日本国憲法試案 第十一条
国家は常に、小さな政府、安い税金を目指し、国民の政治参加の自由を保障しなくてはならない。
【大川隆法『新日本国憲法 試案 第十一条』】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
2月11日は建国記念日を迎えます。建国記念日の由来は、明治時代、日本の建国を祝う日として紀元節(きげんせつ)がありました。初代天皇とされる神武天皇が即位した日が、紀元前660年の2月11日だったことから定められています。そして、1873年から第二次世界大戦後の1948年まで祭日として人々に親しまれていました。しかし、戦後の日本を占領していたGHQ軍の意向により、紀元節が廃止されています。
その後、国民の間で紀元節を復活させようという動きが高まり、建国を記念するための日が設けられました。その際に、「紀元節」から「建国記念の日」へと名称が変わりました。このようなことから、1966年に国民の祝日として制定され、翌年から適用されるようになっています。
本日は、主の『新日本国憲法 試案』から新しい日本の建国の精神を振り返ります。
経典をお持ちでない方は、全国の支部・精舎・書店にてお求めください。【税抜き1200円】
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第十一条 国家は常に、小さな政府、安い税金を目指し、国民の政治参加の自由を保障しなくてはならない。
【大川隆法『新日本国憲法 試案 第十一条』】
〇「安い税金」と「政治参加の自由」を保障せよ
・企業にも「国民の幸福を守る義務」を担ってもらう
今、幸福実現党が訴えていることですが、政府には、すぐに肥大化していく傾向があります。「役人の数は常に増え続ける」というパーキンソンの法則のとおり、人間には、ポストをつくって部下を増やしたがる傾向があるのです。
「小さな政府を目指す」ということは、「国民の裁量に吐かせる自由の領域を増やす」ということです。それは、「国民に責任を持ってもらいたい」という意味なのです。
同時に、国家と国家の間にある「企業」にも、ある程度、「国民の幸福を守る義務」を担ってもらいたいと思っています。
千人、五千人、一万人といる従業員の雇用を護ったり、ある程度の福祉を提供したり、いろいろな便宜を図ったりすることを、企業も努力して行うべきだと思います。これらのすべてを国家が仕事として受け持つと、増税するしかなく、結果的に国民は苦しくなります。
したがって、国家と国民の間に介在する企業にも、できるだけ仕事を引き受けてもらいたいと思うのです。
例えば、育児支援は、国家がやるべきことでもありますが、企業でも、努力すればできることです。
「企業のなかでは個人的なことは許されない」という、公私の分離、「私は私、公は公」と分ける考え方もありますが、通勤に一時間半もかかるなど、現実には、女性が働きながら子供を育てられるような環境ではないことが多いのです。
そこで、今、女性が多い職場に、保育所のような施設を備えている企業も増えており、そういう企業は人気が高いようです。
また、休憩時間の代わりとして、ときどき、授乳に行ったり、子供を見に行ったりする時間が与えられる企業も増えています。
女性が主戦力である化粧品会社などでは、そういう傾向が強く出てきているのですが、これであれば、女性は安心して働けます。
企業では残業も多いので、効率の保育所のように、午後の四時や五時で「終わり」などといわれるのでは大変です。その点、企業による育児支援があれば、ある程度の遅い時間まで、子供を預かってもらうこともできるでしょう。
もちろん、国のほうでも、便利なところに子育て支援の施設をつくる必要はありますが、企業でできるものは企業で、個人でできるものは個人で努力すべきだと思います。
【大川隆法『新日本国憲法 試案』より抜粋】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第3章 戒律とは何か
4 随犯随制(ずいぼんずいせい)と波羅提木叉(はらだいもくしゃ)
当時は戒律というものが非常に厳格であったということは、みなさんも聞いているでしょうが、では、どのようなかたちで成立したのかを次に述べてみます。
これについて、「随犯随制」という言葉があります。文字通り「犯すに随って制度を定めた」ということです。何か問題で起きると、「こういうことはいけない」といことで、そのつどサンガーのなかで新しい規定を設けた、というのが真相なのです。
ある時、釈迦が過去仏の話をして、「戒律がしっかりしていた過去仏の時代には、サンガーがよく保たれて、問題が起きず、ずっと法が残った。戒律がいい加減だった場合には、いろいろ問題が起きて、サンガーが乱れて、法が正しく伝わらなかった」という説法をしていたのです。
