(2/7-1)38経文「エル・カンターレへの祈り」を読む ⑦全世界伝道の尊い使命―新日本国憲法試案⑭

「エル・カンターレへの祈り」を読む

新日本国憲法試案
第十二条 マスコミはその権力を濫用してはならず、常に良心と国民に対して、責任を負う。

【大川隆法『新日本国憲法 試案 第十二条』】
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おはようございます。
本日2月7日七の日です。
この聖なる日に、支部に相集い、主への感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきます。
『精舎霊域護持植福』など各種植福を本日承っています。
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「七」は勝利の日 「七」は目覚めの日 「七はあなたの生誕の日」
私たちは 主エル・カンターレ御降臨という
奇跡の時代に 仏弟子として 主と共に歩ませて
いただけますことを 心より感謝いたします

そして 主への報恩として 
日本に 全世界に エル・カンターレ信仰を弘め
地球ユートピアを実現してまいります

私たちは これからも 仏弟子の使命である 伝道に邁進し
必ずや 「七の月」の「七の日」を
主の勝利の記念日とすることを お誓いいたします

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

2月11日は建国記念日を迎えます。建国記念日の由来は、明治時代、日本の建国を祝う日として紀元節(きげんせつ)がありました。初代天皇とされる神武天皇が即位した日が、紀元前660年の2月11日だったことから定められています。そして、1873年から第二次世界大戦後の1948年まで祭日として人々に親しまれていました。しかし、戦後の日本を占領していたGHQ軍の意向により、紀元節が廃止されています。
その後、国民の間で紀元節を復活させようという動きが高まり、建国を記念するための日が設けられました。その際に、「紀元節」から「建国記念の日」へと名称が変わりました。このようなことから、1966年に国民の祝日として制定され、翌年から適用されるようになっています。

本日は、主の『新日本国憲法 試案』から新しい日本の建国の精神を振り返ります。
経典をお持ちでない方は、全国の支部・精舎・書店にてお求めください。【税抜き1200円】
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第十二条 マスコミはその権力を濫用してはならず、常に良心と国民に対して、責任を負う。
【大川隆法『新日本国憲法 試案 第十二条』】

〇マスコミ権力の濫用は制限すべき
・現実には「第一権力」となってきているマスコミ
この条文に対してマスコミが反発するのは必至でしょう。

今、マスコミは非常に大きな権力になっていて、実際上、「第一権力」と言われています。

発行部数がわずか十万部や二十万部、あるいはせいぜい五十万部ぐらいの週刊誌の記事によって、首相や大臣の首が「一瞬」で取れてしまうのです。それも、編集長の承認があるにせよ、一ライターの記事によってできるのです。

公務員を罷免する権利は、国民固有の権利なのですが、現在は、週刊誌の権利であるかのようになっています。それだけ権力が増してきたら、やはり少しはチェックが必要であると思います。

現在、このマスコミ権力の根拠になる条文が、日本国憲法にはありません。あえて言えば、第二十一条にある、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保証する。」(第一項)という条文しかないのです。

今のマスコミは、かなり大きいところだと、万単位の社員がいて、巨大な「官僚組織」にすでになっています。

そして、マスコミには、「謝らない」という基本的な特徴があります。マスコミは、いくら間違いを書いても謝らなくて、責任を取らないのです。交通事故でいうと、ひき逃げ(ヒット・エンド・ラン)と同じで、「見つからなければよい」「誰からも追及されなければよい」という姿勢です。

ただ、ひき逃げ犯が捕まるように、間違った記事が、ほかのマスコミの獲物にされることはたまにあって、そのときだけは責任を取らされているようですが、たいていの場合は、「ひき逃げ」になるのです。

しかし、そろそろ、少しは自覚を持ってもらわないといけないと思います。

以前、マスコミは「第四権力」と言われていましたが、今は、もう、現実には「第一権力」になってきているので、「その権力を濫用してはならない」ということが大切です。

まず、「個人に対して攻撃してよい範囲が、やはりあるだろう」ということです。個人には、プライバシー権や名誉などがいろいろとありますが、マスコミが個人を攻撃する場合、「寄ってたかって襲いかかる」という傾向があります。

それから、マスコミが談合して報道内容を決めているような場合もあり、政治に対する影響力も現実にはかなりあるので、権力の濫用を戒める必要があるのです。

【大川隆法『新日本国憲法 試案』より抜粋】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第3章 戒律とは何か
5 波羅夷法(はらいほう)

