(5/17-1)137『目覚めの言葉「次第説法」』を読む ⑬苦を滅する八正道―「『脳死』は人の死ではない」という立場から拒否した臓器移植

「目覚めの言葉『次第説法』を読む」

13 自分が、この世に生命を持った時のことを、瞑想的に思い起こしてみよう。
14 星空のことに思いを巡らせてみよう。

【大川隆法 箴言集『病の時に読む言葉』より抜粋】

おはようございます。
本日5月17日七の日です。皆様誠におめでとうございます。
この聖なる日に、支部に相集い、主への感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきます。
『精舎霊域護持植福』など各種植福を本日承っています。
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「七」は勝利の日 「七」は目覚めの日 「七はあなたの生誕の日」
私たちは 主エル・カンターレ御降臨という奇跡の時代に 仏弟子として 主と共に歩ませていただけますことを 心より感謝いたします

そして 主への報恩として 
日本に 全世界に エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります

私たちは これからも 仏弟子の使命である 伝道に邁進し必ずや 「七の月」の「七の日」を主の勝利の記念日とすることを お誓いいたします
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風薫る五月となりました。五月研修がただいま支部で開催されています。
オーダーも開催も致しますので、ご希望の方は支部までお問い合わせください。

5月14日は新復活祭でした。2004 年 5 月14 日に、主が死の淵からご復活された奇跡に心からの感謝を捧げると共に、主が大宇宙の造物主であられることへの確信を深め、あらゆる既成の常識を打ち破り、主のご復活への確信を強めてまいります。

5/14(火)~5/19(日)まで、新復活祭感謝期間として、連日13時より「新復活祭」を開催致します。2004 年 5 月14 
日に、主が死の淵からご復活された奇跡に心からの感謝を捧げると共に、主が大宇宙の造物主であられることへの確信を深め、あらゆる既成の常識を打ち破り、主のご復活への確信を強めてまいります。

新復活祭では、全智全能なる造物主としての主エル・カンターレの御力を信じ切り、全仏弟子の純粋な信仰心を結集し、奇跡の神オフェアリス神の「信仰、復活、再生、奇跡」の御光と、始原の神アルファの異次元パワーと一体となることを目指し、新復活祭版「復活の祈り」を執り行います。

新復活祭に合わせて発刊予定の会内経典『霊言説法「信仰薄き者たちへ」』からの学びを通して、信仰心と悟りを向上させ、ご復活された主をお支えさせていただける「本物の信仰者」へと生まれ変わる、新生の誓いを捧げます。

この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

ここからは、経典『新復活』―医学の「常識」を超えた奇蹟の力―の第一章に所収されています「新復活」を振り返り、主の「第三の死」について振り返ります。奇蹟の復活の物語です。お持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1600円】
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■新復活
○「『脳死』は人の死ではない」という立場から拒否した臓器移植
あるいは、「もう、そんなに、持つわけはないんだけれども、やるとしたら心臓移植しかない」とまで言われました。

ちょうど、そのころ、心臓移植のための募金を募っている子供がいたと思います。「アメリカで心臓移植するのに九千万円かかる」ということで募金を集めていたのですが、間に合わなくて亡くなった子供の話が出ていたような気がするのです。

なお、臓器移植については、そのころ、すでに、「(臓器移植を前提とする場合に限り)『脳死』を人の死と判定する」という法律が国会で通っていました。「脳死」というのは人工的な死ですが、「医者が『脳死』と判定したら、死んだことになり、臓器を取って移してよい」ということになっていたのです。

要するに「臓器は新鮮なほど良いので、できるだけ、死の時期を早めた上で取って移したほうが、助かる可能性が高い、もう、どうせ死ぬのだから」ということです。そのため、「脳波が止まっている」とか、いろいろな条件によって、心臓は動いているのにもかかわらず、「脳がほとんど動いていない」という理由で「脳死」と判定する「臓器移植法案」が通ったあとだったのです。(一九九七年施行※改正法二〇一〇年施行)

それに対して、幸福の科学は宗教として、「まだ、その時点では死んでいません。心臓が動いているのに、魂が抜けているわけがないでしょう」と言って反対していたわけです。

したがって、医者が「診断はいろいろありまずか、心臓を映したら大きいので、拡張型心筋症でしょう。これはもう、臓器移植以外に助かる道がありません」というようにも言ったと思いますが、「いや、それについては、当会は反対しています。ですから、臓器移植ということで何かしていただいたら、ますます困ります」というように述べたのを覚えています。