するとそこで、舎利仏(シャーリプトラ)が立ち上がって、「世尊よ、それなら早く罰則規定をつくってしまいましょう。そして、罰則規定を犯した人は、どんどん教団から追放しましょう。あるいは謹慎させましょう」と言ったわけです。その時に釈迦が言ったことは、「まあ、そんなにいきり立つな。犯罪人がいないのに、先んじて罰則をつくるようなことはしたくないのだ。何が事件が起きたら、『こういうことは今後してはいけない』という戒めのために、一つひとつ定めていけばいいではないか」ということでした。「随犯随制」というのは、その時にいった言葉なのです。
この背景から見ると、仏陀教団というのは、かなり自由闊達な組織であったことがわかります。それぞれの修行者が自主的に修行をしながら、それでいて則を越えないというのが当然のことであって、罰則で縛らなければ悪いことをするような人たちの集団ではなかったのです。そうした信頼関係がありましたし、自由な雰囲気というものも尊重していたのです。
ただ、組織が大きくなって、大勢の人が修行するようになると、いろいろな問題が起きてくるので、やむなく、だんだんに戒律を定めていかねばならなくなったというのが真相なのです。こうしたところに、釈迦の性格が表われているように思います。
こうして、いろいろな罰則のようなものが次第にできてくるわけですが、その戒律の条文を集めたものを「波羅提木叉(はらだいもくしゃ)」といいます(「戒本」ともいう)。
そして、「比丘の二百五十戒」「比丘尼の三百四十八戒」と言われる戒律を制定し、集まりがあるときに、この波羅提木叉(はらだいもくしゃ)、つまり罰則規定の条文を誰かが唱和して、「どうですか。これに反した人はいますか」ということを言うのです。これは一回しか言わないこともあれば、二回、三回と言うこともあるのですが、「この戒めを破った人は、この集まりのなかにいますか」と問うて、いた場合には、みんなの前に進み出て、「実は、私は今週、こういうことがあって心を揺らしました」「間違いを犯しました」と懺悔(ざんげ・仏教では「さんげ」と読む)をするのです。そうした公開の反省会のようなものを行っていたわけです。
【大川隆法『沈黙の仏陀』第3章「戒律とは何か」より抜粋】
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本日も根本経典の「仏説・正心法語」と共に重要な祈りである。「エル・カンターレへの祈り」について共に考える機会を得たいと考えています。
まず、『エル・カンターレへの祈り』とは、私達が「仏」「法」「僧」の三宝に帰依した信者にしか持つことを許されない大変尊い経文です。支部では、三帰信者であれば、2000円の奉納目安でいただけます。
私も毎日、自分の信仰と、使命を新たにするために、ありがたく読誦させていただいています。
教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。
一方、『エル・カンターレへの祈り』には、「エル・カンターレへの祈り」「伝道参加のための祈り」「植福功徳経」の三つが収められており、「信仰」「伝道」「植福」という、私たち仏弟子の救世運動の理念が凝縮されています。
ですから、私が支部活動で行き詰まる時、いつも原点回帰するのが「エル・カンターレへの祈り」です。そういう意味では、私たちの宗教活動の中心にある大変重要なお祈りです。
「エル・カンターレへの祈り」を深く学ぶために、主より経典『「エル・カンターレへの祈り」講義』をいただいていますので、ぜひ伊勢支部にて拝受して下さい。
詳しい解説は、この経典をご覧いただくとして、このメールマガジンでは、日々の活動にこの聖なる祈りをどのように生かしていくかという視点で、お届けしたいと考えています。
それでは前回の続きです。「エル・カンターレへの祈り」はこのように続きます。
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そして
この原理が
全世界救済の原理であることを
心の底から
信じます
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本日引用した箇所にも「信じます」という言葉が重ねて出てきました。信じるという言葉を5回繰り返しています。最後の信じますには、「心の底から」と、信じることを徹底して強調しています。
これは私の私見ですが、五回、「信じる」を繰り返しますので、お祈りの中で、五芒星を描いて、「エル・カンターレ・ファイト」をしているようなイメージで私は経文を読ませていただいています。信仰によって、主と私たちとが一体であるイメージが大切ですね。
「愛」・「知」・「反省」・「発展」の「四正道」が、幸福の原理であり、私たちの幸福への道であると同時に、この「四正道」が「全世界を救済する原理」でることを教えていただいています。私たち個人個人が幸福に至る聖なる道が、全世界の人々を救済する道でもあることが改めて示されています。