それでは、「律」つまり罰則について述べていきたいと思います。
いちばん重い罪として「波羅夷法(はらいほう)」というものがありました。(「波羅夷罪(はらいざい)ともいう)。教団からの永久追放です。「これを犯した場合には、教団から追放さて、もう二度と戻ってこられない」という思い罪です。この波羅夷罪(はらいざい)には四つの種類があります。

①婬(いん)
制定された順番で言うと、まず最初が「婬」です。最初は「淫」という字を使うことが多いのですが、仏教用語では「婬」と書くことが多いです。これは、五戒のなかの「不邪婬(ふじゃいん)」とも同じです。

在家の方の不邪婬というのは、「自分の妻あるいは夫以外と性的な関係を持ってはならない」ということで、それ以外の者と関係を持った場合には邪婬を犯したことになります。しかし、教団の場合には、「不犯(ふぼん)」というのが当然のルールでした。出家者の場合は、当時は全面禁止だったのです。ですから、性的行為を持った場合には、この「婬」「婬戒」に触れるわけです。

ところで、釈迦教団は最初は男性だけのサンガーだったのですが、マハーパジャパティー(釈迦の義母)を筆頭として、釈迦族の女性たちが「どうしても入れてくれ」と三回も懇願してきたのです。それに対して、釈迦は同意しなかったのですが、弟子の阿難(アーナンダ)が止めきれなくなり、「あんなに足を擦り切らせて、足から血を流し、服もぼろぼろになりながら、遠路はるばるやってきて、どうしても修行させてくれと来ているのに、追い返すわけにはいきません。どうか、入れてあげてください」と釈迦に訴えます。そうして、釈迦族の女性たちが、最初の尼さんとして入ってくるのです。

釈迦が女性差別をしていたわけではもちろんないのですが、教団のなかでせっかく欲を離れて修行していたのに、男女が入り混じってくると、俗世と同じになってくるわけで、せっかく出家していたのに俗界と同様の問題が起きてきて、修行ができなくなるだろうというのが、釈迦の惧(おそ)れだったのです。その時の釈迦の悲嘆の声が、「正法が千年続くところが、これで五百年に縮まった」という言葉で残っており、現代の女性からいまだに「女性差別でないか」と言われて評判が悪いのです。

しかし、現実には、比丘尼教団ができてから、やはり問題が数多く出てきて、戒律の数がどんどん増えていったというのが、歴史的な事実です。釈迦は「女性も悟れる。阿羅漢にもなれる」ということを明言しているのですが、ただ、「男女の問題が起きてきて、起用壇の維持が難しくなる」ということを言っていたのです。

そこで、女性が尼さんになるときには、「八敬法(はっきょうほう)」を守らせました。比丘(男性の僧侶)に対して敬意を払うというものです。「比丘たちの指導をよく受けるように」。また、尼さんだけで集まって修行していると、いろいろと外部から襲われたりするので、「いつも比丘教団の近くで指導を受けながら修行をするように」。あるいは「出家して何十年も経ち、百歳になった比丘尼であっても、新米の比丘に対して、やはり敬意を持たなければいけない。新米だからといって、いじめたりしてはないけない」という項目もあります。

これは現代でもあります。会社に入って二十年も経つベテランの女性社員が、新人の男性社員をいびり、そうしたいじめを受けた男性社員が辞めてしまうことがときどきあります。たとえ頭がよくても、大学を出たばかりでは仕事がわからないので、二十年もそこにいる人からいびられると、いたたまれなくなって辞めてしまうのです。

このようなことを当時もあらかじめ見越して、「年若い比丘であっても、ないがしろにしてはいけない」などと、かなり厳しい項目を八つ設け、「これでも修行するというなら、受け入れます」という条件を提示しました。そして、女性の修行者たちが「それでもいい」と受け入れたので、それを守らせることにして修行が始まったわけです。

しかし、戒律が厳しいことを理由に退転した女性修行者は皆無に近く、女性修行者たちの覚悟は本物だったのです。

ただ、この波羅夷法(はらいほう)は永久追放なので、いったんこれが宣告されると、もう教団に戻ってくることはできません。しかし男女の問題ですから、なかには陥れられたり、誘惑されて不覚を取ってしまうようなこともあり、有力な弟子がそれで永久追放になるのは忍びない部分もありました。

