28 誠実でないのに、お金が集まってくる人は、「罪の人になるだろう」
33 偉くなれば批判が集中する。「信念」だけを頼りとせよ。
【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より抜粋】
おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
風薫る五月となりました。五月研修がただいま支部で開催されています。
オーダーも開催も致しますので、ご希望の方は支部までお問い合わせください。
5 月 12 日(日)まで2024
年「ヘルメス大祭」を開催し、ヘルメス大祭版「復活の祈り」を執り行います。神秘思想と霊界思想の源流におられ、2000
年前のイエスの「復活現象」に力を与えられたご存在であられるヘルメス神のご指導のもと、主のご復活に向けて主への愛と祈りの力を結集してまいります。そして、私たち一人ひとりが、透明な風の如き天使の愛を実践し、主の愛がこの地に満ちて「愛の復活の時代」を到来させるべく、伝道の誓いを捧げる機会とさせていただきます。
また、5月14日は新復活祭です。2004 年 5 月14
日に、主が死の淵からご復活された奇跡に心からの感謝を捧げると共に、主が大宇宙の造物主であられることへの確信を深め、あらゆる既成の常識を打ち破り、主のご復活への確信を強めてまいります。
当日は13
時より、教祖殿に最も側近き礼拝殿である東京正心館から、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催します。そして、5/14(火)~5/19(日)まで、新復活祭を開催致します。皆様この機会にご来館ください。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
そこで、本日から経典『信仰のすすめ』の第四章に所収されています「愛は風の如く―Love Blows Like the
Wind」より、ヘルメスの愛について学びます。本御法話は主の新復活の直前となる2004年の4月29日に説かれています。
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愛は風の如く―Love Blows Like the Wind
○この世においてもユートピアをつくる
ヘルメスが説いた愛は、そのような「天使の愛」であったのです。
ヘルメスは、その無償の愛に基づいて、この世においてもユートピアをつくろうとしました。この世において理想の世界をつくろうとしました。この世の世界において発展を目指したのです。この世において諦めなかったのがヘルメスです。彼は、この世においても、調和ある世界をつくりたいと思ったのです。
これがヘルメスの考えです。
そういう幸福な世界は、現実には、来世、あの世において、もうすでに存在しています。
あの世の世界は、天国と地獄という二つの大きな世界に分かれています。
天国という世界は、光に満ち、幸福な人たちが住んでいる世界です。この世界は、地上に人間として生きていたときに、光に満ち、善なる思いを持って生きた人が還る世界です。
一方、地獄という世界は、どういうところでしょうか。「自分自身のため、我欲のために生きて、他の人を自分の犠牲にし、傷つけたり、殺したり、駄目にしたりする」ということを当然と思い、「それでも、自分がよければいい」と思って生きた人たちが、地獄という世界に堕ちているのです。
あの世には、こういう二つの世界があります。
天国という世界は、幸福な世界であり、ユートピアの世界です。したがって、単に「その世界に還ればよい」というだけのことであるなら、確かに、それで、話としては終わりです。
しかしながら、天国・地獄がうまれた原因は、この地上にあります。この地上に人間として生きているあいだの生き方、考え方が、天国と地獄を分けているのです。そのため、この地上そのものを理想的なものにしないかぎり、地獄がなくなることはありません。
地上でそれをしなければ、仕事を来世に延ばしただけのことになります。
天使たちは、あの世においても、地獄界、キリスト教的には「煉獄(れんごく)」とも言われている世界に行って、救出作業をしています。それは大変な修行です。彼らは、毎日毎日、大変な仕事をしています。
私は、そういう天使たちの仕事を、もっともっと楽なものにするためにも、「仏法真理に目覚めて理想郷をつくろうとする人たちを、この世において数多くつくらなければいけない」と考えているのです。
【大川隆法『信仰のすすめ』第4章「愛は風の如く―Love Blows Like the Wind」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第四の経文である『目覚めの言葉「次第説法」』についてです。
『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を読誦して、自分が、「無我」や「空」の教えを通して霊存在であることを自覚した後に、私たちが読む経文が『目覚めの言葉「次第説法」』です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、どのようにしたら私たちが、苦しみの世界から、「悟りの彼岸」に渡り、「解脱の道」へと進むことができるのかを次第、次第に知ることができます。私たちの人生の問題集の解決の鍵が『目覚めの言葉「次第説法」』に埋蔵されています。この鍵を共に見つけてまいりましょう。