【大川隆法『新復活』より抜粋】
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本日も、主への感謝と精進の誓いとともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第四の経文である『目覚めの言葉「次第説法」』についてです。

『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を読誦して、自分が、「無我」や「空」の教えを通して霊存在であることを自覚した後に、私たちが読む経文が『目覚めの言葉「次第説法」』です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、どのようにしたら私たちが、苦しみの世界から、「悟りの彼岸」に渡り、「解脱の道」へと進むことができるのかを次第、次第に知ることができます。私たちの人生の問題集の解決の鍵が『目覚めの言葉「次第説法」』に埋蔵されています。この鍵を共に見つけてまいりましょう。

この次第説法の内容は、2600年前のお釈迦様の十八番(おはこ)のご説法であったと伝え聴いています。このお経に説かれているのは、「施論」―与える愛の実践・「戒論」―悟りを得るための心の修行をするための正しい生活習慣・「生天論」―来世に地獄に行くことなく、天国世界での幸福の生活への誘い―です。

お釈迦様が、在家の方々の「施論」「戒論」「生天論」を成就するために、正しい信仰【正信】としての「正見」と、「苦・集・滅・道」の四諦と八正道への道のりを論理的に指し示されています。この世とあの世の幸福を一致させるための説法でした。このお経の内容を伝道の道しるべとして、まず自らに熏習しながら、他人(ひと)にお伝えしてまいりましょう。

八正道の論点は最重要なので、かさねて引用いたします。
『智慧の言葉「仏陀の悟り」』はこのように終わります。
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かくして
『道』が 必要なり
道とは これは 八正道    【道諦】
中道の 真なる道と 悟るべし
正見
正思
正語
正業
正命
正精進
正念
正定
これが 聖なる 八正道
苦しみの この世の
火宅の 世界から
悟りの 彼岸に 渡るべし
苦・集・滅・道 心得て
解脱の 道を 進むべし

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●八正道によって苦を滅する
次に「滅」です。その苦しみを滅したらどうなるかを考える、あるいは苦しみを滅しよう、消そうと思う、この思いです。

たとえば、病気が治ったらどうなるかというようなことを考えるわけです。健康になったらどうなるか、経済状態がよくなったらどうなるか、出世したらどうなるか、いろいろありましょう。

あるいは、家族と仲良くなったらどうなるか。「今は妻と喧嘩状態、交戦状態だけれども、これが円満になった時の状態を想像してみるのです。そして、「ああ、やはり、夫婦が調和して仲が良かったな。やはりあの状態に戻さなければいけないな」と考えます。これは「滅」です。滅を願うことです。

では、「滅」の状態に入るためには、要するにその病気を治してしまうためにはどうするか、その方法があるだろう―これが「道」です。これは道しるべ、進むべき方法です。この「道」というのが有名な「八正道」です。

釈迦の八正道は当会でも説いています。

まず、「正見」です。正しく見る、正しい見解をもつことです。間違った見方ではなく、正しいものの見方をすることです。正しいものの見方というのは、単に目で見るだけではなくて、宗教的な目、真理の目、神仏の目、正しい信仰の目でもって、他人や自分や世界を見ていることです。そういう正見が必要です。

次は、「正語」です。これは一般的な八正道の順序とは異なりますが、現代人向けに、言葉の方を先に持ってきているのです。あなたは正しく語ったかということです。言葉による不幸というのは絶えません。会社でもあります。家庭のなかでもあります。家庭の崩壊などは、ほとんど言葉によるものです。言葉ひとつです。旦那さんが過程をバットで殴って家庭が崩壊した、あるいは奥さんがフライパンを投げてけがしたために離婚になったというようなことは、めったにないのです。実際はそうではなくて、たいていの場合、毎日毎日の夫婦の会話において、相手を傷つけるような言葉の応酬をしているために、家庭は崩壊するのです。会社などの仕事環境でも、たいてい言葉のせいで人間関係がおかしくなるのです。人を傷つけたり・
・悪口を言ったり言われたりするようなことで、おかしくなります。ですから、言葉というのは、現代では非常に大事なのです。

次は「正業」、正しい業(わざ)です。昔は正業といって、「人を殺してはいけない」「姦淫してはいけない」「盗んではいけない」といった行為のことを言ったのですが、これは現代では刑法や民法の分野ですから、いま私は、正業として「正しい仕事」ということを言っています。仕事がきっちりできることです。勤め先で仕事がきっちりできること、また主婦であれば家庭のなかでのやりくりがきっちりできること、それがやはり人間として正しい人生を生きるための中心です。

