新日本国憲法試案 第六条 大統領令以外の法律は、国民によって選ばれた国会議員によって構成される国会が制定する。国会の定員及び任期、構成は、法律に委ねられる。
【大川隆法『新日本国憲法 試案 第六条』】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
来る2月11日は建国記念日を迎えます。建国記念日の由来は、明治時代、日本の建国を祝う日として紀元節(きげんせつ)がありました。初代天皇とされる神武天皇が即位した日が、紀元前660年の2月11日だったことから定められたようです。そして、1873年から第二次世界大戦後の1948年まで祭日として人々に親しまれていました。しかし、戦後の日本を占領していたGHQ軍の意向により、紀元節が廃止されることになりました。
その後、国民の間で紀元節を復活させようという動きが高まり、建国を記念するための日が設けられたようです。その際に、「紀元節」から「建国記念の日」へと名称が変わったと伝えられています。このようなことから、1966年に国民の祝日として制定され、翌年から適用されるようになりました。
本日は、主の『新日本国憲法 試案』から新しい日本の建国の精神を振り返ります。
経典をお持ちでない方は、全国の支部・精舎・書店にてお求めください。【税抜き1200円】
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第六条 大統領令以外の法律は、国民によって選ばれた国会議員によって構成される国会が制定する。国会の定員及び任期、構成は、法律に委ねられる。
【大川隆法『新日本国憲法 試案 第六条』】
〇行政効率を悪くしている「二院制」
・現行の憲法では「二院制」の廃止は難しい
この第六条では、実は「二院制」について触れていません。「国会は衆議院と参議院の二院で構成される」とは書いていないのです。
現行の憲法では、憲法改正について次のように書かれています。
「この憲法の改正は、各議員の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票または、国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」(第九十六条)
この条文では、「参議院議員が、自分たちの所属する参議院の廃止に賛成するかどうか」ということを考えてみると、憲法改正は非常に難しいのではないかと思います。
「参議院の廃止は、全参議院議員の三分の二以上の賛成がなければ提案できない」ということなので、実際上、ほぼ不可能です。「自分たちの”首切り”を自分たちでする」ということは難しいことです。その意味で、参議院の廃止に関しては、日本国憲法は「本当の硬性憲法」だと言えます。
二院制を廃止すること自体は、かなり困難であると思います。もし廃止できるとすれば、国家が破産する以外に方法はないでしょう。国家が破産して国会議員に採否を払えない場合は、自動的に参議院議員も無職になるので、その場合は廃止の可能性がないとは言えませんが、正当な手続きでは廃止が行われないと思います。
【大川隆法『新日本国憲法 試案』より抜粋】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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6 「真空無相」「真空妙有」と空の悟り
一切のものが無常であり、無我であるということを述べました。それをまた単なる虚無主義、ニヒリズムに結びつけてはならないということも述べました。
この空に関する思想としては、「真空無相」「真空妙有」という言葉があります。すなわち、「真なる空は無相であって、姿形がない」、また、「真なる空、真空は妙有である、妙(たえ・何ともいえないほど美しいさま)なる有となる存在である」、この二つの言葉があります。これが実は、空というものを解き明かす鍵なのです。空というものは両刃の剣であって、この両方を表わすことによって、その中なる姿が現われてくるものなのです。
「真空無相」とはなにか―。この世の中において、いろいろなものに囚われている人がいます。自己のプライド、自分の出身、財産、地位、肩書き、会社、その他、この世的ないろいろなものに執われて自己を認識し、また、いろいろなものに執着をしている人がいます。
