く他を祝福できなくなった間違えた自尊心)
④瀬戸物のように壊れやすい心(弾力性をうしなって、すぐに復元できない心)
⑤精進を忘れて、他人から学ぶことができないこと
以上のヒントを頂きました。
本日の論点はそのうち「弾力に富む心を持つ」ことの大切さと、「優れたものを学ぶ」ことの二点を学びました。
地獄に堕ちる人は、考え方に柔軟性がなく、自分の心が汚れているのを、他人や環境のせいにして、自分に悪いところがあるとは全く考えません。自我が極めて強く、ほかに様々な視点があることを見失っているのが特徴です。心をスーパーボールのように柔軟性と共に弾力性のあるものにしたならば、人生に失敗がないことを教えていただきました。これは言うは易く行うは難いところがりますが、常に意識して粘り強く自分の心を観察していく必要があります。
また、「優れたものを学ぶ」という点についても、地獄に堕ちる人は、努力精進という言葉と程遠い心を持っています。また、実力が伴わないプライドを持っているので、自分の力不足を認めることができず、他人をくさしたりします。謙虚に努力精進をつづけ、実力相応のプライドを持つことが必要です。これも修行者としては常に気をつけなければならない点ではないかと思います。慢心は修行者の大敵です。つねに謙虚で主に対して従順な態度を維持しましょう。精進の道は無限の道ですから。
まず魂のなかに存在する天国的なものに反する思いを取り除くことが大切であることを教えていただきました。これは四正道のなかの反省の法門、「八正道」にも大きく関わりのある教えです。本物の天使・菩薩となるためにしっかり学んでまいりましょう。また、箴言集の「地獄に堕ちないための言葉」に今回のテーマに関連した重要な教えが詰まっていますので、ぜひ参考にしてみましょう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」映画伝道について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に霊的真実と
主エル・カンターレの御存在を弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
■□■
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(5/5-1)125【1991年5月5日鈴鹿御巡錫記念日『天使の条件』】『目覚めの言葉「次第説法」』を読む ①次第説法は在家に対する導き―「透明な風」のような愛