それから「正命」、正しい生活です。これは、宗教心あふれた生活です。毎日、毎日、感謝の日々を送る。毎日毎日、『正心法語』を読んで、心を調和し、正しい生活をする。規則正しく、自らに戒めを課しながら、常に向上をめざした立派な生活をすることが、この正命、正しい生活ということになるでしょう。

正見、正語、正業、正命、このへんまでは、みなさんも簡単にできる反省です。

そのあとに「正思」というものがあります。正思、正しい思いというのは、心の中のありかたを考えていくことです。これは、真理、宗教的真理を学ばないと、やはりなかなか分からないのです。昔の道徳か何かぐらいに思って、バカにする人がたくさんいるのですが、宗教の世界を知って初めて、心のなかが問題だということが分かるのです。普通の人はわからないのです。外に表して、行為として出て、初めてわかります。悪口を言って初めて、「それはいけないのではないか」などというようにわかるのです。たとえば、人を殴って、「その暴力はいけないよ」と言われるのがそうです。宗教人たるものは、「外に出る前の心のなかだって大事ですよ」ということです。これが正思です。

正思のなかにも、いろいろなことがありますが、根本的には、「貪・瞋・癡」という「心の三毒」―貪りの心、怒りの思い、そして無明、愚かさ、中心はこういうものを去ることにあります。こういう正思があります。

それから「正進」です。「正精進」ともいいます。これは、毎日修行をしていく、毎日毎日、善の種を播き、禅の種を育てていこうとすること、要するに、神仏の心にかなった種播きをして、それを育てていこうとすることです。こういうことを中心にしながら、自己の精神的向上をはかることが正進です。

そして、「正念」があります。正念というのは正しい念、念(おもい)のことです。念いを集中することによって、人生というのは、どんどん展開していくものなのです。念の集中というのは、非常に大事なことです。

また、念の集中というのは、別の言葉で言うと、真理以外に、あるいは仏道以外に、正法の道以外のところに気を散らさないようにするということです。これも正念です。他のことにいろいろと気が散っていたら何にもなりませんから、やはり、仏道修行、悟りへの道、地上ユートピア建設への道に心を絞り込むこと、それを常に念じていること、これが正念です。

これ以外のことに気を散らしてしまってはいけない。この世的なことに気が散ってしまってはいけない。常にこれを忘れないようにして覚えておくこと、常に自分を修行のなかにおくこと、他人との調和のなかにおこうと注意していること、これも正念です。

さらには、念の力のよって自己実現していく念いも、このなかからは出てきます。正しい理想像を描いて、「その方向に向かって、今日も進んでいくぞ、明日も進んでいくぞ」と思っていること、このように思いの方向を定めていくこと、これが正念です。

それから、「正定」といって、正しく定に入るということがあります。これは反省行です。反省、瞑想、あるいは、場合によっては祈りもここに入れてもいいかもしれません。祈りには正念に当たるものもあると思いますが、正式な作法のもとにやるのであれば、正定に入れてもいいかもしれません。

この正定のなかでは、精神統一そのものを、行として、修法として、行ってみることです。反省しようと思っても、日常生活のなかに紛れていたら、やはりなかなかできるものではないのです。『正心法語』をきちんと読んで、そして今日一日に自分が思ったことや行なったことを、じっと振り返ってみるのです。「ああ、主人に対して、きついことを言ったな。『あなたのボーナスが少ない』とか、悪いことを言ってしまった。足ることを知らなければいけない」などと振り返りながら、やはりきちんと反省をしなければいけない」などと振り返りながら、やはりきちんと反省しなければいけません。

それから、悪いことを言った、思ったということだけではなくて、逆に、よいこと、積極的なことを何かしたか、今日は神様がほめてくれるような一日だったか、ガラス箱のなかに入っているような隠しようのない自分のあり方を、自分の守護霊が見ていて喜んでもらえるだろうか、そういうことを振り返って見てみる、それがこの正定です。これにも、みなさんの修業段階に合わせた段階がたくさんあります。

●限りなき完成への道
これが八正道、八つの正しい道です。「苦・集・滅・道」のことを「四諦」といい、そして最後の「道」が八正道のことです。これを「四諦・八正道」というのです。

これが、初転法輪のときに釈迦が説いた最初の教えなのです。これが最初の悟り、出発点ですが、最初だからといって重要性が低いわけでは決してありません。みなさんにとって、今でも重要性を帯びた考え方だと思います。