そのような人に対しては、「真空無相、真なる空というものは姿形なきものである。あなたがつかんでいて、これこそが自分である、自分のものである、自分の所有物であると思っているもの一切が、実は空なのだ。すべてを否定しさりなさい。夢幻なのだ。執われてはならない」と言って、切って捨てる。これを「真空無相」といいます。しかし、これは本来の、ほんとうの空の姿そのものではありません。
その反対に「真空妙有」というものがあります。真なる空はまた、妙なる有に転化するのです。
執着という観点から言うならば、一切のものは否定し去らなければならない幻のごときものですが、幻を幻と分かって、それを納得しただけでは、単なる虚無主義、ニヒリズムに陥ります。「人生は夢も希望もない。生きていること自体が苦しみである。一日も早く、一刻も早く、この世を去ることこそが幸福である」ということになります。それは、自殺の勧めとなり、そして、すべてを破壊することになります。そうであるならば、この地球を核爆弾で爆発させて消し去る人こそ、最高の悟りを得た、最高の英雄ということになってしまいます。
しかし、それがほんとうでしょうか。それが神仏の心でしょうか。そうではないはずです。この地球上で、この魂修行の場において生存しているすべてのものに、さまざまな悩みや苦しみはありますが、それが真相ではありません。したがって、その場そのものを単に崩壊させることをもって、幸福になるわけではありません。その場のなかにおいて、まったく違ったものを展開することは可能です。
すべては夢幻だと悟りながら、その夢幻のなかに、なぜか今ある自分、なぜか今あるあなた、なぜか今あるその空、雲、雨、川、山、田畑、植物、野菜、稲、動物―。いろいろなものがあります。一切が幻と悟ったが、しかし、そこにまだ厳然としてあるこの世界は何か―。幻であることは真相でありながら、しかも、この世にかくも芸術的なる美しい世界が現に展開しています。それを展開させているものは何か―。
それは、神仏の慈悲なのです。その慈悲が、慈悲こそが、この現象界にまた展開している姿だと思えるのです。
そうであるならば、先ほどまで自分を苦しめていた、夜叉に等しいその敵、あるいは喧嘩をしている夫婦であれば、その相手方でもあるでしょうか。そのような、鬼か蛇かと思ったような人に対し、一切は空、真空無相と観じ、この世的な執着を断つことです。さらに、この世のなかにおいて、現に我はまた魂修行の場を与えられているという、偉大なる神仏の慈悲に対する感謝の心を持って、その目で見たときに、すべてのものはまた、雨上がりの世界のように太陽の光に溢れ、虹がかかって見えてくるものなのです。
「すべてが、自分のために、自分を生かすためにあるのだ。自分を指導するために、導くために、苦しみも悲しみも、また現世的には悪と見えしものもあるのだ」と悟ったときに、この世に素晴らしい天国が展開してきます。これを「真空妙有・しんくうみょうう」といいます。
一切なるものは幻でありながら、一切なるものは素晴らしい芸術でもある。そう知ったときに、この二つの物差しを知ったときに、人間は執われることなく、しかし、希望を失うことなく、生きていくことができます。これがまた、偉大なる中道の道なのです。
「この世で生きているから、すべてを否定すればいいかと思えば、そうではない、しかし、単なる現状肯定でいいわけでもない。否定を通して現状を見、そのなかに素晴らしいものを見いだして、自己の可能性を見いだしていく。そのように努力をしていく、個人としての自分の修行もまた、すべては神仏の光のなかにある。神仏の光の芸術のなかにあるのだ」と知ること、これが偉大なる悟りなのです。
【大川隆法『沈黙の仏陀』第1章「沈黙の仏陀」より抜粋】
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本日から、根本経典の「仏説・正心法語」と共に重要な祈りである。「エル・カンターレへの祈り」について共に考える機会を得たいと考えています。
まず、『エル・カンターレへの祈り』とは、私達が「仏」「法」「僧」の三宝に帰依した信者にしか持つことを許されない大変尊い経文です。支部では、三帰信者であれば、2000円の奉納目安でいただけます。
私も毎日、自分の信仰と、使命を新たにするために、ありがたく読誦させていただいています。
教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。
一方、『エル・カンターレへの祈り』には、「エル・カンターレへの祈り」「伝道参加のための祈り」「植福功徳経」の三つが収められており、「信仰」「伝道」「植福」という、私たち仏弟子の救世運動の理念が凝縮されています。