この次第説法の内容は、2600年前のお釈迦様の十八番(おはこ)のご説法であったと伝え聴いています。このお経に説かれているのは、「施論」―与える愛の実践・「戒論」―悟りを得るための心の修行をするための正しい生活習慣・「生天論」―来世に地獄に行くことなく、天国世界での幸福の生活への誘い―です。
お釈迦様が、在家の方々の「施論」「戒論」「生天論」を成就するために、正しい信仰【正信】としての「正見」と、「苦・集・滅・道」の四諦と八正道への道のりを論理的に指し示されています。この世とあの世の幸福を一致させるための説法でした。このお経の内容を伝道の道しるべとして、まず自らに熏習しながら、他人(ひと)にお伝えしてまいりましょう。
それでは『智慧の言葉「仏陀の悟り」』はこのように始まります。
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魂の 目覚めの 時に
破すべきは
まず 邪見なり
邪見とは
善因善果
悪因悪果を 知らぬこと
因果の 理法を 知るならば
正見 すなわち そこにあり
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「魂の目覚めの時」とは、法縁を得て修行に入る時のことです。「破す」というのは、打ち破ること、あるいは捨てることです。捨てるべきものは「邪見」です。
邪見とは、善因善果、悪因悪果を知らないことです。「善いことをすればよい結果が来て、悪いことをすれば悪い結果がくる」という、因果の理法の一番原初的な形式、道徳論の基礎を知らないことです。
これは、在家の人向けの説明です。「因果の理法を知ることが正見なのである」と言っているのです。縁起の理法と言ってもよいのですが、「原因・結果の連鎖で、すべてを見ていきなさい」と説いているのです。この原因・結果の法則があるからこそ、修行が成り立つのです。
もし決定論、運命論でものごとが決まっているのでしたら、修行しても意味がないことになります。しかし、釈尊の思想は、「あなたの蒔く種によって果実は実るのである」という思想です。これを徹底しているのです。だからこそ修行が成り立っていくのです。
この因果の理法を信じないのが邪見です。邪見については、法として、教えとしては、そうした理解ですが、さらに突っ込んで言うならば、仏陀を信じないということです。釈尊が修行によって悟りを開き仏陀となったということ、この仏陀を信じないことも、当然のことながら邪見です。それにともなって、「仏・法・僧」の三宝を否定するもの、三宝を信じないもの、これも邪見です。
要するに、正しい信仰を否定する者、それにたどり着けない者、そういう思想、ものの見方が邪見なのです。
まず仏陀を信じて、「仏・法・僧」を敬い、仏陀の説かれた因果の理法を信ずること―これが正見です。これは「正信」と言ってもよいのですが、この正信のところが成り立って、初めて「預流」(よる)という段階に入るのです。「流れに預かる」という段階です。この
預流というのは、当会の次元構造でいうと、五次元の上段階ぐらいから始まるのです。・・・
まず、最初の邪見を破して正見を得なければ、修行というのは始まらないのです。
このように、正見には、その前提として正信があります。正しい信仰が成り立ったあと、正見―正しい観察が成り立つようになります。「正しい信仰」を持ってこそ、初めて「正しい観察」が成り立つのです。初心者にとっては正信であって、修行者にとっては正しい観察のほうにいくのが、正見です。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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正見すなわち、正しい信仰をもって物事を観察すること「正信」があってこそ修行が始まるということでした。正信を得ることで、正見を得ることができる。それは同時に邪見を離れるということでした。これは、八正道の前提としても同じことが言えますので、修行の入り口としてはとても大切な論点です。物事の見方が間違えていたら、その後どのような修行をしても結論が間違えてしまいます。修行する私達にとって、つねに正見がとれているのか日頃から点検したいところです。
本日の学びで大変印象的だったのが、
「まず仏陀を信じて、「仏・法・僧」を敬い、仏陀の説かれた因果の理法を信ずること―これが正見です。これは「正信」と言ってもよいのですが、この正信のところが成り立って、初めて「預流」(よる)という段階に入るのです。「流れに預かる」という段階です。この
預流というのは、当会の次元構造でいうと、五次元の上段階ぐらいから始まるのです」
ということで、「三宝に帰依」して「縁起の理法」を信じる「正信」と「正見」ができるようになると五次元上段階の悟りである預流(よる)に相当するという教えでした。
まずは、邪見を排して、正見を得ること。「施論・戒論・生天論」を知ることで、天国世界への還るための道を知ること。そして次に我見を離れて、「苦・集・滅・道」の四諦を知ることで、人生の苦しみの原因が一体何であるのかを知り、解脱することを決意すること。最後に八正道によって自らの苦しみを滅して「中道」を得て、悟りの彼岸に至る・悟りの道へ至ること。このように悟りに至る道を段階的に説いているのが『目覚めの言葉「次第説法」』です。