そこで、このあたりが釈迦の配慮なのですが、力の弱い人の救済策として、捨戒(しゃかい)、要するに戒をいったん捨てさせました。これを「弱力捨戒(じゃくりきしゃかい)」といいます。尼さんなどが不覚を取ってそういう罪を犯したときに、そこで戒を捨てれば自動的に還俗したことになるのです。

波羅夷法(はらいほう)というのは、これを犯した後に会議にかけて、みなんが「これは波羅夷罪だから、教団から永久追放しよう」ということを決定するまでは、罪は決まっていません。その前に戒を捨てた場合には還俗になり、俗人が犯した罪ということになります。そこで、いったん還俗して、再び具足戒を受けて僧になる、あるいは尼になるということで切り抜けるという救済策をひとつつくったのです。

ただ、自主的に婬戒を犯しているような人は、当然、波羅夷法(はらいほう)にひっかかりました。

【大川隆法『沈黙の仏陀』第3章「戒律とは何か」より抜粋】
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本日も根本経典の「仏説・正心法語」と共に重要な祈りである。「エル・カンターレへの祈り」について共に考える機会を得たいと考えています。

教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。

一方、『エル・カンターレへの祈り』には、「エル・カンターレへの祈り」「伝道参加のための祈り」「植福功徳経」の三つが収められており、「信仰」「伝道」「植福」という、私たち仏弟子の救世運動の理念が凝縮されています。

ですから、私が支部活動で行き詰まる時、いつも原点回帰するのが「エル・カンターレへの祈り」です。そういう意味では、私たちの宗教活動の中心にある大変重要なお祈りです。

「エル・カンターレへの祈り」を深く学ぶために、主より経典『「エル・カンターレへの祈り」講義』をいただいていますので、ぜひ伊勢支部にて拝受して下さい。
詳しい解説は、この経典をご覧いただくとして、このメールマガジンでは、日々の活動にこの聖なる祈りをどのように生かしていくかという視点で、お届けしたいと考えています。

それでは前回の続きです。「エル・カンターレへの祈り」はこのように続きます。
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主よ
われらに
全世界伝道の
尊い使命を
お授けください
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「信じます」という言葉を5回繰り返したのち、祈りは主への誓いの言葉・誓願へと移ります。
本日の引用にあるように、私たち仏弟子の使命が「全世界伝道」にあることを、ある意味象徴している個所ではないかと思います。
私たちは、主にお願いしをして、主から「全世界伝道」の尊い使命を授けられているということなのですね。
私たちが全世界に伝道すべき信仰と主の教えとは、「エル・カンターレ信仰」と「四正道」です。それを私たちは「正しき心の探求」と呼んでいます。
「正しき心の探求」による全世界伝道が、主の悲願であり、伝道は主にお許しをいただき、主より授けられた尊い修行であることがよくわかります。

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最後に、全世界に伝道すべき教え、四正道の「知」について経典から抜粋いたします。
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〇「正しき心の探求」としての「現代の四正道」を実践せよ
そうした信仰心を持って生きていくことを、大きな意味において「正しき心の探求」と言います。

そして、その「正しき心の探求」の中身とは何であるかといえば、「愛・知・反省・発展」という「現代の四正道」に、今は集約されています。(中略)

・知―霊的な真実に裏打ちされた「仏法真理」を学ばなければ、魂の向上にならない

それから、「愛・知・反省・発展」の「知」は何かということですけれども、これは「仏法真理」のことであって、本当の世界観や霊的な真実、神仏の教え、こういうものに裏打ちされた知識でなければ、この世で学んでも魂の向上にはならないということです。

だから、「神は死んだ」とか、「唯物論がすべてだ」とか、「この世の利便性だけが、もう最高のものだ。幸福なのだ」というふうにだけ考えていくならば、間違っていると言わざるを得ないし、「自分がどこから来て、どこへ行くのかさえ知らない人類」というもは、ちょうど、「駅のホームに立って、自分が何のために駅のホームに立っているのかを知らない人間」と同じです。

それは、次に来る列車を待っていて、それに乗ってどこかに行こうとしているということであり、「どこから来て、どこへ行くかを知らない」ということは、「自分自身を見失っている」ということと同じなのです。

【大川隆法 『地獄の法』 第五章「救世主からのメッセージ」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。

大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます

本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります

仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史 

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