(5/15-1)135『目覚めの言葉「次第説法」』を読む ⑪四諦―滅諦―実際は、医師が「これで生きているはずがない」と驚く状況だった」

「目覚めの言葉『次第説法』を読む」

7 着実に近づいてくる「死」について考えてみよう。
8 もう今となっては、謝ることのできない人に対して、心の中で謝ってみよう。

【大川隆法 箴言集『病の時に読む言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

昨日5月14日は新復活記念日でした。2004 年 5 月14 
日に、主が死の淵からご復活された奇跡に心からの感謝を捧げると共に、主が大宇宙の造物主であられることへの確信を深め、あらゆる既成の常識を打ち破り、主のご復活への確信を強めてまいります。

5/14(火)~5/19(日)まで、連日、「新復活祭」を開催致します。皆様この機会にご来館ください。『新復活祈願』のご奉納は本来5万円目安ですが、この特別期間(奉納目安:3 
万円、学生 1 万円)で祈願が可能です。主とともに私たち自身も新復活をなしとげましょう。

新復活祭では、全智全能なる造物主としての主エル・カンターレの御力を信じ切り、全仏弟子の純粋な信仰心を結集し、奇跡の神オフェアリス神の「信仰、復活、再生、奇跡」の御光と、始原の神アルファの異次元パワーと一体となることを目指し、新復活祭版「復活の祈り」を執り行います。

この聖なる日に、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

ここからは、経典『新復活』―医学の「常識」を超えた奇蹟の力―の第一章に所収されています「新復活」を振り返り、主の「第三の死」について振り返ります。奇蹟の復活の物語です。お持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1600円】
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■新復活
3医学的にはすでに「死んでいたはず」
○実際は、医師が「これで生きているはずがない」と驚く状況だった」

ともあれ、いろいろな検査の結果、医師は、「普通、これで生きているはずがない」という診断を下したのですが、やはり、私は、言っていることの意味が分かりませんでした。

なぜなら、前日まで、その体でやっていたからです。確かに、心臓をカラスの足でつかまれるような感じがあったのは事実です。しかし、『正心法語』のCDをかけたら、それは治りました。したがって、それで治ったと思ったのです。

そういう意味で、こちらは、「心臓の不調なのか、霊的なものなのか」がよく分からなかったわけです。というのも、当時、短い間ですが理事長をやった人が、カラス天狗の化身のような人で、人事異動のときに、その人との(霊的な)戦いがあったからです。

そのため、こちらも、そうした「霊的なもの」と「医学的なもの」との区別がよくつかめなくて困ったのですが、医者のほうは、「カラスの爪でつかまれたような感じというのは、間違いなく心筋梗塞の症状だ。前の日の朝、庭を歩いていたときに、あなたは死んでいるはずだ」と言うのです。

もっとも、そのような仮定法は、あまり理解できないものだとは思います。それでも医者は、「心筋梗塞が起きて、翌日に生きているはずがない」と言うのです。

しかし、私は、そのあと、昼ご飯も自分で食堂に歩いて行って食べているので、そう言われても意味不明なのですが、「医学的には、そこで倒れて死んでいるはずだ」と言うわけです。

ただ、映画「世界から希望が消えたなら。」では、ある程度、観る人が納得できるレベルで描いているため、事実そのままに描けてはいません。

○「心筋梗塞、心不全、肺水腫、無痛性狭心症…」
いずれにせよ、それで私は入院したわけですが、「本当に調子が悪いのかな」と思ったのは、そのあと、車椅子に乗せてもらい、自分で車いす用のトイレに行って用を足そうとしたときでした。

そのときに、多少、普通とちがう感じがあったのかな」と思ったのが、その日の感じだったと思います。

ただ、映画にも出てくると思いますが、家族には、その日の夕方の段階で、(医者から)「もう終わっています。夜は越せないでしょう」ということを言われているような状態だったのです。