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「正見」はとても大事な修行課題となりますので、重ねて経典『釈迦の本心』第二章より、抜粋いたします。
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●正見
それでは、八正道の最初の項目である「正しく見る」「正しい見解」ということについて、深く考えてみましょう。これは、先入観を排除し、白紙の状態にものごとを置いて、智慧の眼で見るということでもあります。
人間の悩みは、結局、「見る」という行為を中心にして起きているように思います。もし目がなければ、罪を犯す機会がそれだけ少ないとも言えましょう。欲望というものは、たいていは目によって生じます。異性など他人の姿を見たり、金銀財宝や豪華な食事を見たりすることによってしだいに欲望がつのってくるのです。
したがって、大切なのは、目を通じて入ってくる情報を、いかにさばいていくか、ふるい分けをしていくかということです。人間の感情が波立つ原因の多くは、目を通して得られる情報にあるのです。
そこで、一日が終わるときには、呼吸を整え、心を調律し、みずからの内に深く深く入っていく必要があります。そして、「みずからが仏と一体になった」「大いなる光のパイプからエネルギーが流れ込んでくる」と感じられるようになった段階で、その日一日を生きてきた自分をまったく他人だと考え、その他人が見てきたことを、第三者の目で批判的に検討してみるのです。
この「見る」ということは、結局、「見たことをどう認識するか」ということに関わってきます。
ある人がある行為をしたとき、これに対する見方は人それぞれです。たとえば、会社のなかで、若手の社員が「こういう方針でやっていきませんか」と新しい提案をしたとします。しかし、この行為に対する認識は、人によって分かれることになります。
その人の上司が、その提案を肯定的にとらえようとすれば、「彼は大変やる気があり、進取の気性に富んでいる。非常に将来性がある」と見ることもできるでしょう。
しかし、否定的に見れば、「彼はまだ入社して間もないのに、大言壮語し、自分の分を知らずにいる。日々の事務仕事がきちんとできてこその、大きなプランであり、理想である。彼はまだまだ謙虚にならねばならん。うぬぼれがすぎる。彼にもっと自覚を促す必要がある」と感じる人もいるでしょう。
ここが見方の分かれるところなのです。
この二つの見方のうち、どちらがより真実に近い見方なのかを考えてみる必要があります。そして、前者の見方が正しいならば、自分はなぜ後者の見方をしたのか、この若手社員に対してなぜ不愉快な見方をしたのか、その根本原因をたぐっていく必要があるのです。
その結果、自分が若手社員のとき、いろいろな人に批判された反動だったり、自分自身は積極的な提言ができないタイプであることへの自己嫌悪だったりすることに気づくことがあります。そうした原因を見出したならば、それを取り除いていく必要があるのです。
正見には、ここまでの作業プロセスが入っていると考えるべきです。
もちろん、仏教的には、「苦」「集」「滅」「道」の四諦のプロセスで観察するとか、縁起の理法を通して、ものごとを「原因」「結果」の連鎖でとらえるといった専門的な解説も可能です。
【大川隆法『釈迦の本心』第二章「八正道の発見」より抜粋】
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とにもかくにも、悟りへの道、真なる幸福の科学への道のりついて、仏の教えがぎっしり詰まっていますから、この経文を共に、毎日、繰り返し読み込んで、理解を深めてまいりましょう。
正心法語の全編読誦する時の心がけとして、皆様にお願いしたいのが、経文を読む前に、皆様の魂のきょうだいを全員召喚して、魂のきょうだい全員で正心法語を読むという気概で臨んでいただきたいということです。これはいま主に捧げている「復活の祈り」でも同様です。私は魂に熏習するという言葉を使うとき、これを意識して読経しています。魂の兄弟に主の教えを伝えることも立派な伝道です。意外と、この点は私たちにとって見落としがちなので常に意識しましょう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。
【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。
災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする 信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。
【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。 その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。
【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史
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