もう一度復習しましょう。菩提樹下で悟って、初転法輪、初めて法輪を転じたときに、釈迦が語ったことは何だったのでしょうか。

修業においては、
中道―極端を離れる、両極端を否定する、
そういう中道的な態度が大事だ。
そして、その思想の内容としては、
苦・集・滅・道の四諦である。
人生の苦、迷いの生存、迷った人生、
間違った人生観に基づくこの世の苦しみということを、
まず見抜かなければいけない。
そして、その原因を知らなければいけない。
さらに、『それを滅しよう、消し去ろう。
そして幸福になろう』と願わなければいけない。
そのために八正道があるのだ。
八つの目標、目印があるのだ。
そういう方法があるのだ。
これを毎日行じていくことだ。
さすれば、その道は自分を整える道であろう。
すなわち、八正道はまた中道でもあろう。
中道のなかに入って自己を発展させていく道であろう。
それが八正道の道であろう。

そういうことです。限りなき完成への道を、まず最初に説いたのです。そして、それはまた終わりなき道でもあったと思います。これが「四諦・八正道」ということです。

本章は初転法輪に関しての大切な話ですから、どうか心の中に留めておいてください。
【大川隆法『悟りの挑戦』(上巻)第一章「仏教的精神とは何か」より抜粋】
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幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。

主より仏道修行の基本は「戒(戒律)・定(禅定)・慧(智慧)」の三学であると教えていただいています。『戒律によって「正しき心の探求」として「教学」と、正しい日常生活を送り、禅定によって、「反省」と「瞑想」を行い、心の浄化と天上界と霊的つながりをもつことによる正しい宗教的生活を送ること。「祈りの生活」のなかで、主と指導霊と守護霊の指導で受ける、つまり、沈黙の声を聴くことによって智慧を得る』この流れです。

本日の解説では、仏道修行の基本が「戒・定・慧」の三学であり、
これを八正道に当てはめるとこのようになります。

・「正語・正業・正命」→「戒」
・「正精進・正念・正定」→「定」
・「正見・正思」→「慧」

このように教えていただきました。これで、「八正道」が「戒・定・慧」と共に仏道修行の本道であることがよく分かります。

この仏教の修業論である「八正道」の習得には、ただ単に八正道の真理知識を得るという(聞慧)だけでなく、それを心の糧・材料として深く考えること(思慧)を通して、過去から現在に至る自分の心の動きを深く振り返る反省行を、繰り返し実践する(修慧)が必要となります。

正見とは「正しい立場」であること、
正思とは、正志でもあり、「正しい目的のもとに判断したか、考えたかということ」
を教えていただきました。
そして、私達仏弟子にとって共通する、正しい目的とは「仏国土ユートピア建設」です。

それを実現する菩薩の心がけとして「上求菩提」「下化衆生」という言葉あります。
「上求菩提」とは、私たち修行者が、菩薩や如来・仏を目指して心の修行を絶え間なく続けることです。
「下化衆生」とは、神仏を信じているという証明として、私たちの隣人を救い助けるために、見返りを求めずに与える愛の実践を続けることです。

仏陀の十八番の御説法『目覚めの言葉「次第説法」』は、私たちに悟りへの道を具体的に指し示す内容となっています。

まずは、邪見を排して、正見を得ること。「施論・戒論・生天論」を知ることで、天国世界への還るための道を知ること。そして次に我見を離れて、「苦・集・滅・道」の四諦を知ることで、人生の苦しみの原因が一体何であるのかを知り、解脱することを決意すること。最後に八正道によって自らの苦しみを滅して「中道」を得て、悟りの彼岸に至る・悟りの道へ至ること。このように悟りに至る道を段階的に説いているのが『目覚めの言葉「次第説法」』です。

『目覚めの言葉「次第説法」』は悟りへの道、真なる幸福の科学への道のりついて、仏の教えがぎっしり詰まっていますから、この経文を共に、毎日、繰り返し読み込んで、理解を深めてまいりましょう。

正心法語の全編読誦する時の心がけとして、皆様にお願いしたいのが、経文を読む前に、皆様の魂のきょうだいを全員召喚して、魂のきょうだい全員で正心法語を読むという気概で臨んでいただきたいということです。これはいま主に捧げている「復活の祈り」でも同様です。私は魂に熏習するという言葉を使うとき、これを意識して読経しています。魂の兄弟に主の教えを伝えることも立派な伝道です。意外と、この点は私たちにとって見落としがちなので常に意識しましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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