医者のほうも悩乱していて、もう、いろいろなことを言っていました。私も、「心筋梗塞」ぐらいは分かるものの、初めて聞くような病名が多かったので、よく分からなかったのですが、「心不全」に「肺水腫」と言われました。心臓が十分に動いていないのは「心不全」で、「肺が水でいっぱいになった」というのは肺水腫なのでしょう。

そのほかには、「狭心症」もあとで付け加えられたのですが、医学というのは便利なもので、「無痛性狭心症」などという名前を付けられました。「痛くなかった」と私が言い張るものですから、「無痛性狭心症」になったのでしょうが、「そんな病気があっていいんですか」という感じもします。

その意味では、「無痛性心筋梗塞」もあるのかもしれませんが、私は、「無痛性狭心症」ということになっているらしいのです。ただ、向こうも、首をひねってはいました。

たぶん、客観的なデータとしては、それに近い状態だったのだろうとは思います。おそらく、その症状は、もう何年も前からあって、その状態で仕事をしていたのだろうとは思うのです。

もし、普通の人が私のような講演会などをやっていたら、もう、何回死んでもおかしくなかったのかもしれません。そのような状態だったにもかかわらず、私はそうはなっていなかったということです。

【大川隆法『新復活』第1章「新復活」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第四の経文である『目覚めの言葉「次第説法」』についてです。

『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を読誦して、自分が、「無我」や「空」の教えを通して霊存在であることを自覚した後に、私たちが読む経文が『目覚めの言葉「次第説法」』です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、どのようにしたら私たちが、苦しみの世界から、「悟りの彼岸」に渡り、「解脱の道」へと進むことができるのかを次第、次第に知ることができます。私たちの人生の問題集の解決の鍵が『目覚めの言葉「次第説法」』に埋蔵されています。この鍵を共に見つけてまいりましょう。

この次第説法の内容は、2600年前のお釈迦様の十八番(おはこ)のご説法であったと伝え聴いています。このお経に説かれているのは、「施論」―与える愛の実践・「戒論」―正しき心の探求として、悟りを得るための心の修行をするための正しい生活習慣・「生天論」―来世に地獄に行くことなく、天国世界での幸福の生活への誘い―です。

お釈迦様が、在家の方々の「施論」「戒論」「生天論」を成就するために、正しい信仰【正信】としての「正見」と、「苦・集・滅・道」の四諦と八正道への道のりを論理的に指し示されています。この世とあの世の幸福を一致させるための説法でした。このお経の内容を伝道の道しるべとして、まず自らに熏習しながら、他人(ひと)にお伝えしてまいりましょう。

それでは『智慧の言葉「仏陀の悟り」』はこのように続きます。
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さすれば
『滅』とは 欲望の    【滅諦】
醒めし心の 涼しさなり
天上界に いた頃の
執われのない 心なり

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If you extinguish your desire
You will feel refreshed
You can restore your mind
To the carefree state you once had in heaven

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「滅」は、仏教修行をしている人の目標なのです。悟りの境地を得ること、解脱すること―これを「滅諦」と呼んでいます。この教えのなかには、言葉では説明できないほどの多くのものが入ってきますが、結論的にいえば、霊的な世界の価値観に基づいて、この世で生きることです。この世で生きながら、肉体人間としての自覚ではなくて、実相人間の自覚で、生ききること、考え、行動することです。その自由自在の境地が、この「滅」の状態なのです。

そうなるためには、やはり、忙しく働いているだけではなかなか無理であって、定に入る必要があります。精神統一をして、自己を振り返る機会を持たないと、「滅」の状態というのは、なかなか味わえないのです。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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このように「滅」とは、仏教修行をしている人の目標ということでした。また、大乗経典では、この滅諦は法身であるとも言われています。この滅諦に到るための心の力とは、幸福の科学の四正道の「反省」にあたるものです。とても重要なので、さらに、主の御教えからさらに抜粋いたします。
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●八正道によって苦を滅する
次に「滅」です。その苦しみを滅したらどうなるかを考える、あるいは苦しみを滅しよう、消そうと思う、この思いです。