ですから、私が支部活動で行き詰まる時、いつも原点回帰するのが「エル・カンターレへの祈り」です。そういう意味では、私たちの宗教活動の中心にある大変重要なお祈りです。
「エル・カンターレへの祈り」を深く学ぶために、主より経典『「エル・カンターレへの祈り」講義』をいただいていますので、ぜひ伊勢支部や精舎にて拝受して下さい。(奉納目安はお問い合わせください)
さて、詳しい解説は、この経典をご覧いただくとして、このメールマガジンでは、日々の活動にこの聖なる祈りをどのように生かしていくかという視点で、お届けしたいと考えています。
「エル・カンターレへの祈り」は冒頭このように始まります。
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主、エル・カンターレよ
あなたは
われらが主にして
仏陀であり
救世主です
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主とは、英語ではマスター(Master)であり、師を意味します。われら、主を信じる私たち仏弟子は、主にお仕えする弟子(disciple)であり、サーバント(servant)です。祈りは、主がどのようなご存在であるのかを定義することから始まります。
経典『太陽の法』の最期の締めくくりには、「私は、あなたがたの永遠の師なのです。」と説いていただいています。ですから、私たち三宝に帰依しているすべての者はみんな、主の永遠の弟子なのです。
仏陀とは、「目覚めたる者」という意味であり、宇宙の真理を悟り得た者という意味です。古い漢字で書くと「仏」は「佛」とあり、ほとけとは、「人にあらず」という意味もこの漢字にこめられています。仏陀は本来、人間ではないんですね。法華経では、久遠実成の仏陀という言葉があり、永遠の彼方より悟りを得た存在が仏であるといわれています。
そして、主は、宇宙の真理を悟った存在だけではなく、その悟りの力によって、一切の衆生を救い助ける「救世の主」でもあると宣言しています。仏陀という言葉自体は、アジア的ですが、救世主【Savior・セイビア】【Messiah・メシア】という言葉自体は、西洋社会でなじみ深い言葉ですから、主の御教えが、世界宗教となり、全世界に広がっていくことが最初から想定されています。
私たちの主エル・カンターレは、仏陀と救世主を同時に合わせ持つ尊い存在なのです。
最後に、仏陀であり、救世主である主がどのような存在であるのか。経典から引用いたします。
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地球神エル・カンターレからのメッセージ
今、私は、あなたがたに言う。
キリスト教に言う「主なる神」。
ユダヤ教に言う「エローヒム」。
イスラム教に言う「アッラー」。
中国の孔子が言う「天帝」。
さらには、日本神道ではその姿も知られていないが、
中心神である天御中主神の上にいる「天御祖神」。
すべては同じ存在であり、一人なのです。
確かに、それぞれの宗教は、
民族性や文化性の違いによって考え方が違っているかもしれません。
しかし、もとなるものは一つであって、
さまざまに魂を磨きながら、
この地上で修行している仲間であることに変わりはないのです。
また、民族の壁を超えるために、
「転生輪廻」という仕組みもつくりました。
今は日本人であっても、過去世は日本人ではなく、
ヨーロッパ人であったり、中国人であったり、
韓国人であったりすることもあります。
もちろん、その逆の場合もあるでしょう。
そういう魂経験をしながら、
人間は、理解する器を広げようとしているのです。
今、私は、最後の、すべての法を説くために、
この日本という国に生まれました。
私にわかる範囲で、すべてのことを明かします。・・・
あなたがたに言う。
真の神の言葉を知って、
人類はその違いを乗り越えて
融和し、協調し、進化し、発展していくべきである。
これが、地球神エル・カンターレの言葉である。
二度と忘れるなかれ。
あなたがたの心に刻むのだ。
【大川隆法 『信仰の法』第六章「人類の選択」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちのの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
■□■
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(2/1-1)32経文「エル・カンターレへの祈り」を読む ①「主・エル・カンターレとは」新日本国憲法試案⑧