本格的な大乗の時代、大衆布教と全世界伝道と全世界の人々の魂を救済する際、「なにを伝伝え、何を伝道するのか」という迷いが生じたとき、この経文に、原点回帰して、これまで重ねた5つの信仰告白の内容を中心として、人にお伝えすればよいわけです。
このお祈りを、毎日、真剣に唱えることで、主の御心である、信仰と伝道の中心概念を魂に深く落とし込むことができます。伊勢支部の皆さまにおかれましては、ぜひこのお祈りを覚えてしまうくらい読み込んでいただきたいと私は願っています。そのためにも、毎日、子の経文を手に取って拝読するところから始めましょう。毎日必ずしていただきたいことです。
この祈りから、普段の生活が切り離されてしまいますと、三次元世界の闇に埋没して、「なにゆえに、自分が生まれてきたのか」「なにゆえに、私たちは朝目覚めて、生活を始めるのか」「なにゆえに、これまで様々な苦難困難をくぐり抜けて今日まで至ったのか」が分からなくなってしまいます。私たちの人生には目的があります。私たちには使命があります。私たちの人生の目的と使命は最終的には、「伝道」の二文字に収斂されます。私たちがエル・カンターレ信仰を貫くのは伝道が使命だからです。
「一日一生」という言葉は、主から繰り返し発信されますが、私たちは今奇蹟の時代を生きています。その一日は本当にかけがえのない価値をもつ時間です。私たちの一日は、「エル・カンターレの祈り」によって、主への信仰と誓願に始まり、一日の終わりを「エル・カンターレ―の祈り」によって、感謝で終えることが、信者の義務ではないかと思うのです。
この聖なる祈りと共に、主への感謝を捧げながら、私たちは自らを幸福に導き、私たちの隣人を幸福へと導くことができます。愛と知と反省と発展の四正道によって、全世界の人々に主の愛を、主の言葉を届けてまいりましょう。
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最後に、全世界に伝道すべき教え、四正道の「愛」について経典から抜粋いたします。
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〇「正しき心の探求」としての「現代の四正道」を実践せよ
そうした信仰心を持って生きていくことを、大きな意味において「正しき心の探求」と言います。
そして、その「正しき心の探求」の中身とは何であるかといえば、「愛・知・反省・発展」という「現代の四正道」に、今は集約されています。
・愛―「奪う愛」から「与える愛」へのパラダイム・シフトを
まずは「愛」の教えですが、この考え方がほとんどの場合、誤解されています。「愛とは他人から奪うもの、もらうもの」とばかり考えている人が増えています。
この考え方は共産主義の中にも蔓延しております。共産主義の場合は、経済的な意味が多く、「持てる者から収奪して、持てないものがそれを奪う」というかたちですけれども、考え方に誤りがあると思います。
人がこの世に生まれるのは、やはり、その人の努力や実績というものを通して魂的に向上させることが目的ですから、いわゆる「働かずして、人が汗水たらして手に入れたものを奪い取る」「システム的に奪い取る」ということはよいことではありませんし、本人たちも堕落させることにもなりかねません。
もう一つは、自由主義社会といわれるなかにある「社会福祉主義」です。これらも、一定の人類の智慧として福祉思想があること自体まで否定しているわけではありませんが、結果的には共産主義の変わりになって不平不満を吸収するためだけに、そういうふうになっていることもあります。
ですから、これは、神仏の力を使わずしても、この世において、国家が財政破綻し、国が崩壊していくきっかけにもなっていると思います。
この日本という国においても、国民が納める税金の二倍の金を政府が使い続けているという状態です。これが何を意味するかということですが、「いずれかの時点で国家が破綻する」ということを意味しています。これは、アメリカにおいてもEUにの大部分の国においてもそうだし、アジアやアフリカの貧しい国においてもすでに起きていることです。
結論は、「足るを知る」ということで、自分の働きに見合った生活をすることを考えていかねばならないということです。
愛を、「奪う愛」から「与える愛」へとパラダイムシフトしていくことが大事であるということだし、この「与える愛」こし、神仏が人類を生かしめてきた力なのだということです。あの太陽の光のように、あまねく光を降り注ぐ、その一翼を担うということが、人類の行ずべき「愛」という言葉の意味になります。
【大川隆法 『地獄の法』 第五章「救世主からのメッセージ」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
■□■
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(2/6-1)37経文「エル・カンターレへの祈り」を読む ⑥「四正道」が全世界救済の原理