たとえば、病気が治ったらどうなるかというようなことを考えるわけです。健康になったらどうなるか、経済状態がよくなったらどうなるか、出世したらどうなるか、いろいろありましょう。

あるいは、家族と仲良くなったらどうなるか。「今は妻と喧嘩状態、交戦状態だけれども、これが円満になった時の状態を想像してみるのです。そして、「ああ、やはり、夫婦が調和して仲が良かったな。やはりあの状態に戻さなければいけないな」と考えます。これは「滅」です。滅を願うことです。

では、「滅」の状態に入るためには、要するにその病気を治してしまうためにはどうするか、その方法があるだろう―これが「道」です。これは道しるべ、進むべき方法です。この「道」というのが有名な「八正道」です。・・・(中略)【「正見」「正思」「正語」「正業」「正思命」「正精進」「正念」「正定」の説明が続く】

●限りなき完成への道
「苦・集・滅・道」のことを「四諦」といい、そして最後の「道」が八正道のことです。これを「四諦・八正道」というのです。

これが、初転法輪のときに釈迦が説いた最初の教えなのです。これが最初の悟り、出発点ですが、最初だからといって重要性が低いわけでは決してありません。みなさんにとって、今でも重要性を帯びた考え方だと思います。

もう一度復習しましょう。菩提樹下で悟って、初転法輪、初めて法輪を転じたときに、釈迦が語ったことは何だったのでしょうか。

修業においては、
中道―極端を離れる、両極端を否定する、
そういう中道的な態度が大事だ。
そして、その思想の内容としては、
苦・集・滅・道の四諦である。
人生の苦、迷いの生存、迷った人生、
間違った人生観に基づくこの世の苦しみということを、
まず見抜かなければいけない。
そして、その原因を知らなければいけない。
さらに、『それを滅しよう、消し去ろう。
そして幸福になろう』と願わなければいけない。
そのために八正道があるのだ。
八つの目標、目印があるのだ。
そういう方法があるのだ。
これを毎日行じていくことだ。
さすれば、その道は自分を整える道であろう。
すなわち、八正道はまた中道でもあろう。
中道のなかに入って自己を発展させていく道であろう。
それが八正道の道であろう。

そういうことです。限りなき完成への道を、まず最初に説いたのです。そして、それはまた終わりなき道でもあったと思います。これが「四諦・八正道」ということです。

本章は初転法輪に関しての大切な話ですから、どうか心の中に留めておいてください。

【大川隆法 『悟りの挑戦』(上巻)第一章「仏教的精神とは何か」より抜粋】
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幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。本日の引用箇所では、「悟りを得て、解脱をして苦しみから訣別する段階―滅諦」を学びました。

「滅諦」とは、あらゆる苦しみを悟りの力によって吹き消した状態のことです。ニルヴァーナ【ニッバーナ】とは、涅槃のことであり、解脱した状態のことです。「四諦・八正道」をとおして、人は生きながらにして、肉体をまといながら、心は天国世界に遊ぶことができるようになります。「滅諦」は、すべての修行者が目指すべき境地です。私たちの「正しき心の探究」の末に得るべき境地がこの「滅諦」となります。

このように、人生の苦しみ【苦諦】が、自らに与えられた人生の問題集であることに気がつき【集諦】、その苦しみを滅していく【滅諦】悟りの道のりが示されました。それではどうしたら人は、人生の苦しみである四苦・八苦から逃れることができるのでしょうか。それが【道諦】となる、具体的な修行方法になります。

まずは、邪見を排して、正見を得ること。「施論・戒論・生天論」を知ることで、天国世界への還るための道を知ること。そして次に我見を離れて、「苦・集・滅・道」の四諦を知ることで、人生の苦しみの原因が一体何であるのかを知り、解脱することを決意すること。最後に八正道によって自らの苦しみを滅して「中道」を得て、悟りの彼岸に至る・悟りの道へ至ること。このように悟りに至る道を段階的に説いているのが『目覚めの言葉「次第説法」』です。

