日本国憲法試案 第八条
裁判所は三審制により成立するが、最高裁長官は、法律の専門知識を有するものの中から、徳望のある者を国民が選出する。
【大川隆法『新日本国憲法 試案 第八条』】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
来る2月11日は建国記念日を迎えます。建国記念日の由来は、明治時代、日本の建国を祝う日として紀元節(きげんせつ)がありました。初代天皇とされる神武天皇が即位した日が、紀元前660年の2月11日だったことから定められたようです。そして、1873年から第二次世界大戦後の1948年まで祭日として人々に親しまれていました。しかし、戦後の日本を占領していたGHQ軍の意向により、紀元節が廃止されることになりました。
その後、国民の間で紀元節を復活させようという動きが高まり、建国を記念するための日が設けられたようです。その際に、「紀元節」から「建国記念の日」へと名称が変わったと伝えられています。このようなことから、1966年に国民の祝日として制定され、翌年から適用されるようになりました。
本日は、主の『新日本国憲法 試案』から新しい日本の建国の精神を振り返ります。
経典をお持ちでない方は、全国の支部・精舎・書店にてお求めください。【税抜き1200円】
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第八条 裁判所は三審制により成立するが、最高裁長官は、法律の専門知識を有するものの中から、徳望のある者を国民が選出する。
【大川隆法『新日本国憲法 試案 第八条』】
〇最高裁館長には徳望のある人物を
現在、最高裁判所の裁判長は、十年に一回、国民審査によって、罷免するかどうかの判定がなされています。投票では、罷免したい裁判官にバツ印をつけるのですが、バツ印の数は、だいたい投票の一割程度に収まっているのではないでしょうか。
国民は、審査の対象となっている裁判官の名前も知らないし、その人がどのような仕事をしたかもわからないので、「実際上、最高裁の裁判官の資質が判定できない」というのが現実です。
したがって、最高裁判所のトップになる人を選挙で選んでもよいのではないかと思います。法律の知識や経験のある人であれば、必ずしも裁判官ではなくてもよいでしょう。
例えば、国会議員や官僚、学者、弁護士、検事など、実際に法案などを食ったり、法律を適用したりしてきたような人から選出してもかまわないと思います。
ある一定の法律的な専門知識を有する人のなかから、「徳望のある者」を選出することが望ましいと思います。
もし、国会と、大統領との間で諍い(いさかい)が起こり、うまくいかなくなったときには、最高裁判官は調停役をしなければいけません。そのため、「法律の専門知識もありながら、徳望のある人を選んで仲介させる」という考え方をしているのです。
国民による投票は最高裁判長官だけでよいと思います。十五人の裁判官全員を投票で選ぼうとしても、結局、どんな人物かが分からないからです。「どの裁判官が、どのような判決をしたか」ということは、ほとんどの人が分からないでしょう。
したがって、選挙で選ばれるのはトップ一人だけでよいと思います。会社の経営でもトップは一人、社長一人の責任です。トップ一人が選挙で選ばれるだけでも、裁判官全員がビシッと引き締まります。
最高裁判官の選び方については特に限定していないので、あとは法律等で決めることになります。
【大川隆法『新日本国憲法 試案』より抜粋】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第3章 戒律とは何か
1 三学(快・定・慧)と五分法身(ごぶんほっしん)
本章では「戒律」について述べてみたいと思います。
本章のテーマは、釈迦教団の時代の戒律が中心となるので、内容的には古いものを学ぶことになりますが、幸福の科学においても、会の規模がこのように大きくなってくると、何らかの戒律が必要な時期に来ていると思います。その際に、単に思いつきで新しいものをつくるのではなく、昔はどういうことをしたのかを学び、その知識を温めなおすことにより、過去から照射される光によって現在というものがよく見えて、「自分たちのなさねばならぬことは、どこにあるのか。また、古くても使えないもの、新しく採用すべきものは何なのか」を知るという観点もあると思います。いずれにしても、「現代は現代、過去は過去」と単純に割り切って考えるのではなく、たとえ古いものであっても、その精神は汲みとっていくべきだろうと・
・
�います。
戒律は、簡単には「戒(かい)」とだけ言うこともあり、この「戒」と「定」(精神統一や反省、瞑想も含む)、それから智慧の「慧」、この三つを合わせて「三学(さんがく)」といいます。これが出家者の修行の中心課題です。