『目覚めの言葉「次第説法」』に悟りへの道、真なる幸福の科学への道のりついて、仏の教えがぎっしり詰まっていますから、この経文を共に、毎日、繰り返し読み込んで、理解を深めてまいりましょう。

正心法語の全編読誦する時の心がけとして、皆様にお願いしたいのが、経文を読む前に、皆様の魂のきょうだいを全員召喚して、魂のきょうだい全員で正心法語を読むという気概で臨んでいただきたいということです。これはいま主に捧げている「復活の祈り」でも同様です。私は魂に熏習するという言葉を使うとき、これを意識して読経しています。魂の兄弟に主の教えを伝えることも立派な伝道です。意外と、この点は私たちにとって見落としがちなので常に意識しましょう。

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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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■『心の挑戦』
第7章 悟りと霊能力
②  真実の世界の善悪を知る

しかし、質的な世界、あの世の世界があるということのみでもって、悟りを得ると言えるかといえば、そうではありません。霊的体験をするにつれて、厳然たる事実というものが目の前に現われてきます。

それは何であるかといえば、仕事の世界において天国と地獄というものがあること、また、それに対応して、霊的存在においても善霊・悪霊、あるいは天国霊・地獄霊といわれものがあることを現実に知るということです。これは大きな驚きであり、また考えようによってはショックでもあります。

霊的存在と接触してみると、この世的な価値観とまったく違った分けられ方によって、天国・地獄が分かれている、善霊・悪霊なるものが分かれている、ということを知ります。「この世の人はこれほどまでに真実を知らないのか」と驚いてしまいます。この世的価値観で追い求めていって、とどのつまり地獄に堕ちて悪霊になってしまうという、その真相を知ったならば、多くの人は「それは大変なことである」ということに気づくことでしょう。

生きていたときには、社会的地位があった。財力もあった。肩書もあった。また、「インテリだ」といわれるような学力もあった。にもかかわらず、地獄に行き悪霊となり、その苦しさから逃れ出て、生きている人に憑依して、その人をさらに狂わせようとしているような姿を見たときに、「これがほんとうに人間の姿なのか。あれほど紳士然(しんしぜん)としていた生前の容貌は、いったいどこに行ったのだろうか」と啞然(あぜん)とすることがあります。

その一方、地上で生きていたときには、もうひとつ恵まれなかったり、その実りが多くはなかったとしても、心を磨きながら、美しく一生懸命に努力して生きていた人たちが、その結果、来世においては、素晴らしく解放された豊かな喜びを得て、自由自在になっている姿を見て、「現実には、なんという幸福があるのだろう」ということを知ります。

ですから、霊的世界との遭遇をすることによって、第二段階では、「善なるもの、悪なるものとは何か」ということが、わかることになります。この霊的な体験がなければ、あるいは天国・地獄という冷厳なる世界を知らなければ、真実の善悪とは何かということを理解するのは難しいことだと思います。

その善悪を理解することによって、善霊・悪霊、天国・地獄というものかはっきりとわかります。それがわかることによって、今、自分自身の心のあり方はどうであるか、それが天国であるのか地獄であるのか、あるいは、自分が死ねばどこに行くのか、ということがわかってきます。これはこれで非常に大きな悟りであるとおもいます。

永遠の生命があるということ、そして、あの世の世界があることを知るということは悟りの第一歩ですが、次には、そうした善悪の世界というものは霊的世界において厳然としてあり、その善悪が裁かれる根拠は、今世の生き方、思いと行いにあると知るということが、偉大なる悟りの第二歩であると思います。

【大川隆法『心の挑戦』第7章「悟りと霊能力」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」映画伝道について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に霊的真実と
主エル・カンターレの御存在を弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

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