ですから、出家して何を勉強するかと言えば、中心はこの「戒・定・慧」ということになります。戒(いまし)めを守ることによって、悪を侵さず善を推し進めるための防波堤となし、また戒めを守ることによって、心が乱れないように日々統御し、さらに精神統一をすることによって、心の磨きをいっそう進め浄化します。そして、戒を守り、精神統一を続けていくことによって、内なる智慧の光が生じてくるのです。これを慧と言うわけです。この智慧の光というのは、この世的な学習や勉強だけで得られるものではなく、洞察に裏付けられた深い智慧、知識ということになります。この三学を身につけるために、仏弟子は修行をしているのです。
これに加えて、四番目に「解脱」を挙げることもあります。解脱とは、迷いを断ち切って抜け出すこと、悟りの世界に入ることです。これは最終目的に近いものですが、「戒・定・慧」の結果、「解脱」を得るわけです。そして次に、解脱したことを知る「解脱知見・げだつちけん」がつきます。
この「戒・定・慧・解脱・解脱知見」の五つを、「五分法身・ごぶんほっしん」(仏になるための、五つに別れた修行のカテゴリー〈範疇〉という意味)といい、「三学と五分法身」という言い方をすることがよくあります。
【大川隆法『沈黙の仏陀』第3章「戒律とは何か」より抜粋】
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本日も根本経典の「仏説・正心法語」と共に重要な祈りである。「エル・カンターレへの祈り」について共に考える機会を得たいと考えています。
まず、『エル・カンターレへの祈り』とは、私達が「仏」「法」「僧」の三宝に帰依した信者にしか持つことを許されない大変尊い経文です。支部では、三帰信者であれば、2000円の奉納目安でいただけます。
私も毎日、自分の信仰と、使命を新たにするために、ありがたく読誦させていただいています。
教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。
一方、『エル・カンターレへの祈り』には、「エル・カンターレへの祈り」「伝道参加のための祈り」「植福功徳経」の三つが収められており、「信仰」「伝道」「植福」という、私たち仏弟子の救世運動の理念が凝縮されています。
ですから、私が支部活動で行き詰まる時、いつも原点回帰するのが「エル・カンターレへの祈り」です。そういう意味では、私たちの宗教活動の中心にある大変重要なお祈りです。
「エル・カンターレへの祈り」を深く学ぶために、主より経典『「エル・カンターレへの祈り」講義』をいただいていますので、ぜひ伊勢支部にて拝受して下さい。
詳しい解説は、この経典をご覧いただくとして、このメールマガジンでは、日々の活動にこの聖なる祈りをどのように生かしていくかという視点で、お届けしたいと考えています。
それでは前回の続きです。「エル・カンターレへの祈り」はこのように続きます。
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あなたが
天においても
地においても
最高の権能を持ち
仏と
神とを
合一させた
偉大なる
霊存在であることを
信じます
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祈りは、主がどのようなご存在であるのかを定義することから始まり、その説明が続きます。
経文の「あなた」とは、マスターである主なる神、「エル・カンターレ」のことです。
繰り返しになりますが、私たちは、主に仕えるサーバントです。仏の救済の助力者です。
「天」とは、私たちが生まれる前にいた世界、そして、私たちが死後に還る世界です。つまり「霊天上界」のことです。
「地」とは、魂の修行の場である地上をさしています。
ところで、経典「メシアの法」では、第五章「メシアの愛」において、魂の修行環境である地球を護ることも、メイアの愛であることを教えていただいています。
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もう一段、いうとしたら、
「地球は地球だけのものではない。
地球人だけのものでもない。
あるいは地球の生物のためだけのものでもない。
動物や植物のためだけでもない。
地球というものにも、
やはり、他の惑星からも魂修行のために数多くの人が来ているのだ」と、。
なかなか信じがたいことではあろうけれども、
そうした、魂の修行場としての地球を護り続けることも、
非常に大切な愛なのだということを、
知っておいていただきたいと思います。
【大川隆法『メシアの法』P326より抜粋】
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「権能」とは、パワー【power】であり、「力」と置き換えることもできます。
「主への祈り」では、主とは、あらゆる力の根源の方であることが定義されています。
「仏」と「神」とを合一させた御存在が「主」であることが明らかにされています。
これは、東洋的な救世主としての仏は、智慧としての悟りの側面が強く、「神人合一型」の信仰スタイルを持ちます。
一方、西洋的な救世主としての神は、慈悲としての愛の側面が強く、「神人隔絶型」の信仰スタイルを持ちます。これら、東洋的、西洋的な救世主としての力を持つ偉大な霊存在が、エル・カンターレであるということです。主が救済する対象は、東洋、西洋問わず、全世界を覆っていることを暗示しています。
霊存在であることを強調しているのは、本来、主が、霊の反対である「肉体」や、目に見える存在ではないことを示しています。
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本来、エル・カンターレという存在は、あなたがたに見せることはできません。いまは、「私の姿を通して、かろうじてエル・カンターレの姿を見ることができる」という、歴史上ごくまれなめずらしい機会であり、普通は、想像することしかできないのです。
というのも、私は、あの世に還ったら、顔や手足などはなくなり、光そのものになるからです。
仏教では、大日如来は真理を象徴し、阿弥陀如来は、無限の光、慈悲、救いを象徴し、釈迦如来は、歴史上のゴータマ・シッダールタ、釈迦牟尼仏を表していますが、実は、同じものなのです。その元にある者は光そのものなのです。無限の光の供給源のところです。地球の霊太陽の光そのものの供給源のところであり、地球系霊団を率いている力の根源のところ、これがエル・カンターレといわれている存在であり、エル・カンターレは姿なき存在なのです。
【大川隆法『愛される人になめためには』より抜粋】
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最後に、経典から抜粋いたします。
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まず霊的世界が実在の世界で、その一番上に神がいらっしゃる。
神は造物主であって、人類やいろいろな生き物を創ってこられたし、
地球の歴史をつくってこられた。
いろいろな人をこの世に下されて、遣わされて、
そして、いろいろな時代の、いろいろな文明をつくってこられた。
そのなかには、巻き込まれて幸・不幸がいろいろあり、
濁流に吞み込まれたような人もいるではあろうと思いますけれども、
時代が悪ければ、時代を変えていくこともやった。
神の使者でも、この世で死んでいくようなことも数多くあった。
しかし、「その愛の流れは一度も止まったことはないのだ」ということです。
幸福の科学から政治的経済的な発言も出ますけれども、
これは、天上界から出ている、
「この世の文明のあり方を変えなさい」という意見です。
たから、普通の学者が言っている意見と、
一緒だとは思わないでいただきたいと思います。
主なる神を愛することは、とても大事です。
主なる神は、誰よりも、すべての人を愛しているからです。
だから、それを力づけ、そしてエネルギーを供給するのも、
神の子である人間の使命の一つでもあるということです。
愛なき者は神を知らず。
神を信じない者は心が分からない。
心が分からない者は霊が分からない。
霊が分からない者は、やはり、信仰が持てず、神を信じない。
全部、循環しています。
この循環のなかで、愛を中心に神を見、霊的世界を見、
そして、「人々は光の線で結ばれ、お互いにつながっている存在であるのだ」
ということを知ってほしいのです。
もう一段言うとしたら、
「地球は地球だけのものではない。
地球人のためだけのものでもない。
あるいは地球の生物のためだけのものでもない。
動物や植物のためだけでもない。
地球というものにも、
やはり、他の惑星からも魂修行のために数多くの人が来ているのだ」と。
なかなか信じがたいことではあろうけれども、
そうした、魂の修行場としての地球を護り続けることも、
非常に大切な愛なのだということを、
知っておいていただきたいと思います。
【大川隆法 『メシアの法』第五章「メシアの愛」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(2/3-1)34経文「エル・カンターレへの祈り」を読む ③仏と神とを合一させた偉大なる霊存在―日本国憲法試案⑩
